48話【日奈】おそろしくうつくしい頬に、涙が落ちて
「***」で挟んだ箇所以外は、渡瀬日奈視点です。
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どのくらい経っただろうか。
百年の間、千年の間、独りだったから。
ずっと独りでいたから、自分の名も、顔すら忘れてしまった。
呼ぶ人もいない、笑いかけるべき相手もいなれけば、この手も顔も体も、なんの意味もない。
ずっと捲るのを躊躇っていた頁に、指をかける。
乾いた紙の感触、白すぎる自分の指を見て、何かを思い出した。
この手を、誰かに伸ばしていた気がする。
救ってほしくて、助けてほしくて。
そうだ、あの方を、救わなければ。
憎悪と怨嗟の業火に焼かれ、失意の中消えてしまったあのひとを。
あのひとは、あの子は、間違ったことなんてしていなかった。
ただ少し、周りの人らに理解されなかっただけ。
私が救ってあげなければ。
きっと、まだ待ってる。
長い長い時間の中、私を待ってる。
手を握ってもらうのを、待ってる。
***
那古野城で、女性の兵を募っているらしい。
もちろん男もOKで、やる気があるなら子供でも女でも老人でもいいとのこと。
そんな画期的なことあるか!?戦国時代だぞ!?と思ったが、あの織田信長ならあり得るのかもしれない。
日奈のいた、ここより未来の日本では、織田信長は戦国武将の中でも一番と言っていいほど人気と知名度のある存在だった。
学校では歴史の授業で必ず習うし、信長が登場する漫画やドラマは数多くある。
日本史に詳しくなくても、名前は誰でも知っているだろう。
さらに日奈の知っている、今思い浮かべている人物と同じであるなら、周りの古い考えの大名が何人頭を並べても一生思いつかない斬新なアイデアくらい、ポンポン思いつき実行する。
聞いたところによれば、今は天文21年。
父・信秀が死んで家督を相続したばかりで、尾張領内の小競り合いが頻繁になる時期。
きっと人手が、信頼できる人員がなにより欲しいのだ。
日奈は着ているブレザーの襟を正して、身なりをチェックした。
姿見がないので心もとないが、スカートの後ろが折れていないか、リボンタイが曲がっていないか。そのくらいは気をつけたい。
だって、織田信長に会うんだから。
「日奈ちゃん、頑張ってね。きっと日奈ちゃんなら、お城で働けるよ」
「ありがとう、おばちゃん」
「お前さんの占いを見せてやりゃあ、きっとお城の役人方も、びっくりするだろうよ」
「うーん、あれは、あんまり出さない方がいいかな。でもありがとう、おじちゃん」
突然戦国時代に転移され、行くところのなかった日奈を世話してくれた老夫婦。
那古野城の手前に飛ばされてしまったのには驚いた。シナリオと違うじゃないか、と何度も意味なく空に叫んだ。
時代に合わない服装や見た目のせいで、あやかしではないかと叫ばれ追われた。
武器をかかげて追ってくる人らに恐怖し、城に入るのを諦めて隠れ歩いて、こっそり民家の納屋で休んでいたところを助けてくれたのがこの夫婦だ。
昔、産まれたばかりの子供を亡くして、生きていれば日奈くらいの女の子だったという、それだけの理由で、夫婦は日奈をかくまってくれた。
きちんと90度に上体を折り曲げ丁寧にお礼を言ってから、日奈は二人の家を後にした。
ここでは目立つであろう制服をあえて選んで纏ったことには、きちんと理由がある。
ここが日奈の想像するとおりの場所なら、この格好でいるべきだ。
まず、帰蝶姫に会う。
そうすれば、この物語は動くはずだ。
目的の城は、夫婦の家から歩いてすぐだ。
城下町に出ていたお触れにあった場所まで行くと、本当に、男も女も少年も少女も集まって列になっていた。
人の列は城門から随分と長く伸びている。
「あの、最後尾って……」
「おやあ、変な格好だなあんた!随分遠くからきたんだね。あんたも並ぶの?」
「はい……」
「じゃあ、ほい。これ持って」
「えっ」
最後尾、と筆で書かれた板を渡された。
これを後ろへ向けて持ち、次に並ぶ人が来たら渡すというシステムらしい。
なるほど、これなら、最後尾を案内する人員を一人減らせるし列形成もスムーズだ。
「ってコミケかよ!!??」
大手同人誌即売会のシステムだった。
日奈も一度だけ、友達と行ったことがある。
まさか、一応は戦国時代のはずのここで最後尾札に出会えるとは思ってもみなかった。が、発案者の顔を想像して、勝手に頷く。さすが、織田信長。
一人呟き、日奈も列が進むのをおとなしく待った。
並んで数分で後ろに来た女性に札を回したあと、列は思ったよりも捌けが良く進み、20分程で城内が見えて来た。
どうやら城の前の広場に机やら椅子やらを置いて、面接が行われているらしい。
名前と特技なんかを言うといいらしいぞ、と前に並んでいた男が教えてくれた。
視界の邪魔をするたくさんの頭のおかげで先が見えない。一生懸命背伸びしてみるが、見知った顔は……いや、何人か、いる。
青みがかった黒髪の、美貌の少年。
黄色に近い明るい色の髪の、小柄な少年。
日奈が予想したとおりだ。
大丈夫、練習したとおりに。
何度もプレイしたとおりに。
「次のかた、どうぞー」
女性の声で呼ばれ、後ろから押されるようにして前へ出た。
視界が、初めて拓ける。
高校受験の集団面接の時よりも緊張している。早鐘のごとくとはこのことを言うのだろう。心臓が生まれて初めて、口から出てしまうんじゃないかというほどの音で体を打つ。
「渡瀬日奈、16歳です。特技は、先に起こることがわかる、先見の力があります!」
ざわ、と大きく場がどよめいた。
大丈夫、これくらいは予想はしていた。
コスプレみたいな制服、短いスカート、ローファー。どれもこの時代にはあり得ないものだ。
そして「先見の力がある」なんて言ったら、おかしな女だとざわつくに決まっている。
しかし想像した視線は、日奈ではなく、別のところに注がれていた。
城のお役人であろうちょんまげの男性、下働き風の女性、面接が終わって合格でも貰ったのか、端で喜んでいた少年。
皆が、日奈ではなく別の少女を見ている。
その先には、帰蝶姫。
彼女の顔は知っていたから、一目でわかった。
意地が悪そうに吊りあがった切れ長の目、睫毛は長く豊かな黒髪と同じ艶で、顔に存在感を与えている。
日奈は顔を知っていたけれど、知らなくても、誰でも一目見ればわかる。
彼女がこの城で一番偉い女であるということ。自分が天下人ならば、こんな女を隣に置いておきたいと思うだろうこと。
背筋が凍るような冷たさの、うつくしすぎる少女。
マムシの娘の姫。
日奈は知っている。この少女が、この女が、「意地悪そう」ではなく本当に、悪魔のように底意地が悪いということを。
彼女のせいで、たくさんの人が犠牲になって、たくさんの涙が流れた。
彼女は、この時代に生きるすべての人々の、敵だ。
そのはずなのに、左右にいた男性は彼女を見てぎょっとしたあと、私に向って敵意の籠った目を向けた。
周りの男女は皆、帰蝶姫から日奈へ、視線を移してくる。
どの目も日奈を、睨むように。
日奈の目の前、驚きに立ち上がった後の帰蝶は静かだった。
微動だにしない彼女の代わりに、その整いすぎた輪郭に、つ、と何かが流れている。
白い陶磁器の肌を濡らすのは、瞳から零れた滴。
宝石のように磨かれた光をここまで飛ばすそれは、
涙だった。
次回は帰蝶視点に戻ります。




