60話【日奈】この世界に神様はいなくて
※日奈視点です。
天文22年。平手政秀諫死。
天文23年。村木砦の戦い。
ここまではゲームおよび史実通りに進めることができた。
途中、帰蝶が平手政秀を止めに入った時は、シナリオを変えられてしまうのではないかとひやひやしたけれど、最終的には史実通りに、平手政秀は諫死したことになった。「病死ではなく諫死に」と言った彼の願いは無事聞き届けられた。
実のところ日奈は、本能寺の変を止めたいとは思っていない。
日奈の目標は「現代へ帰ること」だ。
帰蝶に転生してしまったというあの子には悪いが、まだ現代でやりたいことがある。
友達に会いたい。ママの作ったごはんが食べたい。パパにお別れだって言ってない。
恋なんてどうでもいい。
そりゃあ、好きなキャラに会えたのは嬉しかったしドキドキもしたけど。いつまでもここにいたいわけじゃない。
日奈にはまだ、自分の身を捨ててまでしたい恋なんてない。ゲームキャラと添い遂げるために将来を棒に振っても良いとは、まだ思えない。
ゲームだって本当はどうなってもいいけれど、主人公になってしまったからには、帰る方法はゲームクリアしかないのだ。
このゲームは恋愛歴史シミレーションゲーム『戦国謳華~燃える恋の炎と本能寺~』。
ふざけたサブタイがついているけれど、シナリオ自体はシリアス一本。
乙女ゲームらしくなるよう色々と細かい設定は省かれてはいるものの、実際の日本の歴史に準じた流れになっている。
主人公の女子高生は、ある日突然“神様”の声を聞き、戦国時代へ飛ばされる。
そこでは本来あるべき歴史が不自然に捩じれてしまい、神様は主人公に歴史を修正する手伝いをするように告げるのだ。
細かな修正は神様ができるけれど、大きな修正は実際にこの世界に生きているものが直接手を加えて修正するしかない、と。そうして歴史が綺麗に元通りになれば、主人公を現代へ帰してくれるという。
よくあるゲームの導入だ。乙女ゲームに限らず、他のアクションゲームやRPGでもあるような。
ここまではあの帰蝶にも告げている内容。
史実通りにしなければいけないと聞いて彼女は慌てるかと思ったが、それ以前にゲームの世界だったことに驚いて、肝心なところを聞き逃したらしい。自動修正がきくと聞いて安心したのもあるだろう。
日奈は最初から、“帰蝶”を信用する気はない。
教えたゲームの内容も、彼女にとって都合が悪そうなところは隠したりぼかしたりして伝えた。
逆にこちらが信用されないのは困るから、聞かれたことには答えるようにして。嘘はつかないようにして。
素直でか弱い女子高生でいれば、あの帰蝶は日奈を護ってくれるだろう。
「ゲームの帰蝶とは違うけど、まだ演技の可能性もあるもんね」
この世界へ来てから独り言が増えてしまった。
今日は戦の準備で帰蝶も信長もいないから、好きなだけ考え事ができる。
この帰蝶姫は随分とアクティブな人のようだけど、日奈も真似して戦場へ行くなんて危険なことは、できない。
頭の中を整理するため、近くにあった木の枝を拾って、乾いた地面に文字を書いた。
公園で遊んだ小さい頃みたいに。
このゲームの攻略方法は「歴史を変えない」こと。
これはまだ、今後も、彼女に教えてあげるつもりはない。
ゲームでは攻略対象の武将達の好みを選択するものに交じって、歴史を変えるか変えないかを選択するものが、テキストボックスに現れる。
本当は、平手政秀諫死イベントだって、ゲームでは選択肢が出たのだ。
彼を
「助ける」
「助けない」
これは、正解のような「助ける」を選ぶと、信長の友好度が上がる代わりにシナリオが進まなくなる。
そうして歴史を変えるような選択をし続ければ、バッドエンドになるのだ。
バッドエンドはもちろん、ヒロインの死。
戦に巻き込まれたり刺客に殺されたり、ルートごとに様々な方法で死ぬ。
神様から歴史の修正アシスタントとして失格の烙印を押されるのだ。
これだけは気を付けないといけない。
やり込んですべてのルートのバッドエンドも見ておいて、よかった。
なのに、あの帰蝶はせっかく教えてあげたのに、平手政秀を助けようとした。
あの時は、背筋が芯から冷えた。
けれど結果としては帰蝶が「平手政秀を助ける」を選んでも、シナリオは変わらなかった。
平手政秀は諫死した。
ということは、彼女がどう動いても何を選んでも、この世界では日奈が選択した方が優先される。
帰蝶はヒロインではないから。
平手政秀の死の翌日、まだ立ち直りきれていない様子の帰蝶姫が目の前に立った。
そして彼女は三つ、確認をした。
ひとつ、「攻略対象者で物語の途中で死ぬ者がいるか」。いない。章途中で強制終了になるバッドエンドでも、死ぬのはヒロインだけだ。
ふたつ、「ヒロインが死ぬことはあるのか」。ある。
みっつ、「一番死者の少ないシナリオは誰のルートか」
戦国時代を舞台にしたゲームで、死者をなるべく少なくなんて、無理な話だ。
少し考えたけど、明智光秀のルートだろうか。彼がうまく動くことで、織田信長の焼き討ちイベントや虐殺イベントを、いくつか減らせる。
彼女は「そう」と、誰に向かってか静かにつぶやいたあと、私に引き続き光秀ルートを頑張ろう、と言った。
やっぱり彼女の笑みは、何度見ても慣れることがないほど、氷柱のように冷ややかで、怖い。
背中から、いつその凍った刃で刺されるかわからない。
日奈は庭の地面に、ぐるぐると円をいくつか描いた。
おそらく今は、織田信長ルートか、光秀様ルートを並行して進めているのだと思う。
もともとこの二人のルートは被るイベントが多いから、ここから分岐することはあり得る。
暖かい部屋でゲームを淡々とプレイするのとは違うのだと、あらためて思った。
2D画面で体験するのとはまるで違う。
毎日ご飯だって食べないといけないし、適度に寝ないといけない。自分で動かなければ、諫死イベントは見られず終わっていただろう。
ボタンを押すだけでイベントなんて簡単に発生したのに、ここでは、ぜんぜん思ったように進まない。
もとより、この世界はもう、日奈が知っている画面の中の世界ではなくなっていたから、どうすればいいかは、本当のところわからない。
帰蝶のせいだ。
あの帰蝶は自分はなにも改変していないと言っていたけれど、よくよく聞いてみればそんなことはなかった。
斎藤道三の引退時期が早すぎる。平手政秀の死後にあるはずの正徳寺での会見がなかった。
聞いてみれば去年、同じ場所で斎藤義龍と会見をしてきたと言っていた。
どうやら、美濃斎藤家はすでに義龍が家長になっていて、親子間も兄弟間も、不仲ではないらしい。
少しずつ、ズレている。
これが、今後あるはずのゲームのイベントにどう影響してくるのかはわからない。
そもそも、帰蝶のせいで、織田軍では女性の鉄砲隊が出来ているし、虐げられてるはずの女性達がものすごく活気づいている。
未来が見える巫女なんて、さほど必要ないらしいのだ。
そのせいで信長も光秀様も他の攻略対象者達も、日奈に興味を示さない。
一言目には「帰蝶」、二言目には「帰蝶様」だ。
ゲームとも史実とも、少しだけど違ってきてしまっている。
お飾りの正室だったはずなのに戦には出るし重要人物の死は止めようとするし道三親子の仲を取り持つし。なんてことをしてくれたんだろう。
天文24年になって、もうすぐ元号も変わるというのに、美濃で何も起こらない。
本来ならそろそろ、動きがないと困るのだ。
斎藤義龍は二人の弟を殺して、父親も殺してくれないと。
日奈は握った枝で、描いたひとつの円をぐしゃぐしゃと塗りつぶして消した。
転生者のくせに、なんてことをしてくれたんだろう。
歴史を変えたら、ゲームの内容を変えたら、過去を変えたら、どんなことになるのか、日奈にだってわからないのに。
あの人のせいだ。あの子のせいだ。
帰れなくなったら、どうしよう。
歴史を変えたら修正がきくはずなのに、それをやってくれる神様がいない。
平手政秀の諌死イベントで日奈の選択が優先された時は神様の意志を感じたけど、他の修正をしてもらえている気配がない。
ナレーションが出ないということは、やっぱりいないのかもしれない。
ゲームでは何度も助けてくれたのに。
そこまでぐるぐると考えこんで、ふと、目の前にかかっていた雲が、少しだけ晴れた。空が見える。
「……なら、私が、歴史通りに直せばいいんだ……」
神様がいないなら、
この世界でそれができるとすれば、先見の巫女だけだ。
日奈は木枝を放り投げると、描いた無数の丸や記号を全部足でこすって消していった。
史実通りはもう無理だとしても、せめてゲームのシナリオ通りに。
本能寺の変まで、円滑に。円満に。大団円のために。
きっと、そのために呼ばれたのだ。
神様のいない、この世界に。
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次話は帰蝶視点に戻ります。