8月31日 後編
「……っっ馬鹿かお前はっっ!!民間人相手に剣を抜いてどうする!!」
「……事件かと」
「はあっっ!?お前の英雄ロードをストリートで終わらせてどうするんだよ!!」
まぁ……!アンディ様はなかなかシャレの効いた台詞をおっしゃるわね。詩でも詠まれるのかしら。
ここは見慣れぬ馬車の中。…多分夢の世界。
夢の世界で旦那様によく似た人が叱られている。アンディ様によく似た人に。
それは突風のようだった。
歌劇団のおねえさ……お兄様?に声をかけられ、立ち話がてら次回の公演などについて尋ねていた時だった。
強い風が吹きつけたかと思えば、あっという間に目の前が暗くなり、そしてあっという間に暗闇が晴れた。
「…ねぇ、メル?何が起きたか見ていた?わたくしぼんやりしてたみたいで……」
夢の馬車に一緒に乗り込んだメルにコソコソ話しかけてみる。
「…あれはぼんやりしていなくても見逃すでしょうね。ですが私メイベル・カーター、レジーナ様のお側にいる時はまばたき禁止ですから。バッチリ!見ておりました」
そんな設定初めて聞いたから、やっぱりここは夢の中だわ。
「…まず、前方右座席に座る、旦那様によく似た機械人形が風のような速さでレジーナ様と黒髪の間に割って入りました」
「ふむふむ?」
「そして次に前方左座席に座る、そこそこ常識的そうな軍人が、これまた風のような速さで機械人形を捕まえました」
「まあ……。お人形壊れなかったかしら。とても精巧ですもの。きっと修理代がすごく高いでしょうね」
コッソリ呟いたつもりが、斜め左のアンディ様によく似た男性の肩が震え出す。
そして旦那様によく似たお人形が項垂れた。
「…ププ……ク…クク……続かない……緊張感が…ダメだ!」
「よもや二か月で生物としても認識されなくなるとは…」
え…?もしかして…もしかしてもしかして…
「だ…旦那様!?」
行儀作法などそっちのけでガタッと馬車の中で立ち上がる。
「ば、馬鹿者!馬車の中で立つ……ぐぇっ!」
お約束ともいえる場面でつんのめる私の頭を、旦那様の腹筋が受け止める。
「旦那様!?本当に本物の旦那様ですの!?お顔を見せて下さいまし!」
床に落ちた帽子もそのままに、旦那様の顔を両手で挟み覗き込む。
「や…やめほ……!はなはぬか!」
藍色の瞳…シルバーブロンドの髪……そして何よりも キラキラ…キラキラ……
「……だんなさま…?…だんなさま…だんな…さま…」
「レジーナ…?」
頬に当てていた両手が解かれる。
私の目に再び映る、少し眉根の寄った藍色の瞳に胸が張りさけそうになる。
「………ひくっ、ひくっ…」
何してるのよ、泣くなんて淑女失格だわ。常に微笑んで堂々と、堂々とお帰りなさいを言わなければ…
「レ、レジーナ、その…何だ、悪かった。心配かけたのだな?大丈夫、こうして無事に…」
グッと涙を飲み込み、旦那様の言葉に続ける。
「……取り乱して申し訳ございませんでした。無事のお帰り、心よりお慶び申し上げ……」
背中に回った長い腕に体ごと巻き取られたのは、一瞬の出来事だった。
私の腕の中でクタッと気を失ってしまったレジーナにハッと意識が覚醒する。
「ま…まずい!力を込めすぎたようだ!」
焦りながら馬車内を見回せば、冷たい二つの視線を感じる。
「……旦那様がよろしければ、寝かせて差し上げて下さい」
一つ目の冷たい視線の持ち主、レジーナの侍女が言葉を発する。
「寝……ている?」
「ええ。…レジーナ様はこのところ眠りが浅かったようでございますので」
再び腕の中に収まったレジーナの顔を見る。
白い肌は相変わらずだが、確かに少し顔色が悪い。
「ほら、横たえろ」
言いながら、二つ目の冷たい視線の持ち主アンディが対面に席を移る。
「あ、ああ」
空いた席にレジーナを寝かせ、膝の上に頭を載せる。
「はぁ〜ん、お前も若い嫁さんには形無しだな。部下に見せてやりたいぜ。ったく」
……不可抗力だろう?これは不可抗力だ。
「よかったな、エドガー。可愛いんだろ?いや、可愛いに決まってるよなぁ!?」
…可愛い………。
二か月ぶりだというのに、通り掛かりに目に映ったのはレジーナだとすぐに分かった。
私だって数回しか見た事がない自然な笑顔を向けている相手が男だと分かって思考が止まった。
「…可愛い……のかもしれん」
思わずボソッと呟けば、侍女の目がカッと見開かれる。
「当然でございますっ!世界広しと言えども、レジーナ様ほどお美しくて可愛らしい方はいらっしゃいません!!ただ一つ……頭の回路だけが常人の域を飛び出して……いえ、下々の者には理解出来ない世界で生きて……ああレジーナ様…、口さえ開かなければ完璧でございますのにっ!!」
……この侍女も面白人間だったか。
「…メイベルと言ったな。レジーナに何かあったのか?…眠れていないとは…」
そう問えば、メイベルが深い溜息をこぼす。
「……このところ随分とお悩みでございました。正確には8月10日から…でございますね」
メイベルが手元の帳面を捲りながら応える。
「8月10日…?」
「左様でございます。…私ども王都に住まう人間に、東国との開戦が知らされた日でございます」
「!」
この言葉に反応したのは私だけでは無かった。
「ちょっと待ってメイベルちゃん」
「……メイベルちゃん…?何でございましょう、ケイヒル大佐」
…出来る。この侍女は面白人間なだけでは無い。会った事も無いアンディの事も調べ上げている。
「間違いなく8月10日なの?開戦の報知……」
メイベルが頷く。
「間違いございません。伯爵邸の執事が慌てて朝刊を持って参りました。…その日からレジーナ様は二日おきに町に出ては、先ほどの通りを歩き回っておいででした」
今度はメイベルがメモ帳を取り出し、私に見せる。
「…今日の今日まで何をなさっているのか尋ねる事はしませんでした。……どうやら物価の変化から戦局を確かめようとなさっていたようですね」
メイベルが差し出したメモ帳には、各商店ごとに品物と金額が日付とともに書かれている。
「戦局を?レジーナが?」
メイベルが頷く。
「この度の東部での戦に関する知らせは、おかしな事ばかりだったのでございます」
思わずアンディと目配せをし合う。
…おかしいのは分かっている。あれほど大規模な軍を機密で動かすなど前例が無い。
それに加えて王都で開戦が伝えられたのが実際よりも二十日も後など…。
「メイベルちゃん、よかったら君が感じたおかしな点を話してみてもらえない?レジーナちゃんの眠れなかった理由もきっと同じところにあるんでしょ。少しは答えてあげられるかも」
アンディ、さすがは人…女たらし。息を吐くように懐柔しようとするものだ。
しかしこの侍女も負けてはいない。虫ケラを見るような目は崩れない。
「…畏まりました。まず一つ目、レジーナ様は、今のところ、アクロイド少将夫人でございます」
そして『今のところ』を強調するな。
「レジーナ様だけではございません。その他の将官のご夫人方にも本件は知らされておりませんでした」
「へぇ、そうなんだね。なるほどなるほど…」
…機密だったからな。それは心苦しくは思ったが……。
「二つ目、通常であれば新聞紙面を賑わすはずの、各部隊の活躍記事が一つもありませんでした。…毎日淡々と、国境線より何キロの地点で交戦中とだけ」
「…それは本当か?アンディ、どう思う」
いつもは陽気な男も、眉間に皺を寄せて考えこんでいる。
メイベルが静かに口を開いた。
「レジーナ様が仰るには、大々的な活躍記事が出ないと貴族からの寄付が集まらないのだから、さすがにこの状況はおかしいと。……新聞が身近に読める人間の中にスパイがいるのでは無いか、だとすれば旦那様やアーネスト様のように高等教育を受けた人間のはずだから、すごい肩書の凄腕スパイだと……」
「「!!」」
「…どこまで冗談なのか分かりかねる方ですが……旦那様が窮地に立たれていると思われたのでしょう」
膝の上で青白い顔で眠るレジーナを見つめる。
…生まれて初めて……胸が焼けそうに熱かった。
『8月31日 晴れ、局所的強風
今日は本当に驚いたわ。目の前に旦那様が現れた事にも驚いたし、泣いてしまった事にも驚いたし、それより何より目が覚めたら旦那様の膝の上という状況には、口から内臓が全部出るほど驚いたわ!私の頭…どのぐらいの重さなのかしら。どうやったら頭の重さだけを測ることができるのかしら。ご迷惑をかけたお詫びに、頭の重さの分だけ金貨をお包みした方がよろしいのかしら。……お金はどこに行けば手に入るの?』




