4月10日
「…奥様、お茶のお時間でございます」
「茶葉を数種類ご用意させて頂きました。お好みを教えて下さいませ」
春の陽射しが心地良い昼下がり、居間を陣取る私にアクロイド邸のメイドたちが静々と茶を準備する。
当主の破天荒さに比べ使用人の躾が行き届いているところを見ると、前伯爵夫妻はきちんとした方達だったのだろう。
「やぁねえ、奥様だなんて!レジーナよ、レジーナって呼んで頂戴?」
「で、ですが……」
「だって奥様なんてその内いなくな……コホン、あなた達私とそう変わらない年頃でしょう?私だけ奥様なんて寂しいじゃない」
「し、しかし……」
少しだけ上目遣いでメイドを口説いていると、右後方から鋭いツッコミが入る。
「馬鹿なことを言ってないで、当主夫人らしく威厳を持って接して下さい!メイドにはメイドの矜持があります」
メルである。
「…あら、急に耳が悪くなったみたい。ほらあなたたち、パティスリー・ナダメールの新作よ?ナダメール知ってるかしら。店主はとても愉快で……ええと…一緒にどう?」
せっかく私の周りからいなくなったのに、実家のマナー教師のように煩いメルの言葉を自然に聞き流し、なおもメイドの懐柔に精を出す。
一週間かけてアクロイド邸の見取り図を完成させた私は、次の攻略対象をじっくりと見定めた。
それはもちろん邸を守る使用人である。自由で素敵な伯爵邸生活のためには、彼らの協力が欠かせない。
…実はわたくし、息を吸って吐く以外の日常生活は自分一人でやらせてもらった事が無いのよね……。
だからこの一年で着替えと湯浴みぐらいは一人で出来るようになりたいのだ。
そのためには、ある程度お目こぼしをしてくれる柔軟性に富んだメイドが必要……。
お菓子を勧める私に二人が首を振り、一歩後ずさる。
「主人と同じ席に着くなど……」
あら、本当にしっかりと教育されているのねえ。一筋縄ではいかないみたい。
「…そうよね、やっぱり私と同じテーブルなんて気が休まらないわよね。私ずっと家庭学習だったから、同じくらいの歳の友人を持つのが夢だったの。学校……行ってみたかったわ。きっと賑やかなのでしょうね……くすん」
泣き落とし……これならどうかしら?
そう思いながらハンカチを頬に当てつつ顔を上げると、右後方から犬の遠吠えのような声が聞こえて来た。
「レ、レジーナさまぁぁぁぁ!!何とおいたわしや!!うぉぉんうおぉん!!ほれ!そこのメイドたち、何をボサッと突っ立っている!!早く席につかぬか!!」
「「は、はいっっ!!」」
………メル……御し易し。
変な詐欺に引っかからないといいのだけれど。
「そう、二人はリタとアナというのね。年はいくつなの?」
可愛いわぁ!やっぱり昼下がりはこうでなきゃ。
目の前には美味しいお菓子と可愛い女の子。
仏頂面の使用人に囲まれて育った私にとって、眼福ともいえるこのひと時……。
「私は18歳、隣のアナは16歳でございます」
賢そうな黒髪のリタが応える。
「わたしは父がこちらのお邸で庭師をしている伝手で最近お世話になり始めました」
おっとりした栗毛のアナが一生懸命自己紹介してくれる。
「…可愛い……可愛いわ!!女の子というのはこんなに可愛い生き物なの!?ほら、もっとお食べなさい!よかったら包んで持って行って頂戴!!」
メルが私をチラッと見て呟く。
「…レジーナ様、孫娘を持った老婦人みたいですよ」
孫は……少し早いかしら。
「奥……レジーナ様、お辛くは無いですか?旦那様は元々お邸には滅多に帰られない方ではあるのですが、まさかあのような仕打ちをなさるとは……」
リタの顔が複雑に歪む。
「まあ!心配してくれるのね。嬉しいわ!辛いとか辛く無いとかどうでもいいの。私はこの昼下がりのひと時があれば幸せだわ」
…とか何とか言ってみて………
「レ、レジーナさまぁぁ!!メルは……メルは一生お側におりますからぁぁぁ!!うぉーんうぉーん!!」
一生って……あなた自分の結婚はどうするつもりなのよ。
「レジーナ様、ご不便があればいつでもお申し付け下さい。公爵邸とは比べ物にはならないでしょうが、私とこちらのアナ、レジーナ様のために精一杯勤めさせて頂きますので」
「まあ……!」
どうしましょう、なんだか…凄く嬉しいわ。
攻略対象なんて彼女たちにとても失礼だったわね。
「…ありがとう。わたくしの方こそ頼りない主人で申し訳ないわ……」
俯いてポツリと呟けば、気を遣ってくれたのか、アナが明るい声を出す。
「レジーナ様!気分転換に観覧用のお衣装を作られたらいかがですか?もうすぐ御前試合の季節ですよ!」
……御前試合。
何のことかしら?
平穏…平和…長閑……である。
おかしい。どう考えてもおかしい。
つい先日見知らぬ小娘と結婚したはずである。
そしてその小娘を邸に残して姿を消して、私は今まで通り単身寮で暮らして……いや、全ては夢の中の出来事だったのかもしれない。
私が結婚などする訳が無いし、見知らぬ小娘が邸にいる訳が無い。
そうだ、全ては夢………
「……な訳が無いだろう!!」
ビュッと剣を振ると、側で悲鳴が上がる。
「し、師団長!?勘弁してください!!俺の頭かち割る気ですか!?」
部下の声に我に返って辺りを見回す。
…演武場?いつの間にここに?
「エドガー何してんの!?師団長が隣にいたら若いのが恐縮するだろ!御前試合まで残りわずかだってのに!……ったく、手ぇ取らすな!」
アンディに襟首を引き摺られながら思い出した。
御前試合………そうだった。
毎年毎年面倒くさいとしか言いようが無いこの季節。国王臨席のもと行われる軍人同士の模擬試合。
そういった行事は近衛や王宮警備隊だけでやればいいものを、実戦部隊の国境防衛軍各師団まで何故動員されるのかサッパリ意味が分からない。
私が率いる第一師団は、最悪なことに今年は剣舞の披露をあてがわれた。目ぼしい人員を駐屯地から召集し、彼らの訓練を見ていたはずが……。
「……本音では実戦でクソの役にも立たない剣舞などどうでもいいが、総合評点で他の師団には負けられない。この先一年の新装備の優先確保権がかかっている」
「だーからこうして訓練してるんだろ!ほんとにどうした…あ、そろそろ奥さんが気になっ……むぐっ!むがっ!!」
ペラペラと煩いアンディの口を捻り上げる。
「……だまれ」
気になるかだと?違う。そろそろ届くはずの紙切れが、いつまで経っても手元に来ない事に苛々しているのだ。
十日だぞ?十日。甘やかされた公爵家の令嬢なら癇癪の一つも爆発させて、恨みつらみを書き連ねた手紙をしたためる頃だろう?
実家に帰らせて頂きます…とか何とかあるだろうが!
何なのだ…。なぜこんなに何も無い……。
そもそも、邸の皆は何をしているのだ?
…便りがないのは無事の証拠………いやいやいや、無事でどうする。家財の損害、負傷者数、財政悪化の知らせを早く持って来い。
公爵家に熨斗つけて娘を返却出来る状況証拠を確保しろ。
再び訓練から意識が逸れた私の耳に、部下同士の会話が入って来た。
「そうだアンディ副長、観覧会の招待状って一枚で何人まで招待できるんすか?」
「ん?ああ…二人だったかな。何で?」
「なんか故郷の両親がばあちゃん連れて観にくるって言ってんすよね。うち妹もいるから足りないなー」
……招待状。
「いや、実家には名簿に登録してる家族の人数分王宮から送られてるだろ?それ一枚につき二人……だったよな?エドガー」
…招待状……家族への招待状………
「アンディ!招待状は何月何日付の名簿で作られる!」
「…は?」
王宮官吏とてそんなに暇じゃないはずだ。だとすれば普通に考えれば年度始め……うむ、問題無いな。
何も…問題無い。
『4月10日 快晴
お菓子と女子トークは最高ね。正直不安だったの。アクロイド家最大の難所は女性陣だって思ってたから。女同士って何かと難しいじゃない?…あら、いくら思い返しても一度もそんな経験無かったわ。リタとアナとは友だちにはなれなかったけれど、きっと楽しくやっていけると思うの。明日は御前試合について調べなくちゃ!』




