61話 帰蝶、暗躍しまして1
「健全な魂は、健全な筋肉から!」
張り上げた私の声に、ずらりと横並びになった屈強な男達が、復唱を指示したわけでもないのに続けて唱和してくれた。野太い声が空に響く。
「ありがとうございます!みなさん今日も無理せず怪我せず、筋肉作りに励みましょうね!!」
「はい!!!」
男達の腹からの揃った返事に、一緒に並んだ女性陣も思わず笑う。
完全体育会系ブラック本丸のノリ。
病気にならない体をつくる。
怪我をしにくい体をつくる。
戦国時代や平安時代、中世ヨーロッパな風土の異世界へ転生した人達が一番困るのが、食べ物。次に衛生観念だと言う。
前世で読んだ漫画では石鹸を作ったりお風呂を整備したりと、転生者達は知恵を絞って工夫していた。
けど私にはその辺の知識がなくて……。日奈さんにも聞いてみたけど、普通の女子高生が石鹸の作り方を知っているわけもなかった……。アロマキャンドルの作り方は二人とも知っていた。
仕方ないので、病気も怪我もなるべく減らし、寿命を延ばすために食生活を改善させる方に焦点を当てることとした。
まず、肉・魚・野菜をバランスよく三食とってもらう。
戦国時代は一日二食が基本とか、うるせえ!三食食べた方がいいに決まってるでしょ!
次に、運動。お城勤めのみなさんには、朝、ラジオはないけどラジオ体操。私と同じとはいかないまでも、適度な筋トレメニューで体力育成。もちろん女子鉄砲隊のみなさんも。
最後に、睡眠。8時間は寝てください。あと残業もしないこと。戦国時代、残業代出ないし。
サビ残は命を縮める!
もちろん、ぞれぞれ無理強いはしない。
私も前世では体育は苦手というより嫌い派だったから、気持ちは充分に理解している。給食完食まで居残りとかの強制もいけません。
筋トレが苦手だと言う人は、男女問わず内勤に回ってもらう。日奈さんもそっちだ。
ノリだけは完全ブラックだけど、業務体系はホワイトでいたい。
これで、少しはみんなの寿命を伸ばせるといいんだけど。
後世では「織田信長は画期的な勤怠改革を行った」とでも残して欲しいわ。乙女ゲーム世界だからそれは無理でしょうけど。
私がまたトンチキなことをし出したので、十兵衛や各務野先生は変な顔をしてたけど、文句は出なかった。きっと、気を遣ってくれたんだろう。
人生50年の時代でも私は80歳まで生きたいし、信長くんにも100歳くらいまで生きてもらうわよ、こうなったら。
じいやさんの分の命、ちゃんと使い切ってもらうんだから。
じいやさん、平手様は、信長が立派なお寺を立てて供養をしてくれた。
もっと落ち込んだり酷い状態になるかと思ったけど、やはり織田信長は強い人だった。
私なんかよりずっと早く、背筋を元通りに正して立ち上がり、戦場へ駆けていった。
私が殺してしまったことも、日奈さんや他の人が知っていながら黙っていたことも、特に信長からのお咎めはなく、すべてがいつも通り、何事もなく進んだ。
私が選ぼうと何しようと、歴史は元通りになる。
修正されて、史実通りに。
これには、少々ショックだった。
明智家で殺されていたかもしれない彦太郎が生き延びて明智光秀になったのも。
美濃から出てくる時に、自分で「帰蝶」を名乗ったのも。
私が何かしたからじゃない。
私が動かしてるものなんて、なーんにもない。
転生主人公になった!なんていい気になってた。
戦国時代じゃなくて乙女ゲーム世界だって思って安心してた。
ここはやっぱり戦国時代だ。ベースがどんなゲームだろうと、私達にとっては現実だ。
だから、強くならなきゃ。
私はもう誰も死なせない……なんて、かっこいい主人公みたいなのは無理だけど、せめて私の手が届く範囲で、大事な誰かを死なせたくない。
手を出して助けられる人は助ける。
どんなに変わらなくても。
だってじいやさんは最期に、私が「信長様を変えた」って教えてくれたのだ。
私が落ち込まないように言ったでまかせかもしれないけど。じいやさんがそう思いたかっただけかもしれないけど。
私にも、変えられることがあるってことだよね。
日奈さんと協力して、なるべく人の死なないルートへ行くことにしよう。
それがきっと、私がここで踏ん張ってる意味だ。
手を差し伸べる理由だ。
天文24年になってしばらくして、日奈さんが私の部屋を訪れた。
そう、いつの間にか2年。
日奈さんが言ったとおり、ここ2年、めちゃくちゃ早かった。体感3か月くらい。
誰かの死に傷ついたり、立ち止まっている余裕もない。
「手紙?」
「うん。美濃の、道三様宛で」
「父上宛?いいけど、なんて書きましょうか?」
日奈さんは私に、美濃の父上へ手紙を書いて欲しいと言う。
この時代の文字って、同じ日本語のはずなのにぐにゃぐにゃして読めないし書けないよね。私も最初は戸惑ったものだ。
内容は、以前に信長達の前で予言した「美濃で大きな動きあり」に関係することらしい。
そういえば、あのあと細かく聞こうと思ってたのに色んなことがあって、忘れていた。
「えっ!?父上と兄上が敵対!?……なんで!?」
「理由は色々あるらしいんだけど、ゲームだと戦が起こってからだから。今回は事前に教えましょう。帰蝶様も、親子で争うなんて嫌よね?」
「もちろんよ!」
急いでお手紙セットを用意してもらい、筆をとった。
日奈さんのお話しによると、父上と義龍兄上は美濃をどっちがまとめるかで揉めて、それが戦に発展してしまうらしい。
今のところ本人たちから届くお手紙や、夕凪からの情報では仲が悪くなったというのは聞かないけれど、どうなるかわからないのが、戦国時代だものね。
兄上ってば私の嫁入り前に「俺とオヤジが敵対したらどうする?」なんて聞いてきたし、あれ本気だったのかな……。
まずは父上宛の文を代筆していく。
内容としては「義龍側の人間に気をつけろ」と「孫四郎、喜平次を大事にね」みたいな。親子仲良くお過ごし下さいって感じの文章を、言われるがままに代筆した。
読み返してみても、変なことは書いてないし問題なさそう。
私からいきなりこんな真面目な内容の手紙が来たらちょっと驚きそうだけど、そのくらい用心してもらった方がいいもんね。
「兄上の方にも文を書く?」
「いいえ、斎藤義龍には、直接行きましょう」
「どうして?」
「手紙より効力があるからです」
「ふうん?」
父上は私の直筆の手紙なら妄信的に信じるだろうが、義龍兄上は今は一国の主だ。妹からの手紙程度では、すぐには動かないだろうと。
やっぱり日奈さんはすごいなあ。私なんてもう10年近く戦国にいるのに、こんな風に考えられないもの。
「じゃあ、夕凪、これをすぐに父上に届けてくれる?お急ぎ便で」
「あい!おまかせください!」
久々の直々の命令に、くのいちは嬉しそうに文を懐にしまうと消えるように跳んで行った。




