8月10日
「…開戦?それは戦が始まったということ?」
その知らせは青い顔で朝刊を持って来たダンテよりもたらされた。
旦那様のご両親が領地へ帰られるのをお見送りしたニ日後のことだった。
「…左様でございます。しかも記事によると開戦日は7月21日。二十日も前でございます」
怠けた体に鞭打つべく邸の庭をウロウロと散歩をしていた私を見つけ出し、走って追いかけて来たことにダンテの焦りが見え隠れする。
「二十日?そんなことって…あるの?貴族の小さなスキャンダルだって翌日には新聞記事が出るのよ?」
ダンテがしばし目を伏せ、こう呟いた。
「……箝口令が敷かれていたのかと………」
「……メル、わたくしどうすればいいのかしら。頭の中がグチャグチャで何も手につかないの」
意外と可愛いものが好きなメルによって、やや…いや、相当過剰に華々しく整えられた自室で、ダンテから渡された新聞を何度も読み込む。
…第一から第七までの師団が東部に集結……こんな大掛かりな戦が起こっていたなんて、先ほどまでは思いもしなかった。
旦那様は今東部にいらっしゃるんだわ。どうして何も知らせが無かったの?私には必要無いと思われたとしても、お義父様とお義母様もご存知無かったはずよ。
…違うわ、王都中が知らなかったのよ。お義母様とたくさん買い物に出かけたけれど、そんな空気は何も感じなかったもの。
おそらく眉間に皺でも寄っていたのだろう。
私の様子を見かねて、メルが口を開く。
「……レジーナ様、レジーナ様のお好きになされたらよろしいのです。あ、トラブルはごめん被りますよ?旦那様を心配して涙を流すもよし、気にならない振りをして明るく振る舞うもよし。…まぁその前に……いつものやりましょうか」
いつもの……
「そうね、メル!久しぶりに探偵団やりましょう!」
「………考察って言ってもらえませんか。さすがに恥ずかしいので」
実家で問題事が起こると、メルと二人でこうして探偵になりきって、ああでも無い、こうでも無いと好き勝手に言葉にしたものだ。
「メロ君、今回の件君はどう思うかね。開戦などという重大事、軍人家族にも秘密にされることなのだろうか」
鼻の下に髭を生やした体で語り出す。
「…ゴホッ!そこからやるんですか!?」
「当たり前でしょ。気分乗らないじゃない」
髭をクルクルする真似をしながら言う。
「…どーこが何も手につかないんですか……。ったく…ええと、ミスター・レジオ、僕は普通では有り得ない事だと思いますね。ただでさえ軍人の夫人会は発言力が強いのに、秘密にするなんて後が怖いですよ」
ふむふむ。メルも乗って来たわね?
「ではその普通では有り得ない箝口令がなぜ敷かれたのか…だが」
「そうですね、極秘で何かを進めたかった、聞かせたく無い人間がいた…」
極秘……外に漏れるのを防ぐ……。
外ってどこ?東国…のはず無いわ。開戦の事実をその相手が知らないわけないもの。外の反対は内……内の範囲はどこまで?内に聞かせたく無い人間が……
「なるほどメロ君!きっとスパイがいるのだよ。新聞屋に!!」
「は…はあっ!?…ゴホッ…新聞屋のスパイ……了解しました」
箝口令の方は完璧に解決できたわね。
あとは……
「メロ君、私は悩んでいるのだ。私に旦那様…エドガー氏を心配する権利などあるのだろうかと。だん…エドガー氏はそんな事望むだろうかと……」
ご両親にお会いして、望まれ無い結婚だったとはこれっぽっちも思わない。お二人ともとても優しくて、娘が出来て嬉しいと何度も言って下さった。
でも…旦那様が望まないのでは意味が無い。
「わた…僕はエドガーなんて男大嫌いですけどね。でも、国のために戦場に立つ人間を想う事の何が悪いのか分かりません。無事を願って当然です」
「メル……」
「ついでに言っておくと、多分エドガーとかいう男はケロッとして帰ってきますよ」
「え……そうなの?どうしてそう思うの?」
あ、ミスター・レジオの設定忘れちゃったわ……。
メルが溜息をつく。
「…レジーナ様に会いたいからに決まってるじゃないですか。あの機械人形みたいな男が毎日毎日邸に帰って来ちゃレジーナレジーナって……」
「え?私何かしたかしら…。怒らせた事はあったのだけど」
「…………けっ、ザマミロ」
「まぁ…」
メルが凄く悪い言葉を使ったけど、今は探偵団所属の下町の男の子だから見逃した。
タンタンタンタンタンタントンタンタンカタカタカタカタカタカタカタカタ………
あー……この時間は苦手だ。耐え難い。
「……師団長…?」
座して待つ事ほど精神力が必要な苦行はあるだろうか。
「…アクロイド師団長………っておい!エドガーうるせえよ!!タカタカタンタン、せめて足か手のどっちかに……」
「ぁあっ?」
「こ…こえぇぇ!」
ふんっ、怖いもクソもあるか!なぜお前はいつもいつもてれ〜んとした顔でいられるのだ。
「エドガー、落ち着け。大丈夫だ。作戦は上手くいってるし、あー…少々の怪我人は出てるが死人は出てない」
アンディがこわごわ持って来る報告書をバッと奪うと上から下まで舐め回すように読む。
…河北に姿を見せた北国軍の東国軍との合流を阻止。北国の国境線まで追撃……。
よし。第一師団に下された任務は概ね順調だ。あとは…
「アンディ、各隊に深追いするなと伝えろ。第一、第二連隊は東に展開。囲い込め」
「ラジャ!」
東部国境線からやや北に設けられた拠点の天幕の中で、アンディが部下に伝令を出すのをジッと見る。
……はぁ………胃が痛い。
何度経験しても慣れない。絶対に自分で戦場に立った方が気が楽だ。
ゲイルの読み通り北国と東国は手を組んでいた。北国がグズグズしていたのはまさに東国のための時間稼ぎで、開戦から少し遅れて河を南下して来た。
ほとんどの戦力を東国の侵攻からの迎撃に充てた今回の戦、第一師団はその戦力の特性から独立して北国からの援軍と交戦中だ。
第一師団の特性…それは全師団中最速の機動力。
私は体が大きかろうが力が強かろうが、動きが遅い人間が好きでは無い。だから新入隊員の選抜の時に足が早い人間ばかりを選んでいたらそうなった。
…というか、それ以外にどこを見ればいいのか分からん。
だからという訳では無いが、必然的に第一師団は足腰の強い農民出身者が多い。
はっきり言って、大変である。だけど彼らはよく働く。いつも二つ返事で……能天気というか何というか…そのあたりは第二師団といい勝負だろう。
第三師団は貴族の生まれの者が多いと聞く。だからなのか、御前試合での集団演舞は見事なものだ。
来年からはうちの師団はきっちり外してもらおう。
「エドガー、暫くは睨み合いになると思うぞ。どうする?」
地図上で陣形を展開するアンディが訊ねる。
「…長引くようなら出る。敵の指揮官をマークしておけ」
「ラジャ!…いいよなぁ、二つ名があるヤツは。顔見せなきゃ見せないで相手は困惑するし、顔出しゃ相手はビビるしよ」
……このアホは本気でいつかぶちのめす。
「…なーんてな。それだけ体張って来たって事だ。ほーんと珍しいよ。仲間のピンチに駆けつける、我らが頼もしいリーダーだ」
リーダー……?コイツから上官に対する敬意など感じた事はないが。
「……何か企んでるのか?」
「はあ?だってそうだろ。……あー…いいや、とりあえず今回も!みんなで一緒に帰ろうや」
「…変なヤツだな」
天幕を出て、前線に食糧を送る準備をする兵士達の様子を見る。
……アレさえもっとまともならば……いや違うな。そこそこでいい。そこそこ英気を養える味であればいい。
最後には生きて家族の元に帰りたいと思わせる、そんな味ならば良いのだ。
『8月10日 曇りのち雨
以前の日記に大切な事を書いていたわ。どうしてすぐに出て来ないのかしら。私と旦那様の婚約が取り決められてからほんの少し後に、第二王子殿下も王宮にご婚約者を迎えられたのよ。間違いなく東国出身の姫君だったわ。成婚なさった際にはお父様もお兄様も「これで安泰だ」と仰っていたのに、どうして戦なんてことになるの?』




