44話【十兵衛】おそらく歴史の変わり目にて
※十兵衛視点です。
織田信秀の葬儀では、信長が大暴れしたらしい。
一緒に出席した帰蝶が「涙も引っ込んだ」と大笑いして帰って来た。
近しい人の死に気落ちしていた彼女に笑顔が戻ったのは良かったが、正直、これは、こちらの立場的にはあまり宜しくない。
揉めに揉めた家督相続は、結局は信長が継ぐことになった。
だがもともとの家臣達に信用がない信長が跡を継いだところで、誰も付いてこないのが目に見えている。
信長には、もう少し上に行ってもらわないと、困る。
帰蝶を守ってもらわないと。
彼女の身を護るのは僕の役目だけれど、彼女の立場を守れるのは(大変不本意だけど)夫である信長だけだ。
それなりに大きくなって、それなりに家臣の信用を得て、正室の立場を確固たるものにしてもらわないと。
あのうつけ殿は体ばかりしっかりして、頭の方は馬鹿ではなさそうなのだが何を考えているのかわからない。
僕が……私が、しっかりしなければ。
帰蝶様を護ると、美濃の皆と、自分と、約束したのだから。
「一把さーーん!」
「姫様!それに、彦太郎ちゃんも!」
届いた物資に男も女も集まり、せわしなく動きまわっている。
その中に、ひょろりとした優男風の見知った顔を見つけて、帰蝶は僕の横をすり抜けて大きく手をあげた。
長い髪と着物を翻して、勢いのままにその胸の中へ飛びつく。
いつもなら異性に飛びつくことを「はしたない」と怒るところだが、久しぶりの再会と、彼の普通とは違う面を鑑みて咎めるのはやめた。
「姫様は相変わらずね。お元気そうで安心したわ♡」
「一把さんも!来てくれてありがとう!それに銃もこんなにたくさん!」
「やぁね、お礼は義龍様に言わなきゃ。アタシはくっついて来ただけですもの」
橋本一把さんは、僕たちの美濃での鉄砲の師匠だ。
見た目はどこにでもいる商家の若旦那風の人なのに、話し方がちょっと、その、変わっている。
帰蝶曰く「オネエキャラ」と言うものらしい。
銃の扱いに慣れた彼が一緒に持ってきてくれたのは、義龍様にお願いして送ってもらった、火縄銃。
これには、信長には美濃からの後ろ盾があるということと、鉄砲という強力な武器を多く所持している事実を他へ見せつけるための、二つの目的があった。
美濃ではある年、変わり者の姫が父と兄におねだりをして、鉄砲を仕入れるようになった。
そのうえ姫は「できれば美濃で作れるようになって」と言う。
量産するには時間も資金も膨大なものをかけてしまったけれど、こうして文一つで送ってくれるようになったのだから、凄いことだ。
偶然だとは思うが、帰蝶の先見の才というか、運の良さには心底驚かされる。
「お久しぶりです、一把さん。それにしても多いですね。何挺あるんですか?」
「お久しぶり、今は十兵衛ちゃんだったわね。これで五百あるわ」
「……溺愛しすぎじゃないですかね」
「アタシもそう思うわ」
「なに、なに?なんの話!?」
鉄砲はまだ量産できる場所が限られている。裕福な大名でも持っている者は少ない高価な品だ。
それを、五百。国が買える量だ。
「いーえ、こっちのハナシ♡それにしても、お二人ともうつくしさに磨きがかかったわね。もうお子様扱いなんてできないわ」
「ええ、十兵衛にはびっくりよね。どこのプリンスさまっ!って感じ。射撃の腕もすごいのよ。あとで見てあげて!」
「あらぁそうなの?」
帰蝶は「綺麗」や「うつくしい」は立場上言われ慣れているらしく、すべてお世辞ととって笑い飛ばしてしまう。どう考えても、さっきのは僕じゃなくて彼女へ向けられたものなのに。
たはは、とよくわからない笑い方をしたあと、いつの間に拝借してきたのか僕に銃を一挺渡してきた。
銃は、剣術で信長には毎回、帰蝶にも稀にしか勝てないので、代わりのように練習した。
尾張へ来てからは誰にも披露したことはなかったのに、いつの間に気づかれていたのだろう。猛練習していたのを知られていたのは、かなり恥ずかしい。
「それはあとで。帰蝶は先に、信長様についてあげた方がいいよ」
「あっそうね。あの子、放っといたらところかまわずぶっぱなしそうだものね!」
花から花へ移るように、ひらひらと翻った彼女は、すでにぶっ放しそうな自身の夫へ寄り添い、構えを実践して教えはじめた。奥方に火縄銃の構えを教わる武士もなかなかいないだろう。
「それにしても帰蝶様、恐ろしく綺麗になったわね……」
溜息の混じる声に再度夫婦の方を見れば、出自からくる威厳か気品か、二人は周囲と一線を画すほど浮き立ち輝いている。
信長も黙って立っていれば見目は悪くないから、手に持っている銃を除けば理想的な美男美女の夫婦だ。
が、実際には民が思い描く理想からは、だいぶ遠い。
一緒になって遊んでしまう僕もいけないのだけど、あの二人は止めて止まるものではないのだ。
二人とも、もう少し内面を成長させてもらわないと。
特にあの男がいけない。男としてどうなんだ?年頃の姫と夜にあれだけ会っていてなにもしないとは。
夫婦になったからと言って安易に手を出されるよりはよっぽど良かったが、まったく手を出されないのもそれはそれで頭にくる。
「そうですね。中身はあまり変わりませんけど……」
「そうなのよ!不思議な娘よね。あんなに美人なのに。まるであの体の中に、別の人間が入っているみたい」
その言葉には、思わず頷く。
帰蝶は、もとから美しい少女ではあったが、この数年で恐ろしいほど、綺麗になった。なのに中身がほとんど子供のときのままなのだ。
と思えば、ぞっとするほど美しい顔を覗かせるときもある。城下で少年達と駆け回っている(これに城主が一緒だと言うのがそもそも間違っているのだが)姿からは想像もできないくらい。
末森城で織田信行に相対した時など、背筋が冷えるような妖艶さだった。
あれを間近で見て言葉を失わない者は少ないだろう。
あの「鬼」と称される柴田勝家でさえ、かすかに焦りの顔を出していた。
また、本人がその事実に気づいていないというのが、余計に恐ろしい。
「ですが、二人ともお子様なままでは困ります。さっさと世継ぎを作って、地盤を固めてもらわないと……」
「あら、本当にそう思ってるの?」
平手殿なら首がもげるほどに頷きそうな話題に、同意されなかったのははじめてだ。
え、と思わず声が出た。
「だって、帰蝶様は十兵衛ちゃんの初恋のお相手でしょ?本当なら他人のものになんか、したくないんじゃない?」
「いえ、初恋ではないですよ」
「そうなの?ずっと一緒にいるから、どっちかがそうなんだろうと思ってたわ」
幼い頃から共に、男児同士のように駆け回って来た。
今更、元服したからと言って、何かが変わるものでもない。
護るべき主だ。命の恩人だ。それからあるとすれば……
「手のかかる妹、ですかね」
彼女は姉のように振る舞いたいようだが、どう考えても妹だと思う。
「本当にぃ?主君の奥方に秘めた想い……なんて、よくある話じゃない?いけないこととわかっていながら、燃え上がる恋慕の炎……」
「アレは主君じゃありません」
「あら、そうなの?一緒にいるからてっきり信長様の家臣になったのかと。ていうか否定するのはそっちだけなのね」
「……」
彼女を護ることを念頭に置いて生きてきた。
彼女が笑って生きられるなら、どこへ行ったっていいと思って、ここまでついて来た。
彼女がしあわせに生きる道へ進めるよう、自分の持てる知識と力で手助けをすればいいと。
それを阻む者がいるのなら、誰であっても斬ればいいと。
この感情が、指摘された恋心だと言うなら、しかし、
「ねえ、ねえ聞いてー!」
なぜか口端を上げながら見つめてくる一把さんに促されるまま巡らせていた思考が、帰蝶の高い声によって中断させられた。
とても楽しいことがあったらしい。表情も声も足取りも、興奮気味に軽やかだ。
「私、次から信長様と一緒に戦に出ることになったから!」
自分の命を盾にしてでも守ろうと思っていた“妹”だったが、拳で殴ろうかと思った。
ちょっとだけ歴史が変わっております。(火縄銃の導入や一把さんの処遇など。)
次回は帰蝶視点に戻ります。
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