9月10日
「確かに金物屋というのはいい着眼点だ。戦時に金属の需要が高まるのは間違い無い」
「まあ!ではお鍋の値段を調べた事には意味がありましたのね」
「ああ。だがな……」
何と何と何と!今日は旦那様がお買い物に連れて行って下さってますの!
まさか私にこんな日が訪れるとは思ってもいなかったわ!
一昨日のお母様からの招待状の意味を二人で精査した結果、すなわち〝本物の召喚状〟だという結論に至った。
私は単純に『お母様』からの招待状だと言って封筒を渡したのだが、旦那様の反応は違っていた。
『レジーナ、これは国内最高位の筆頭公爵家の夫人が直接持参したものだ。すなわち命令。公爵夫人から…その……伯爵夫人への……』
私は本当に頭の回転に問題があるようで、自分が置かれている立場がやっぱりよく分かっていなかった。
…レジーナ・ウィンストンに戻る可能性が、頭の片隅から消えないせいだ。
「つまり、金属の価格がじわじわと上がるのは、実際には戦の準備段階という事になる。武具に防具、砲弾に……」
通りを歩きながらすごく為になる話をして下さっていた旦那様の言葉がピタリと止まる。
「…どうなさいましたの?何かございました?」
恥ずかしながら右手を旦那様の左腕に預けたまま、隣のお顔を覗き込む。
「…いや、つまらない話で申し訳ないなと……」
なぜか気まずげにされている姿に驚く。
「えっ!今つまらない話をされておりましたの?わたくし三分前より賢くなったと思って喜んでおりましたわ!」
「………そうか。それは…何よりだ」
「ええ!他には何がありますの?織物や靴はどうなのです?軍服は新調されたりしますの?」
「あ、ああ…そうだな。そういう視点では捉えた事は無かったが、予備の在庫次第では……」
何を聞いても答えて下さるなんて、旦那様は物知りでいらっしゃるわ。実家の家庭教師たちはみんな『淑女の知るべき領分を超えております』としか言わなかったもの。
その後も質問責めにする私に旦那様が根気よく付き合って下さっていたのだが、ここでハッと我に返った。
「旦那様!」
「な、なんだ」
「わたくし自分の話ばかりに気を取られて、今日の目的を聞いておりませんでしたわ!」
そうよ、そうだったわ!旦那様が休みを取ってまで私に買い物に付き合うようにおっしゃるなんてただ事ではなかったのよ!
私ったらなんて迂闊なの……!
「…目的……。ああ…うむ、そうだったな。目的だ、目的」
「…はい?」
何だか様子がおかしくてらっしゃるのよね…。
実は旦那様は一昨日からずっと様子がおかしい。お仕事で何かあったのだろうとは思うけれど、機密…とかもあるでしょうし、聞いたところで私にまともな返事ができるとも思わない。
「……選んで貰いたいものがある」
「選んで……」
旦那様が困ったようにこくりと頷く。
あら、その顔は新鮮でいいですわ!…などと言っている場合ではない。
……どうしましょう………。
さすがのお母様からも剣の良し悪しは習わなかったわ…。
お役に立てる自信が全く無いのだけど。
あー……消えてしまいたい。
「旦那様!次はこれ!これにしましょう!?わたくし鼻を押さえておきますから!」
レジーナは相変わらずおかしいし、
「きゃーー!!素敵ですわ!!まるで絵画から抜け出されたよう!!」
店員は煩い。
全てはダンテが悪いのだ。
私には冠婚葬祭全ての場面に対応可能な軍服という絶対的な衣装があるというのに、それで公爵邸の夜会に出ると言ったら大反対された。
正装なのだぞ?どこに問題があるのかこれっぽっちも理解出来ないが、ダンテが公爵夫人とレジーナの会話を漏れ聞いた限りでは〝それでは足りない〟らしい。
だから今日は半日休暇というものを初めて取得し、夜会服を作りに来たのだが……
「ああ…何ということでしょう。あれほど厳しく目利きを仕込まれたというのに盲点でしたわ…!」
「レジ…」
「ど れ も い い!!どれも正しい!どれも尊い!…こんな…こんな事象が存在するなんて……!!」
「………………。」
胸の前で指を組み、天を仰ぐレジーナに言葉も出ない。
正直に言う。これまでに着せられた5着の何が違うのかさっぱり分からん。
いや、それでは語弊がある。ホワイト・タイとブラック・タイの違いぐらい知っている。
だが公爵邸にはどちらを着て行くべきか悩ましいから娘を頼ったというのに……。
「旦那様!わたくし全部買いますわ!」
「…は?」
「選べない時は選ばなければ良いのです!夜会などどうでもいいですわ!旦那様の機嫌が良い時にこっそり着て頂いて、私はそれを絵師に描かせます!そしてシエラお義母様にお届けして……」
「却下。そこの君、オーナーを呼んでくれ」
「ええっ!?」
悟った。駄目だ、レジーナは役立たずだ。ったく自分の家のことだろう?変な男を連れ歩いたら恥をかくとは思わないのか?
…いやそれよりも今日の最大の目的物はこれじゃ無いのだ。こんな所で時間を食っている場合では無い。
「お呼びでしょうか……おお!これはエドガー様、お久しぶりでございます」
ビシッと背筋の伸びた初老の男がやって来て、私に頭を下げる。
「カルヴィン、久しいな。多忙だろうに呼び出してすまない。服を仕立てて欲しいのだ」
「何と、お呼び頂ければこちらから出向きましたものを!」
「何度も足を運んでもらう時間が取れない。店ならば一度で全部揃うだろう」
最初からこうすれば良かったのだ。
カルヴィンは父上の衣装のほとんどを手掛けたテーラーだ。私が幼い頃は邸でよく顔を見た。
「承知仕りました。して、用向きはどちらに?」
カルヴィンの問いに、視界の端で真っ赤なシャツを広げるレジーナの方を顎先で示す。
「……ウィンストン公爵令嬢?」
カルヴィンが呟く。
…母上が手紙で寄越した通り、彼女は有名人なのだな。だろうな。あんなシャツを堂々と広げる人間は有名にならざるを得ない。
「妻だ。……彼女の実家の夜会に呼ばれている」
「!!」
「……適当に…それなりに……整えてくれ」
これが私の精一杯のオーダーだ。
「……こちらでよろしいかと思います。最近は王宮の行事以外でホワイト・タイを召される方は滅多におられませんので」
「…そうなのか」
カルヴィンの仕事は早かった。試着時間は本当に無駄だった。
「レジーナ、どう思う?これで………」
一応確認のためにレジーナの方を振り返る。
「だ…旦那様!!キラキラが…キラキラが溢れ出しておりますわ!!素敵……素敵すぎて鼻から変な血が出そう……!」
……聞くのでは無かった。
どうしたのだ。今日のレジーナはいつもにも増して変だ。
「ふふ、奥様もお気に召されたようですね。急ぎ仕上げてお邸に届けさせて頂きます。…それにしてもウィンストン公爵令嬢とエドガー様……」
何かを言い含むカルヴィンに問いかける。
「…何かあるのか?」
まさかレジーナとの結婚の意味を知っている…?
「ああ、失礼しました。社交界の噂は耳にしておりましたので、ご結婚された事はもちろん存じておりました。ただ噂で聞く以上にお似合いでしたので驚いたのです」
……アンディの言ったことも本当だったか。結婚の事実は最早誰もが知っている……。
というか似合いはしていないだろう。くたびれた三十路男の隣が似合うなどと可哀想な事を言うな。
「レジーナ姫と言えば、その美麗さで有名な公爵家がひたすらに隠し続けたウィンストンの珠玉と有名な方でしたから。私は公爵家にも出入りする事がございましたので、お顔を存じておりました」
しゅぎょく…?
しばらく意味を考えていると、レジーナが紫色のシャツを手に持ち現れる。
「あらカルヴィンさん、それは違いましてよ。私が一歩外に出ると大事件が起きるとかで滅多に外に出してもらえませんでしたの。…失礼しちゃうわ。わたくしこんなに常識人なのに」
……これは公爵家の言い分の方が正しい気がするが。
「ほっほっほ、左様でございますか。それでは奇跡的に出逢われた輝かしいお二人に私から結婚の贈り物をさせて頂きましょう」
そう言ってカルヴィンが取り出したのは、ケースに入った一組のカフスボタン。
「まあ…!なんて綺麗なの。とても珍しいお色ですわね」
レジーナがしげしげとカフスを見つめる。
「ええ。トルマリンの一種なのですが、青と緑が混じった…まるでお二人のための石のようでしょう?」
「「二人の……」」
レジーナと声が揃ったところで、カルヴィンがもう一つのケースを取り出す。
「……奥様にはこちらを」
開かれたケースの中には、カフスと同じ石があしらわれたイヤリング……
「まあ………!で、でも旦那様、私とお揃いなんてご迷惑では?」
「言っている意味が分からない。カルヴィン、助かった。この礼は必ずする。…本当に助かった」
まさかここで今日一番の難題が解決するとは思わなかった。捨てる神あれば拾う神ありとはまさにこの事。
「レジーナ、とてもよく似合っている。公爵邸での夜会はこれらをつけて出よう。いや、出るのだ。返事はイエスのみだ」
ダンテからの課題をクリアできたことで、私の気持ちは晴れ晴れしていた。
ところがレジーナは……なぜか顔を赤く染め、困ったような顔をしていた。
『9月10日 強風
とても素敵な一日だったの。本当に素敵で途中から心臓がもたないのではないかと思ったわ。旦那様はずっと優しかったし、たくさんお話できて嬉しかった。なのに私どうしてしまったのかしら。嬉しかったのにすごく怖くなって、旦那様が明日から十日ほど南部に行かれると聞いて少しホッとしてしまったの。ようやく戻られた旦那様に対して失礼だったわよね。ホッとした事を今すごく後悔しているの。』




