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7月18日

 バタバタしている。

 邸中がバタバタしている。

 バタバタしている割に皆嬉しそうなのは、きっと長年仕えて来た前当主夫妻……つまり旦那様のご両親がお帰りになるからだ。


 記憶にほとんど残っていない結婚式のあと、旦那様のご両親はようやく息子が片付いた…?記念に長旅へと出られたらしい。

 ダンテに教わった限りでは、アクロイド伯爵家は流通業を主要な生業とする珍しい家ということだった。

 領地の特産品を国中に運ぶ傍ら…逆だったかしら、国中の特産品を領地に…?

 街道を整備して宿を建てて…ええと…ああ駄目、5分前より頭が悪くなっているわ。

 

 結婚式の間中お母様の鋭い視線が気になって、指先一本に至るまでガチガチに集中して振る舞っていた私は、申し訳無い事にお二人とどんな会話を交わしたかも覚えていない。

 旦那様以外は和やかな雰囲気だったように思うのだけど…。


 前当主夫妻のために休みなく働く使用人をよそに、私はメルと二人で居間の隅っこに座り、ダンテから借りた伯爵家の系譜図なんかを眺めている。

 婚約が決まった時にお父様から聞かされたのは、『アクロイド伯爵家とは古い付き合いでね。当主夫妻は人柄も善良で、信頼に足る家だよ』という言葉。お母様に至っては、『暮らし向きの心配は一切不要』の一言だけ。

 …まあ、私も詳しくは聞かなかったのだけど、今となってはちゃんと聞いておくべきだったのよね。

 

 後悔しても遅いのだが、自分の楽しみを優先させて相手の事を知ろうともしなかった私は本当に愚かだ。

 年上の伯爵に嫁ぐくらいの気持ちではいけなかった。

 軍人として生きるあの方の思いを知っていれば、両親に生まれて初めての駄々をこねて、婚約を破談に出来たのに。

「…わたくしって駄目な人間だわ」

 呟きつつ家系図を一枚めくった瞬間だった。


「レジーナ様こちらでしたか!」

 アナが私を見て扉の前で手をバタバタしている。

 …何事かしら?

 家系図をめくる手を止め入り口付近に目をやると、今度はナンシーが血相変えてやって来た。

「奥様っっ!大変でございますっっ!!」

「どうしたの?何か足りないものでもあったかしら」


 今日はコソコソ大人しくしているが、実は今回ご両親の迎え入れ準備という重大ミッションを与えられた。

 客人を迎える準備は女主人の仕事。食器やカトラリーを選び、テーブルクロスやカーテンを替え、邸に花など飾ってみた。

 そう、私にはまだ帰る場所が無い。

 ここに置いて頂く以上、例え名ばかりでもお役目は果たさねばならない。

 アクロイド伯爵家の皆さまには本当に申し訳無いが、女主人としての初仕事をさせて頂いたのだ。


「大旦那様と大奥様ご到着でございます。今男衆が表門まで出迎えに…」

 ご到着……

「ええっ!?お早いわね!もしかして昼なのにアクロイド流星群が流れたのかしら!」

「レジーナ様、何か上手いこと言おうとしている場合ではございません!いいですか?レジーナ様は天才レジーナ様は記憶力抜群レジーナ様は淑女の中の淑女……」

「メ、メル、やめて頂戴!」

 余計に緊張するじゃない!


「と…とにかくお出迎えよ!全員整列!!」

「「はいっ!!」」



 そう、完璧な淑女たるもの、たとえ体重を落としても保たねばならないものがある。

 それは体幹。

 美しいお辞儀は体幹で決まる……ぐっ…重いわ…!体が重い……!!

 落とすどころか増し増しの体重を必死に膝で支え、声だけは軽やかに述べる。

「おかえりなさいませ、お義父さま、お義母さ……」

「きゃーー!レジーナちゃんっっ!!」

「まっ、ぐっぐえっっ!!」

 突然圧迫された肺に、潰れたカエルのような声が出る。

「本物よ!本物のレジーナちゃんよっ!あなた見てちょうだい!!」

 な、なんですの?キラキラが突然襲って来ましたわ!く……くるしひ…!!

「こらこらシエラ、ついこの間結婚式で会っただろう?ついでにレジーナさんが天に召されようとしている。落ち着きなさい」

「あらやだ、私ったら興奮しちゃって…ごめんなさいね」


 ようやく開かれた視界の先には、柔らかく微笑むキラキラ星人が二人立っていた。






 刈り取りの始まった小麦畑では、急ピッチで迎撃の準備が進められていた。

 黄金色の列が消えるたびに高まる緊張感。

 来たるべき時のために、各師団は国境線から後方に設けられた拠点で兵の練度を高めるべく訓練を重ねている。


「やってる?」

 師団長にあてがわれた天幕で陣形の確認をしていた私の元に、先触れも無しに男が入って来る。

「……アンディ、ここには機密文書も山のようにあるのだぞ。せめて一言……」

「ん?おお、入るぞーっと」

 ………コイツに小言は無意味だな。

「何の用だ。暇なら図を描くのを手伝え」

 ペラッと紙を差し出せば、心得たとばかりにアンディが側に寄って来る。

「相変わらずマメだなぁ。ふむふむ…これはまた味のある絵ですこと。え、コレ馬?」

「…………黙れ」


 私が第一師団を率いるにあたって最も頭を抱えているのが、その識字率の低さだ。

 慣れ親しんだ南部の防衛だけなら、隊長クラスへの伝令でもある程度問題は無い。

 だが土地勘その他諸々足りない中で末端まで正しく作戦を理解させるには、それ相応の努力がいる。

「お前には頭が下がるよ。毎日毎日寝る間も惜しんで作戦内容を図解してやるなんて、ほーんと部下には優しいよな」

 指令書を読み解きながらアンディが呟く。

「当たり前だ。だがお前には未来永劫欠片も優しくしない決意をこの地で固めた」

「え、ひどい」


 どうせ何も気にしていないだろう男と二人、せっせと絵図を描き起こしながら今回与えられた作戦についてしばらく議論を交わしていると、突然アンディが間抜けな声を出した。

「あ、そういやエドガー、南の駐屯地から手紙が転送されて来てるぞ」

 そう言って目の前に差し出された封筒。

「手紙…?私宛にか」

「ああ。ざーんねん、レジーナちゃんからじゃないよ。おっと大変……アクロイド突撃隊長からだ」

「!!」

 は……ははうえ……!?

 嫌な予感がする。背筋にゾワゾワっと悪寒が走る。

「よ、寄越せ!部屋を出ろ!……何事もなかったように静かに出ろ!」

 アンディがニヤニヤしながら後ろ手を振る。

「へいへーい。…ププ、ウケる」


 ウケない、何も面白く無い!

 母上からの手紙、母上から届くのは………たいてい面倒臭い恐怖の手紙だ。

 どこそこの店の何それを送れだとか、あちらこちらで誰々に会って来いとか、極めつけは了承してもいない結婚式の衣装デザインを100通りほど送り付けて来た。しかも女性用。

 ふざけるなという気持ちで無視を決め込んでいたら、軍の緊急通信で督促を出して来た。

 忘れもしない、当時顔も知らなかった婚約者の為に、ただでさえ不足気味な睡眠時間を削って、分かりもしないドレスを選ぶはめになった事件だ。

 …しかも選んだドレスは採用されていなかった。

 

 母上は私がどれだけ忙しいのか分かっていないのだ。人の話は聞いていないし、聞いたとしても従わない。

 その母上から手紙……。

 開くべきか数分悩んだあと、おそるおそる封筒から便箋を取り出し目を滑らせる。



『は〜いエドガー!親不孝な中年息子を持つお母様ですよ。

 国内一周旅行はとても楽しかったわ。あなたとレジーナちゃんにたくさんお土産を買ったから楽しみにしててね。

 そうそう、絵師に頼んでいた結婚式の姿絵が完成したようだから、受け取りついでに王都の邸の皆に会いに行くわ。大きさは特大で発注したの。メインホールに飾るつもり!

 本当にあなたは無愛想で口数が少なくてつまらない息子だけど、レジーナちゃんをお嫁に貰った事は手放しで褒めてあげる。大・金・星!!

 レジーナちゃんてすごいのよ。どこに行っても有名人なの。今まではアクロイドですって名乗ったら『あの流星の?』とか本気でつまらない返しをされたものだけど、最近じゃ『ああ、姫様の!』って言われるの。レジーナちゃんが身に付けたドレスをシリーズ化して商会で売り出す計画もあるから、あなたがたくさんパーティーに連れて行くのよ!

 さて、ようやく一つ親孝行をしたあなたに、レジーナ姫私設応援団特別団員証を贈呈します!いつも胸に飾って団員としての広報活動に従事してちょうだい。じゃあね!』


 便箋を持つ手がワナワナ震える。

 じゃあね……では無い!応援団とは何だ!広報活動?

 そして長い!無駄に長い!

 邸に帰るだと?なぜあえて私が居ない隙を狙って来るのだ!

 駐屯地に手紙を送り付けたのだから故意だろう!!


 突撃爆弾母上と異星人レジーナがぶつかり合う……。

 母上は我が道を最速で突っ走って、レジーナはそもそも道さえ歩いているのかどうか不明なんだぞ?出会い頭に衝突事故でも起こって、邸を出て行ったりしたら……


 そこまで考えてハタと気づく。

 今おかしな事を考えなかったか?

 レジーナが出て行く…?

 嫁姑問題が原因で実家に…となると、振り出しに…戻る?

「………………。」

 机に置いた封筒を振ると、一枚の金貨が出てきた。…金貨を模した、メダルが。

「……母上、誰にどうやってこれを彫らせたのだ」


 メダルには、まるでどこぞの君主の横顔のように、遠くを見つめるレジーナがあしらわれていた。

 




『7月25日 つむじ風

 こんなにまばたきをした事は未だかつてなかったわ。旦那様ってお義母様そっくりなの!髪の色だけはお義父様譲りでいらっしゃるんだけど、とにかくキラキラが眩しくて。もっと邸を派手に飾るべきだったわ。旦那様のご両親はきっと質実剛健、質素倹約を旨とされるような方々だと思い込んでいたの。出るわ出るわの大量のお土産…というか着せ替えドレスの山!本当にどうしましょう。毎日違うドレスでパーティーに出ても、冬までかかりそうなのだけど。』

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