7月6日
なぜ軍人の奥様方が夫人会を組織されているのか、その理由が少し分かった気がする。
…皆不安で仕方がないのだ。明日をも知れぬ我が身が。
「少将夫人はいかがお過ごし?御夫君と離れての生活は寂しいでしょう」
「まぁ!中将夫人、お気遣い頂きありがとうございます。そうですね、寂しいような…より身近に感じるような…不思議な気分ですわ」
二度目の夫人会への招待状は、夏の盛りにやって来た。
前回と違うのは、今回指定された場所が個人宅である事と、佐官と呼ばれる役職以上のご夫人が集められたという事。
飛び交う会話も難しく、壮行会で挨拶済みとは言えピチピチの新入りである私は大人しく聞くに徹している…はずが。
「あら、身近に感じるとは素敵なお言葉。どんな時に少将を身近に感じられるの?」
「ええと…お元気かしらと思ってみたり、どんな風景をご覧になっているのかしらと思ってみたり……」
先ほどから私にグイグイ話しかけて下さっているのは、今日の主催者であり、ええと…何とか部門参謀副長という、とても固そうな肩書の御主人を持つ中将夫人。
お母様と同年代であろう彼女は、コロコロと笑う陽気な方だ。
「まあまあ、若いっていいわねぇ…!私ぐらいになると、夫がどこの馬の骨とも分からない女に騙されていないか、突然子どもを連れて帰らないか、そのぐらいしか考える事はなくってよ。ホホホ」
ほ…ほほほ…?
「あら私もですわ。駐屯地から届く請求書を見ては壁にナイフで突き刺してますの」「まぁ大佐のところも?うちなんて先日買った覚えの無い宝飾品の請求書が届きましたわ」「うちもよ!本当に始末が悪くて嫌になるわ」
ど…どんどん集まって来るわ…!ご夫人方が青筋立てて集まって来るわ……!
中将夫人が悟り切った顔で語る。
「まあまあ皆さん落ち着いて?それでも現地で不名誉な事件を起こすよりは百倍マシでしょう?…何よりも、生きて帰って頂く、これが何よりよ」
この言葉に場が静まった。
漏れ聞く話から察するに、軍人の奥方というのはとても不安定な立場らしい。
遠征が長引けば長引くほど、男性は〝現地妻〟を持つ可能性が高く、仮に亡くなりでもすればその瞬間に未亡人となる。
〝現地妻〟と迎える修羅場以上に、未亡人になるのは大変なことだという話だ。
「あの、中将夫人?」
扇子でパタパタと顔を仰いでいるご夫人に話しかける。
「何かしら?」
軍人の妻のベテランに聞くには稚拙な質問だと思うが、とりあえず気になる事は聞かずにいられない。
「あの、ええと…わたくしが存じている未亡人と言えばイゴール夫人なのですけれど、ご主人を亡くされても夫人会の会員資格はそのままですの?」
中将夫人が少しだけ目を見開いて、また柔らかく微笑まれる。
「…ええ、その通りよ。軍属の夫人の苦しみや悲しみを上に届けるには、未亡人の皆さんの声が最も重要なの。少将夫人はご実家に力があるでしょう?……不謹慎な事を言えば、アクロイド少将に万が一の事があっても公爵家が生活を支えてくれる…。つまり、次の嫁ぎ先を……真っ当な縁組を用意してくれる、という事」
「!」
「………ここにいる多くの夫人たちに、今より優れた〝次〟は無いの。例え夫の仕打ちに涙を流そうが……今にしがみつくしか無い」
仄暗い光を携えた夫人の瞳を見て、やはり私は色々な事を簡単に考えすぎていたのだと悟る。
…私…卑怯だったのね。
実家の公爵家を窮屈でつまらないと思ってはいても、結局のところ与えられる恩恵のおかげで旦那様との結婚をどこか他人事のように捉えていたのだ。
そうよね、そもそも旦那様に嫁ぐのに着替えを一人でするなんて事を目標にする女なんて程度が低すぎたのよ。
靴紐を自分で結ぶ旦那様には、それを上回る何かを与えられる女性でなければ……。
何か……そうね、ドッシリとした安定感…壁にナイフを突き刺す腕力、それからそれから……
他人が聞けば失礼としか言いようの無い考えを頭の中で巡らせていると、中将夫人が再び笑顔で声を出した。
「さあ!つまらない話はここまでよ、本番開始!!」
パンパンッと鳴らされる夫人の手。
と同時に色めき立つテラス。
「楽しみましょう、少将夫人。〝推し〟がいると人生潤いますわよ〜〜!!」
「お…おし………?」
悪戯っぽく飛ばされるウインクの先には、花吹雪を飛び散らせる、麗しい礼装姿のお姉様…?たちが並んでいた。
目の前に広がる穀倉地帯。
刈り取られるのを待つばかりとなった一面の小麦畑が、今を盛りに黄金色に輝いている。
「お前東部は初めてか?」
砦の屋上に立ち、国境線を眺める私の隣に筋肉ダルマが立つ。
「…馬鹿なこと言うな。最初の配属は第二師団だ。…貴様の部下だった」
「だな!あの頃の部下はいつの間にか立派なお隣さんだ。可愛かったエドガー坊やはどこに行ったんだか。…いや、可愛かった頃なんて無いな。最初からクソ生意気だった」
「…フレッカー第二師団長におかれましては、その節は大変お世話になりました。おかげ様で………」
「ガハハ!大人の階段昇りまくり?」
…貴様への敬意を全て失ったのだ。あほ。
対外的には一切秘匿として集められた場所は東部国境線。第二師団が北部に二割の人員を派遣したのと同時に、国中に散らばる第一から第七までの国境防衛師団のうちそれぞれ八割が召集された。…険しい山を流れてきた水が、緩やかな河へと表情を変えるこの場所に。
「お前んとこの煩い男はどこ行った」
…これは間違いなくアンディのことだ。
「中央拠点で待機中だ。…今回の作戦理解してるのか?東部への軍の展開は機密だろうが」
そう言えばゲイルが肩を竦める。
「そりゃそうだ。アイツに東部のいい女を紹介するって約束してたんだがな」
…これだ、これ。むさ苦しい男どもの士気を保つにも、現地の民間人女性を守る意味でも、その手の女はどうしても必要になる。
分かってはいるが上手に遊べる人間ばかりではない。部下が増えるにつれ、女絡みのトラブル処理も目に見えて増えた。
「代わりに今晩どうだ?」
「断る」
「お前なぁ、そんなんだから女どもの餌食になるんだぞ」
…聞き捨てならん。餌食とはどういう意味だ。
「『麗しの流星殿は男色』ってな。一部の女子に熱狂的大人気」
「は…はあっ!?」
「そりゃそうだろ。伯爵家の長男で出世頭の師団長がいつまで経っても独り身。いや〜膨らむ膨らむ!楽しい妄想が膨らむなぁ?…ちなみに妄想の相手はアンディだ」
………今私の魂は旅立った。もう取り戻したいとも思えない場所へ。
「ま、それもすぐに消えるな。お前ただの面食いだったんだな。選り好みしすぎだ」
…何かを反論すべきなのだろうが今日は無理だ。魂は返って来ない。
「さて、アクロイド師団長はどう考える」
ふざけてばかりだったゲイルの顔つきが変わる。
「俺は常々考えていた。北国はなぜ長い期間をかけてグズグズしているのかと。あの国が冬に軍を引かないなど異常事態だ」
ゲイルの視線が国境を睨む。
「だからずっと上申し続けた。東部に軍を寄越せとな。…俺の言うこと聞かんからこうなるんだ」
私も再び双眼鏡を覗く。
人の背丈以上ある黄金色の平野を抜けた先には、我が国と東国を分ける一本の河。そして河の向こうにも広がる黄金色の平野。
「…随分堂々と準備させたものだな」
河向こうの黄金色の隙間からは、明らかにこちらを向いた砲身が大量に並んでいる。
「おう。ここで黙って準備させた。…俺の有難い忠告に首を横に振ったのはコレだからな」
ゲイルが親指を立てる。
「…王家?なぜ王家が国の防衛に首を振る」
ゲイルがヤレヤレと言った顔をする。
「お前は伯爵様だろうが。末端貴族の俺だって分かる事がなんでピンと来ねぇんだ。あ、そういやお前は凛々しいのは顔と剣術だけだったな。速えけど。剣も出世も超速えけど」
………あえて否定も肯定もしない。
「…お家騒動だよ。第二王子の妃は東国出身だ。…あとは分かるだろ」
…なるほど……。全く分からん。王家のゴタゴタなど全く分からん。レジーナが嫁いで来なければ立ち聞きした王太子の話も右から左だった。
お家騒動……。
王宮ですれ違った王太子の靴音とともに、ふと奇妙なハンドサインを作ったレジーナの姿が脳裏に浮かぶ。
「…私はつい最近こういう言葉を聞いた。敵の敵は…味方だそうだ」
ゲイルがニヤッと笑う。
「そー言うこった。敵は北からも来る。これが分かったから元帥が王家にキレたんだろうよ。…国軍敵に回してどうやって国の舵取りする気なんだか」
王都にいては誰も口に出せない事がある。
南の駐屯地には貴族の出の者は少ない。
つまり、自分で取りに行かなければ手に入らない情報がある。
…私が貴族らしく普通に振る舞えたなら、今回の結婚の意味も即座に理解し、レジーナを無用に傷付けずに済んだのだろうか。
「…社交は……すべきなのだろうな」
ポツリと呟けば、筋肉ダルマが肩をガッと掴んで来る。
「改心したか!?よし!今夜は面食いのお前のために綺麗どころを揃えてやる!さあ行こうではないか!ガハハ…はっ!お前の嫁みたいな女が東部にいるわけないだろうが!!地獄に堕ちろ!」
よく分からんが、ここでもレジーナの何かの力が作用したようだ。
……得体の知れない何か……少し怖い。
『7月19日 晴れ
花吹雪歌劇団の皆様は本当に歌も踊りもお上手だったわ。少し声が低かった気はするけれど。いつか自分たちの劇場を持ちたいとおっしゃっていたから出資する方法を尋ねたら、控えていたメルにすごく怒られたの。どうしてかしら。とにかくご夫人の皆さまは、明日は不安だけど、今日はそれなりに謳歌されてたわね。それにしても新しい言葉がどんどん出て来るわ。そう、現地妻よ。修羅場という所に行けば会えるのかしら。』




