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6月20日 後編

 か、解放されたわ……!

 右半身がビリビリプルプル大騒ぎである。


 本当に何という時間だったのだろう。

 今日の作戦名、名付けて『仮面夫婦は妻のせい』は恐らく半分……八割ぐらい失敗している。

 そもそも出鼻を挫かれた。

 私の今夜のドレスは、旦那様のマリンブルーに近い藍色の瞳から限りなく遠くなるように、あえてスカイブルーを選んだのだ。なのに一言も言及無し。

 そこは『ふん、どこの男の色を纏っているのだ。このアバズレめ!』でしょう?

 銀色に近い彼の髪色を思わせるものも遠ざけて、頭から爪先までイエローゴールドでまとめたというのに、感想は『重たそう』だけ!メルの苦労を何だと思っているのかしら。

 ……丸一日かけて脚本だって書いたのに、あんなに紳士的な代役を用意されたのでは、全て水の泡だわ。


 壁際に並べられたオードブルを眺めながら、きっと旦那様は一口も召し上がらないのでしょうね、などとぼんやり考える。

 貴族が開くパーティーとは随分雰囲気が異なる会。

 階級が上の方々への挨拶以外は何ともざっくばらんとしている。

「それにしても……肉、肉、肉、肉……肉ね」

 並ぶ料理は肉料理ばかり。さすがは軍主催の会である。

 …一口ぐらい……と頭によぎるが、同時にギリギリドレスも頭に浮かぶ。

 だめだめ、淑女が一人で肉料理を頬張るなんてだめよ!こういう時はかる〜くフルーツなんかを…と振り向こうとした瞬間だった。

 後ろに立っていた男性の背中に左肘が当たる。


「も、申し訳ございません!お怪我はございませんか?」

 慌てて体ごと振り返りお詫びの言葉を口にする。

「怪我?どうかしたのか?」

「え……?」

 まるで気にする風もない声に顔を上げると、そこには大きな体で赤髪の、脳内旦那様がいた。


「ま、まぁ…!その節はお世話になりました」

「世話?俺が何かしたか?」

 …しまったわ。素敵な御姿を脳内で毎日再生させて頂きましたとは流石に言えない。

「え、ええと…試合!を見学させて頂きましたの。剣術の大会を見るのは初めてでしたので、とても楽しくて……」

 …苦しいかしら。

「ああ、御前試合か。……はぁ。何度戦っても勝てないんだよな……。明らかに俺の方がリーチも長いし剣だって重いはずなんだが……」

 ど、どうしましょう。大きな体の男の人が縮こまってしまったわ。私何か余計なこと言ったのね?

「…速えんだよ、アイツ。腕の振りか?やっぱり柔らかさ……」

 本格的にどうしましょう……。


「あ!師団長がまたウジウジしてる!デカい図体して時々繊細っすよねー!」「いいじゃないっすか。引き立て役としてはもはや定番キャラなんだし」「そうそう。こないだは女神も応援に……」

 ワラワラと人が集まってくる。

 まぁ、何だか楽しそうな雰囲気ね。

「そういや流星が嫁さん連れて来てるらしいっすよ」

 …流星?

「はっ?アイツ結婚したのか!?何で俺が知らされてないんだよ!!相手はどんな女だ!」

「それがさっきチラッと見たんすけど、これがまあ凄いのなんのって!そうそう、こんなかんじ………」

 知らない軍服男性の指先が私の方を向く。

「……あーーー!!か、彼女ですよ!!流星の奥さん!」

「はあ?」

 脳内旦那様が私を見る。


 …きっとここは挨拶すべき場面だろう。

「…お初にお目にかかります、エドガー・アクロイドが…つ…ま…のレジーナ…と申します。い…ご…お見知り置き下さいませ…」

 撤退戦だと分かっているし、今さら手遅れだとも分かってはいたが、とりあえず意味もなく瞳をウルウルさせて、震えながら挨拶を述べた。






「…何してんの?覗き?」

「馬鹿を言うな。堂々と見ているではないか」

「だから、何で嫁を堂々と覗いてんのかって聞いたんだけど」

「……………。」


 どうやら思惑は外れたようだ。

 ゲイル、私の剣が速いのは恐らく目が異様にいいからだ。ちなみに耳もいい。やたらと筋肉ばかりつけずにそこを鍛えろ。

 その私の視覚と聴覚をフル稼働した結果、レジーナは先ほど『お初にお目にかかります』と言った。

 初対面にしてはやけに会話が盛り上がっているが……。


「楽しそうだねぇ、レジーナちゃん」

「…ちゃん?」

「それぐらいいいだろ。あーヤダヤダ、どんな影の薄い嫁さん連れて来るのかと思えば、スポットライト独り占めじゃん。何なの、あんな生き物存在していいわけ?そしてそれを……お前が……!」

 アンディの話の半分以上が理解不能だが、スポットライト独り占めは何となく分かる。

 ゲイルをはじめとする第二師団の面々だけではなく、ワラワラ、ワラワラとレジーナの周りには男どもが吸い寄せられていく。


「…最強の防壁って感じだな」

「は?」

 今度は本格的に意味が分からん。

「……お前の周り。今日は御令嬢が一人も寄って来ないだろ?レジーナちゃんと並ぶ姿見た後じゃそんな気起きんわな」

 防壁……?確かに今日はとても静かな会だが。

「…レジーナは何か特別なのか?」

 そう言えば、アンディの目が見開かれる。

「お前…!何でお前みたいに目が悪い男にあんな子が…!」

 だから、私は目がいいと言っているだろうが。

「…はぁ……。そろそろ迎えに行ったら?被害者の会が出来る前に」

 …加害者は誰なのだ。


 交わした会話の九割が意味不明だったが、アンディに促されるまま人混みへと歩みを進める。

 輪の中心で笑顔を見せるレジーナが、私に気づいて少しホッとした顔をする。

 その瞬間何とも言えないものが胸の中に湧き上がる。


「ゲイル、妻の相手をしてもらって悪かったな」

 筋肉ダルマに話しかけると、ゲイルがいきなり私の肩を抱く。

「エドガー!お前ちゃんと人間だったんだな!正直今まで半分ぐらいお前は戦闘人形じゃないかと疑ってたんだが、よかったよかった!」

 …は?

「まぁ!それではこちらは本物の旦那様ですの…?なんてこと…ブツブツブツ……」

 は…?

「ガハハ!いやーめでたいめでたい!……ヒソ……たーっぷり可愛がってから来いよ」

「!!」

「またな!お前ら行くぞ!」

 最後にバンバン背中を叩かれ、ゲイルたちは去って行った。

「…御武運をお祈りしております」

 レジーナが小さく呟いて、ゲイルたちに頭を下げていた。



 帰りの馬車の中、レジーナは今日知ったというハンドサインについて喋っていた。

「旦那様、これなんかいかがでしょう?」

 突然両手人差し指を顔の前に立てるレジーナ。それをクロスさせたかと思えば、交差した指の十字部分に唇をあてる。

「な……何のサインだ」

「そうですわね…名付けて『敵の敵は味方』ですわ!いかがです?」

「敵の敵は………いつ使うと言うのだ。不採用」

 静かに返せばレジーナが不満げにしている。

「まぁ!世の中にはそういった場面があふれておりますのに」

「……………。」

 彼女は特別…変人なのだろう。


 懲りずに何やら指先を動かす彼女に話しかける。

「…どうだった、壮行会は」

 レジーナが一瞬キョトンとし、そして何かを思い出すように微笑む。

「とても楽しかったですわ。皆さま本当に素敵で……」

「…すてき」

「ええ!フレッカー師団長…あ、ゲイル様とお呼びしても良いと言われたのですけど、あの方のお名前も知る事が出来ましたし、まさかお話できるとは思っていなかったので感激いたしました」

 ここに来て今日の最大の目的に近づくとは……


「ゲイルとは顔見知りだったのか?」

 回りくどい事をせずに最初からこうして聞いておけばよかった。

「顔見知り…というわけでは…。一方的に私が……ええと……何というか………」

 レジーナが明らかに何かをごまかそうとしている。目が上を見たり下を見たりと忙しない。

「一方的に……何だ」

 なぜか低い声が出る。

「ええと…その、妻としてのアレやコレやの……練習台になって頂いたのです………」


 私は凍った。





『6月20日 曇りのち晴れ

 帰りの馬車の中で旦那様をすごく怒らせてしまったみたいなの。あの感じはきっとそう。怒っている時のお母様の額の筋と同じだったわ。作戦も失敗してしまったし、散々な夜ね。パーティーは楽しかったけれど。きっと旦那様の望んだ行動を私が取れなかったから怒ってらっしゃるのだわ。次からは正直に指示書を下さいってお願いするわ。』

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