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4月2日

 うららかな春…の狭間に大雨が降る日、17歳を迎えて二日目に、私は一年前に決まった婚約者と結婚式を挙げた。

 結婚初夜に起こるアレやコレやの問題は、巷ではよくよくある話だと聞いていたが、いざ自分の身に降りかかるとなると………。


「…今日私たちは仕方なく結婚した。だが、君と夫婦になるつもりは無い」

 まあ!どこかで聞いたような台詞。

「邸で好きに暮らすといい。…私はここには帰らない」

 え、左様でございますの?

「…最後に何か聞いておく事があるか?」

 微妙な親切心がおありですわね。

「………無いのなら話は以上だ」

 あらまあ!


 こうして結婚式の夜、旦那様(仮)は自分の邸を出て行った。



「まことに申し訳ございませんでした!!」

 翌朝、嫁入りした先の邸は大事になっていた。

「え、何がですの?」

 邸の家人総出で右往左往しながら狼狽していた。

「…な、何が?昨夜は当家の主人が……その、しょ…や…」

 一晩放置された寝室に、ずらっと整列した家人たち。

 執事と思しき男が、額の汗を拭いつつ頭を下げる。ビシッと撫で付けられた黒髪が見事である。

「ああ、最高に面白い夜だったわ!」

「おもしろい……でございますか?」

「そうなの。なぜわたくしが見知らぬ邸で暮らすのか一晩中考えたのだけど、考えれば考えるほど笑いが止まらなくなってしまって…」

「わらい……」

 だってそうでしょう?

 夫婦になるつもりもない赤の他人を邸に置いてどうするのかしら。

 わたくし何者かしら?

 状況的には曲者かしら。

 であえ!であえー!ね。本で読んだわ!

 

 …などとウキウキしてたのは私だけだったみたい。



「笑いごとではございません!アクロイド伯爵からのこの仕打ち、すぐに御実家に報告すべきです!!」

 嫁ぎ先の家人がなぜか平身低頭謝りながら退いた部屋で、今度は実家から連れてきた侍女のメルが吠えていた。

「あら、若いお嬢さんは元気があっていいわねぇ……」

「若い……お嬢様の方が三つも若いでしょう!?17歳のうら若き乙女ならもっと怒って下さい!怒って泣いて、閣下に言い付けてやって下さい!」

「ええ…?やぁよ、面倒くさい……」

「レジーナ様!!」

「それより着替えを手伝って頂戴な。探索に行きましょ!秘密の部屋があるといいわねぇ!」

「……………。」



 メルに髪を結われる自分の姿を鏡で見ながら、少しだけ昨日の事を思い出していた。


『……汝、エドガー・アクロイドは、レジーナ・ウィンストンを妻とし………』

 

 分かりやすい貴族同士の政略結婚。

 愛が無いのは当たり前。彼に会ったのは昨日が初めてだったから。

 愛を育むつもりが無いのも分かってた。

 婚約期間の一年間、彼からは手紙の一枚だって来なかった。

 だから昨夜の彼の言い分はまぁ想定の範囲内。

 想定よりも…面白かったのよ。


「はい、出来上がりましたよ。あぁ…いつ見てもどの角度から見ても完璧な御姿です!…あのヴォケ…ゲフンゲフンは何処に目ぇ付けて歩いてんのよ!!」

 バキッと櫛を折りながらいまだ怒りの収まる様子の無いメルに微笑みかける。

「ねぇメル?この結婚、考えようによっては悪い事ばかりじゃ無いと思わない?」

「何言ってるんですか!!さ い あ く!!最悪ですよ!」

「そんなこと無いわよ。最悪にしてしまうのは、最高の状態を勝手に思い描くからだわ」

「それは……」

 眉間に皺寄せ、頬を膨らますメルを手招きする。


「ねぇメル?あなたはいつも言ってくれていたじゃない。わたくしには一つも自由が無いと。許されるなら、年頃の御令嬢が生きる世界を見せてやりたいと……」

「…レジーナ様………」

 いたわしげな顔をするメルの耳元で囁く。

「…ヒソ……いいこと?だから〝最高の状態〟は何なのか考え直せばいいのよ」

「レ……レジーナさま…?」

「そうねぇ、最高の状態…最高の……あ、ここにはお母様がいらっしゃらないわ。何て素晴らしい環境かしら!」

「……レジーナさま?」

「家庭教師もマナー教師も門番も守衛もいない!…天国?」

「………………。」

 考えれば考えるほど素敵な日々が待っている気がしてならない。


「メル、わたくしとてもいい事を思いついたわ!」

 パチンと片目をつぶり、メルに悪戯っぽい視線を飛ばす。

「レジーナ様!またろくでもない計画を立てるつもりでしょう!?トラブルは厳に慎むようにと奥様から……」

「まあ、トラブルだなんて失礼しちゃうわ。あなたはただ静かに見守ってくれればいいの。…お返事は?」

「で、ですが……」

「おーへーんーじ!」

「……はい」

 どう見ても納得している顔には見えないメルを無視して鏡の中の自分を見つめる。

 あまり頭がいい方では無いけれど、結婚に関する基本的な事は実家の年嵩の侍女から仕込まれた。

 そう、確か結婚して一年間夫と床入りが無ければ〝白い結婚〟というものが成立するのだったわ。

 白い結婚……名前からして素敵じゃない?どれだけ絵の具を塗りたくっても白に戻る……

 

 すくっと鏡の前から立ち上がる。

 レジーナ・ウィンストン改め、レジーナ・アクロイド。

 今この瞬間、私は結婚二日目で夫に放置された何も持たない妻。

 知らない邸に知らない家人。

 誰も私のことを知らない上に、どれだけ目一杯自由に振る舞っても一年経てば元通り。

 こんなに素敵な舞台はないわ!

 

「メル、お宝を見つけるための敵情視察よ!着いてらっしゃい!」

「お…おたからぁ!?」

「そうよ。お宝を見つけて堂々の凱旋よ!」

「…………仰せのままに。限りなく嫌ですけど」


 エドガー・アクロイド伯爵…ええと、旦那様(仮)、わたくし、あなたに頂いた一年間を精一杯楽しませて頂きます。






「…エドガー……お前何してんの?え、いつからここにいた?お前……昨日結婚式だったよな?」

「予定通り式は挙げた。今日から通常勤務だ」

「へー………ってお前馬鹿か!!結婚休暇はどうした!?新妻放っぽって何してんだよ!」

「アンディ、見て分からないか?仕事だ、仕事。一日離れると体はなまるし机の上は報告書で山積みだ。休暇など自分の首を絞めるだけだろう」

「うわー………」

 

 仕事をしていて文句を言われるとは納得がいかない。

 だいたい休暇など、過去十年ほとんど申請が通った試しが無いだろうが。なぜ結婚の時だけ休ませようとする。

 …好き好んで結婚した訳では無いのに。


 同じ歳で同期なのに、色々あって部下となった生意気なアンディが、変な顔をしながら斜め向かいの机に座るのを横目で確認する。

 煩いアンディのせいで、記憶から抹消したはずの地獄のような一日が蘇る。

 

 レジーナ・ウィンストン…最終結果として、まさか式に現れるとは思っていなかった。

 婚約期間中一度だって便りを出さなかったし、何なら婚約させられた事を伝えたのだってアンディだけだ。

 どうせ甘やかされた小娘だと思っていた。突き放し続ければ婚約は間違いなく解消されると踏んでいた。 

 だが、目論見はあっさりと外れた。

 昨日だって最後まで抗った。一言も口をきかなかったし、笑いかけもしなかった。

 向こうが途中で泣き出す算段で、堂々と式を取りやめにできるはずだった。

 それを終始ニコニコニコニコと……!!


 は、いかんいかん、消せ、頭から消すんだ。

 勝手にあてがわれた相手だ。

 何度も何度も何度も何度も結婚はしない、勝手に話を進めるなと父上に釘を刺した上での結果だ。

 私に残された道は一つだけ。


「…エドガー、お前さ…大丈夫なわけ?」

 先ほどから何なのだ。仕事しろ、仕事を。

 と思いはするが、一応返事はする。

「……何がだ」

「結婚式に呼ばれてもない俺が知ってるんだから、お前が理解してない訳じゃないと思うけど、嫁さんって…公爵家の御令嬢だったよな」

「………………。」

「……しかもあのウィンストン…筆頭公爵家」

 ………だからだよ、だ か ら!

 筆頭公爵家の箱入り娘が何故一介の伯爵家に嫁いでくる。

 しかも17だぞ?12も年下の女だぞ!?

 普通なら相手はいくらでもいるだろう!普通なら!

 これはもうアレに決まっている。普通では無いのだ。

 ……つまり地雷だ。絶対に。





『4月2日 雨

 アクロイド伯爵邸は想像より広かったわ。メルがドレスなんて着せるから本邸一階の三部屋しか探索できなかったけれど。これでは〝攻略せよ、アクロイド邸!〟には相当な時間がかかってしまうわ。私ぼんやりしてるから一年なんてあっという間になのに。あら?タイムリミットがあるなんて新鮮ね。何だか胸が熱くなって来たわ!』

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