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9月8日

「…それで、伯爵とは仲良くやっているのでしょうね」

「は…はい。それは…ええと…普通…ですわ」


 目の前の人物の眉がピクリと上がる。

「…普通?普通とは何です。…メイベル答えなさい」

「はい、奥様」

 いや〜!メル、ここはしっかり空気を呼んで頂戴よ!?怒らせちゃ駄目だからね!


 私は今、針の筵に座らされている。

 社交シーズンだというのに一度も夜会で顔を見なかった私を心配…ではなく、詰問するために突然現れた女帝によって。

「アクロイド伯爵は、それはもうレジーナ様を大切になさっております。レジーナ様に近づこうとする無頼漢がいようものなら、自ら剣を抜きお守りされるほどでございます」

 …はい?

「…剣を……。その割には二人が仲睦まじいという噂を一つも聞かないわね」

「……伯爵は先月末に王都に戻られておりますが、二か月は東部に遠征されておりました。戻られてからも正式に停戦というわけではございませんので、毎日朝早くから夜遅くまでお仕事に出られております。…ですが!どれだけ遅くなろうとも、必ず邸にお帰りになり、レジーナ様の寝顔をご覧になっております」

 …は……はいっ!?

「………そうですか」


 な、何を言ってるのよメル!?お母様相手に大嘘をついてどうするの!嘘が露見したあとどんな仕打ちが待っているか……!

 そう、女帝というのは説明する必要すら無く、私のお母様…アラベラ・ウィンストン公爵夫人である。

 のんびり平和な伯爵邸に、雷鳴のような知らせが届いたのは先ほど。

 公爵家の小姓が訪いの手紙を持って来たかと思えば、その後ろにお母様がいた。

 …とても心臓に悪いし、そもそもマナー違反である。


「…レジーナ」

「は、はい!」

 アクロイド邸の応接間に吹き荒れる真夏のブリザードを気にも留めず、お母様がマイペースにお茶を飲む。

「伯爵は素敵でしょう」

「……は、はい?」

 す…素敵?お母様の口から…素敵??

「少しおつむの弱い貴女を押し付けるのは大変心苦しかったのです。軍人の妻というのは、賢く肝の据わった女性にしか務まらないと聞いています。けれど貴女には伯爵以上の相手はいなかった」

「…そうなのですか?」

 その辺りの事情を聞いてもいいものかしら…。

「そうです。貴女が思う以上にこの世の中は複雑で、人の心は醜いもの。…貴族の世界もまた然り」


 …何かしら……。今日のお母様はどこか様子がおかしい気がするわ。普段なら夜会に顔を出さなかった理由を時系列に説明させて、それに対するお説教が小一時間は続くのに…。

「お、お母様?あの…失礼ですが今日は何か大切なお話がありましたの?」

 振り絞ってみた。勇気を。

「…大切な………」

 お母様の目が突然険しくなる。

「当然です!貴女は伯爵家当主夫人でしょう!夫の仕事が忙しい?ならば貴女は何をしているのです。夫の分まで社交に励み、領地を豊かにするために人脈を広げ情報を仕入れいざという時のコネクションを築かずして小娘みたいに甘やかされている場合ですか!茶会はどうしました!前伯爵夫人から受け継いだ茶器はどこに眠っているのです!結婚して最初のシーズンは寝る間を惜しんで挨拶回り!呼ばれぬ時には貴女が主催するのですよ!あーなーたーがっっ!!」

 ひ、ひーー!!

 振り絞るのではなかったわ!要らぬ勇気を!!


「レディ・シエラにはそれはもう何度も何度も申し送りをしたのです。レジーナを甘やかすなと!甘やかされている事にも気付かないほど呆けた娘なのだと!気付けば家中の時計が止まり愛馬は緑色になり邸中で毒物混入事件が起きるのだと!よもや……貴女アクロイド伯爵家の家名に泥を塗るような真似は……」

「し、しておりません!たぶ…絶対に!何かに誓って大人しくしております!」

 こ…怖いわ…!怖すぎるわ!!

 どうすればそんな目力が出せますの!?私今日こそ石になってしまうのかしら!17年間何とか逃げおおせて来たのに……!


 お母様がスクッと音もなく立ち上がる。

「…そうですか。ならば今日のところはこれまで。…マリア、例のものを」

 立ち上がったと同時に、壁際でひっそりと壁紙に紛れていたお母様の侍女が呼ばれる。

「…シーズン最後の締めくくりは王宮の舞踏会です。その前にウィンストン公爵邸の夜会に貴女を招待します」

 マリアによって差し出される金印の押された封筒…。

「この意味が分かりますか?…わたくし、アラベラ・ウィンストン公爵夫人が直接招待状を持参した意味が」

 ……ええっ!?意味…意味……など考えている場合では無い。

「もちろんです、お母様」

 ああ…まずいわ、すごくまずい。

「…けっこう。伯爵邸の皆々に突然の訪問の無礼を詫びて頂戴。…行きますよ、マリア」


 雷鳴とともにやって来たお母様が帰った伯爵邸のその後は、まるで嵐が過ぎ去ったかのように静まり返っていた。






 王都に戻って一週間。

 精神的な疲れはピークを迎えている。

 理由も知らされないまま繰り返される査問。入れ替わり立ち替わり違う査問官に呼ばれては、毎度毎度数枚の姿絵を見せられては同じ質問を受ける。

 ……『この女に見覚えは無いか』と。

 誰に質問しているのだ。女の顔などいちいち覚えているわけないだろう。質問する前に情報を出せ。そうすれば記憶の淵から呼び起こせるかもしれんだろうが。

 …と、毎度思うのだが、言える訳も無い。だから私の答えは一つだけ。『記憶にありません』だ。


 一緒に戻ったアンディも同じ目にあっているようで、執務室の机に突っ伏しては抜け殻になっている。

「…エドガー……」

「…何だ」

 机から顔を上げる事なくアンディが喋る。

「俺ら何かしたのかな…。異様に帰還命令が早かったと思ったら連日怒涛の査問会……」

 …帰還命令が早かったのは分かっていたのだな。

「他言無用って言われたけどさ、女優とかバーのマダムとか娼館の………いやいや王都の男なら誰しも知ってる女ばっかりじゃないか」

「………なるほど。少なくとも〝俺ら〟では無い。何かしたならお前だけだな」

「はー!?どういう意味だよ!」

「…声を落とせ!冗談だ」

 いきり立つアンディに近くに寄れとサインを送る。

「…なんだよ」

「いいか?馬車でのメイベルの言葉を思い出せ。…おそらく上は罠に掛かったアホを探している」


 アンディの眉間に皺が寄る。

「…それって……ハニートラッ…プーーー!!」

 咄嗟にアンディの口を手で塞ぐ。

「静かにしろ!…要はそういう事だ。私とお前だけが先に呼ばれたのは〝限りなく白に近いから〟だ。この査問は形だけ。…これから面倒な事に巻き込まれるぞ。覚悟しておけ」

 アンディの目が見開かれる。

「な……何でそんな事分かるんだよ!俺もしかしたら引っかかってるかもしれないだろ!見覚え無い女もいたけど、ほとんど知ってる顔ばっかりで……」

 ……はぁ、コイツはどこまでマヌケなのだ。

「…お前の未来の義父は誰だ。まさか自分に誰も張り付いて無いとでも思ってるのか?」

「え……嘘だろ……?マジで?は?」

「……気づいてなかったんだな。お前は幸せになれる。私が保証しよう」


 呆けたアンディは放っておくとして、まさかレジーナの勘がほぼ的中していたとはな。

 軍内部にスパイがいる……という可能性も無い事はないが、おそらくは機密情報を〝盗られて〟いるのだろう。

 男所帯の軍において、仕掛けて来るならば相手は女。…古典的手口だが、効果は抜群に高い。

 査問に呼ばれた初日に気づいたが、彼らも手続通りにやらねば報告書が作成出来ないのだろうから付き合いはした。

 だが私の精神を削ったのはそこでは無い。

 全員が全員揃って同じ事を言いおって……!

『…本当に全員知らないと。…少将、体は……大丈夫か?』

 放っておいてくれ!余計なお世話だ!!



 上がった心拍数を落ち着けていると、扉がノックされる。

「少将、伝令です」

 伝令……

 アンディが扉まで移動し、事務官から封筒を預かる。

 扉が閉まる…と思った瞬間、別の事務官が飛び込んで来た。

「少将!伯爵邸より至急の知らせです!」

 ………はっ!?至急……?

 思わず目が合ったアンディが、〝開けろ〟とサインを出してくる。

 どちらを……と聞く事もなく、差し出された二つの書付けを同時に開く。


『アクロイド少将、至急元帥の執務室まで参上されたし』

『ウィンストン公爵夫人来邸。至急戻られたし』


 ……もしや、私は何かしたのだろうか。

  




『9月8日 雷ところどころ吹雪のち嵐

 いつもよりものすごく早く帰って来られた旦那様は、なぜかひたすら謝られていたの。だから私もひたすら謝ったわ。訳が分からない顔をされる旦那様にお母様からの招待状をお出ししたら、消えそうな声で『三枚目……』と仰ったの。一日に三枚も招待状を貰われるなんて旦那様は人気者なのね。』

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