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6月30日

「ええと…これが南西砦奪還戦……ええと……」

「違いますよ、レジーナ様。この大きなメダルは南東砦解放戦のものです」

「ええ…?」

 

 本当にサッパリサッパリである。

 あの壮行会の日におっしゃった通り、旦那様が大きな箱を抱えて帰って来られたのは一週間前のこと。

 箱の中に無造作に投げ入れられるように詰まっていたメダルにメルと二人で度肝を抜かれたものである。

 国の南側の防衛を任されているという旦那様は、きっと沢山の功績を上げられたのだろう。


「まさかメダルの価値が一つ一つ違うなんて思いもしなかったわ。皆さまどうやって覚えてらっしゃるのかしら…」

「……根性でしょう」

 こ…根性……!

「で、でも旦那様がお優しい方で良かったわ。今と一つ前の職位で貰ったものだけでいいって仰ったし。あーよかったわ!」

 パンッと手を叩いてメルを見れば、しらっとした顔をしている。

「やさしい……ですか?へぇ………」

 な、何よ。ひたすら宝石の価値を見分けさせたお母様よりは優しいわよ!


 自室でメルとワイワイ騒いでいると、扉がノックされる。

「レジーナ様、旦那様がお戻りです」

「リタね!ありが………ええっ?」

 こんなに日が高いのに!?まさか緊急事態……?

 慌ててソファから立ち上がり、扉へと走り寄る。

「レジーナ様!お行儀が悪いですよ!!」

 背中にメルの小言を受けたのと、扉が開くのはほぼ同時だった。

 開いた扉の隙間から、とめどなくキラキラが押し寄せてくる。

 集まる…!集まるわ!キラキラが集まって……

「だ……旦那様……?」

 そう口に出せば、大きな溜息とともに声が聞こえる。

「…よくもまあ毎日毎日私の顔を忘れてくれるものだ」

「いえ…あの……お帰りなさいませ」


 深々と頭を下げながら思う。

 そう、毎日毎日…なのである。

 あの壮行会からこちら、旦那様は毎日邸に帰られるようになった。…夜中に。

 メルは旦那様が何かを企んでいると言うけれど、毎日交わすのは当たり障りのない会話だけ。…そう、寝る間際に。

 …つまり、『おかえりなさい』と『おやすみなさい』以外の言葉はほとんど交わしていない。

 

「お出迎えもせずに申し訳ございません。…何事かございましたか?お帰りには早い時間かと思いますが……」

 早いどころでは無く、昼間だし。しかも…今日は随分と珍しい格好をなさっているわね。

 いつものカチッとした服装とは違い、初めて見る普通の青年のような普段着の旦那様を遠慮なく眺め回す。

「……ジロジロ見るな」

「お断りしますわ」

 目を離すのが、なぜか凄くもったいない気がする。

「………………。」


 

 脳味噌にしっかりと旦那様の普段着バージョンを刻みつけたあと、ようやくハッと我に返る。

 本当に何があったのか、旦那様は微動だにせず部屋の入り口に立ち尽くしている。…まるで何かを待っているかのように。

 …なるほど、何か重要なお話があるのね。

 ここは私の鋭く冴え渡る勘を働かせるところだ。

「ええと…メル、しばらく下がっていてちょうだい。旦那様、よろしければ中へお入りください」

 微笑みながらそう言えば、少しだけ眉根を寄せた旦那様が深呼吸をした。

「……失礼する」

 

 よかったわ!私の勘は全くあてにならないから、逆張りして大正解ね。

 さてさて、どんなお話が飛び出すのでしょう。






 初めて入ったレジーナの部屋は、小ざっぱりしていて殆ど物が無かった。

 年頃の女性がどんな暮らしをしているかなど知りはしないが、これはおそらく、あえて部屋を整えていないのだろう。

 あの賢しらでレジーナ至上主義の権化のような侍女が側にいてこうなのだから間違いない。

 今も扉を閉めながら目を剥いて私を威嚇している。


「こちらへお掛けください」

 ニコリと微笑んでレジーナがソファを示す。

「ああ」

 返事をしながらローテーブルに目をやると、そこには勲章が並べられていた。

「ああっ申し訳ございません!ざ、雑に扱ったわけでは…」

 オタオタして片付けを始めようとするレジーナを制し、座るように促す。

「いや、構わない。……随分と数があったのだな。いつのものだ、これは」

 一つ取り上げてポツリとこぼせば、レジーナが大きく目を開く。

「だ、旦那様、根性はどうされましたの!?」

 …少し慣れはしたが、相変わらず意味不明だ。


 肺に溜めていた息を吐きながら、対面に座るレジーナに静かに告げる。

「…しばらく王都を離れる」

 レジーナの唇が『え…』と動く。

「出立は明日だ」

「明日……それは南の駐屯地に行かれるのですか?」

「………まぁ……そう…だ」

 目を伏せしばらく何事かを考えているレジーナの姿を見て改めて思う。…やはり酷だと。

 行き先さえ伝えずに邸に留めおくなど、不幸にする見本のようなものだ。

 

 

 壮行会の夜、馬車の中で聞いた衝撃発言を冷ややかに一笑に付したのは、レジーナが公爵家から連れてきた侍女だった。

『ふっ…レジーナ様は旦那様のお顔を全く覚えてらっしゃいませんでしたので!…あー…ええと、御前試合で活躍目覚ましかった赤髪の方をふた月ほど旦那様だと思われておりました』

 私だって他人の顔に特別興味は無い。だが結婚式で半日以上一緒にいた人間相手にそんな馬鹿な話があるかと思った。

 しかしあれから毎日邸に帰ってみても、レジーナは私の顔をちゃんと覚えていない様子が見て取れる。


 ……でもそれでいいのかもしれない。

 これからも彼女は私を忘れ続けるだろうし、私も珍しく興味を持った人間から再び興味を失うだけ……

「旦那様!あの、少しだけお隣に行ってもよろしいでしょうか」

「…は?…あ、ああ」

 …話聞いてたか?


 一人掛け用のソファを立ち、ツカツカと私の座る二人掛けのソファへとやって来るレジーナ。

「旦那様?少々確かめたいことがございますの。こんなに早くお発ちになるとは思わなくて、確かめる時間が全く足りませんでしたわ。今夜は無礼講…無礼講でお願いします」

 …その台詞は無礼を働く側が使う言葉じゃないからな。というか、何を確かめて何をする気だ……!

 本能的に感じる嫌な予感に身構えていると、レジーナがストンと左隣に座り、私が髪を結っていた紐を解いた。

 …は?なに…をして……

 と思ったのも一瞬、突然髪をワシャワシャと乱される。

「な、何をする!離れろ馬鹿者!!」

「あともう少しですわ!もう少しで実験結果が……出ませんわねぇ?」

 はー!?この女は……頭がおかしいのか!?

 

 グチャグチャになった髪の隙間から、もはや恐怖の対象でしか無いレジーナを凝視する。

「…旦那様はやっぱり普通の人間でしたのね……」

 な…なんなのだ。もう恐ろしすぎて言葉が出て来ないのだが。

「旦那様、わたくし旦那様にお会いするたびにキラキラが増していくような気がしておりましたの。目の前に立つお方はキラキラ星人なのか、はたまた旦那様なのか、毎日こっそりと観察していたのですわ」

 ……キラキラ星人…とは私のことなのだな?一体どういう思考回路をして……

「……それもしばらくお預けなんて寂しいですわ」

「!」

 寂しい……?

「旦那様?旦那様はどうやら普通の人間でいらっしゃいます。…時には怪我をなさったり、腐りかけの食べ物にあたったり、変な病気をもらったりされるでしょうけど……」

 ちょっと待て。最後の一つは問題発言だぞ。

「…ご無事にお帰りください。わたくし…それまで…ここで待たせて頂いてもよろしいですか?」

「………!」


 その言葉が耳に届いたと同時に、レジーナの体から何かが昇り立つ。

 キラキラ…キラキラと輝く粒子が明るい金色の髪を染め、緑色の瞳が星を宿す。

「キラキラ星人……?」

 思わず口から零れる頭のおかしい台詞。

「えっ!?現れましたの!?どこ、どこです!?」

「…………ク……ククク……」

「旦那様?」

 ああ…面白い。面白くて……

「…君は人間の振りが下手だな」

 ギョッとして目を見開くレジーナに告げる。

「危険だ。思考回路も行動も発言も何もかもが危険。困った時は一人で動かず誰かに相談し、外に出掛ける時は侍女を伴うこと」

「は、はい」

「それから……部屋を整えるように。不自由なく過ごせるように、君の…好きなように」

「…え?あ、ありがとうございます……?」


 彼女にとっては、私と結婚した事はやはり不運としか言えないだろう。

 だが私にとってはどうなのだろうか。

 正直に言って、遠征に出るのに後ろ髪を引かれるような気持ちになるのは初めてだ。 

 はて、髪……?

 自室でふと鏡を覗き込み、先ほど『メル仕込みの髪結い技術ですわ!』とか何とか言いながらレジーナに複雑に編み込まれた髪を見て、あの娘は一度泣く目に合わせた方がいいな、と思った。





『6月30日 快晴

 私は今日この結婚に隠された重要な事実を知ってしまったかもしれないわ。まさか私もキラキラ星人の可能性があるだなんて。だから私のお相手は旦那様だった……?その事実を明らかにするためにもご無事にお戻り頂かないと。それにしてもあの毛ざわり!抜群、絶品、至高!だったわ。お帰りになったらキャベツ巻きの練習に付き合って頂けないかしら。』

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