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18話【他視点】君と一緒に生きたくて1

※藤田伝五郎視点(三人称)です。

 藤田(ふじた)伝五郎は、声をあげたくなるのを抑えるのに必死だった。


 長年仕えた(あるじ)である光継公は、伝五郎が出会った武士の中で最も優しく、そして弱い人であった。


 計略家の父君が、下剋上を果たした斎藤家に妹君を嫁がせると言った時には反対し、自分が家督を継げと命じられた際には、何度も弟の光安公を後継ぎにするよう上申していた。

 野心を持たない、他人を優先する柔和な気性はこの戦国の世では評価はされないものだが、伝五郎は彼の優しさや聡明さを、家臣としてよりは個人として、好意的に思っていた。


 結果としては、その弱さとも言える気性が災いして、彼の遺児である彦太郎は城を追われ、その幼い命まで脅かされることになってしまったのだが。


 彦太郎は皮肉にも、父に似た柔和でおとなしい子供であった。

 反して光安公は兄に似ず気性の激しい野心家な人物だ。父を失った彦太郎の後見になって領地を治める道もあったのに、彼はそうせず彦太郎を排除しようとした。


 彦太郎が何度も毒を盛られ、人のいないところで痛めつけられていたのを知っている。

 このまま身内に殺されるのはあんまりだと、同盟先の斎藤家へなんとか逃がしたものの、それすらはじめから見透かされていたらしい。

 光安公はすべてわかったうえで自身の地盤を固めてから、他でもない伝五郎に書簡を預けた。文の内容は見なくてもわかる。


 彦太郎を、逃した子供を、殺すためにここへ連れ戻してこいと言うのだ。

 不要であるのなら、家督を継がせる気がないのなら放っておけば良いものを。光安か公は残忍だ。


 

 斎藤家は、ただの一家臣だった利政が、主君を下剋上の末に殺し、あれよあれよという間に美濃全土を統一してしまった家だ。

 早い段階で斎藤家についたおかげで、美濃を追いやられずに済んだのは、先代の先見があってか、運が良かっただけのことかもしれない。

 嫁いだ光継公の妹君が、斎藤家で子を何人も産んでくれたおかげで、斎藤家との仲は良好だ。

 彦太郎は甥でもあるからと、特に背後を追求せずに匿ってくれた。


 しかしこうなっては、斎藤家が、この(マムシ)渾名(あだな)される男が、同盟を破棄してまで彦太郎を匿い続けることはない。不利益が多すぎる。

 実際、様子を聞いてみると、嫡子達とそりが合わず、もてあましているようであった。


 数日前にこちらの姫に怪我を負わせたと聞いたときは、さすがに「なにかの間違いでは」と声が出てしまった。

 あの優しい子供が、気が弱く刀を握ったことさえ数えるほどだった若君が、女子を殴れるものか。

 きっと、ここの若君や姫君(こどもたち)が彼を怒らせることを言ったか、そうでなければこの蛇のような男に陥れられたのだ。


 斎藤家の親子の噂は、城下でも多く耳にしていた。


「見て下さいよ、この娘は姫様に(かんざし)を盗んだと難癖をつけられて叩かれて、雪の中放り出されたんです」


 一番上の姫は気性が荒く癇癪持ちで、気に入らないことがあるとすぐに女中に当たる。


 斎藤家への重い足取りの途中、休憩のためにたまたま立ち寄った店で早速話題が出た。

 この店の娘は、運良く城勤めが出来たのに、運悪く姫の側仕えになってしまい、こうして腕に消えない傷を作って帰って来たのだと言う。娘の細い腕には、一文字に簪の先でつけたような傷が残っていた。


 おしゃべりな女将は、他にもどこそこの店の娘も城からの出戻りだとか、城下町にはもう城勤めをしたがる女はいないだとか、姫についてはよほど恨みがあるのだろう、聞いてもいないことをあれこれ話してくれた。


 実際会ってみれば、噂通りの、毒蛇のような狡猾さを秘めた顔をした男に、容姿のよく似た姫。

 見た瞬間にわかった。

 若を、彦太郎を殺すのだとしたら、この蝮の娘だと。



 しかし娘は、目の前の子供がこれから身内に殺されるとわかると、抱き着いてわっと泣き出した。

 絶対に離さないと言わんばかりにしがみつき、その短い両腕で、幼子が兄に縋るように、もしくは大切な弟を護るかのように抱きしめ続けた。


 やがて若から何やら姫に伝え終えると、ようやく、姫は縋っていた小さな指を開く。

 その時にようやく見えた若君の表情に、伝五郎は驚いた。


 なんと、落ち着いた表情をしておられるのだろう。


 父母を亡くしてから、生まれ育った城の中ですら、ずっと気を張っていた若君が、あんなに穏やかな表情をしたのを見たのは、はじめてだ。


 泣きじゃくっていた姫の方を見れば、彼女もまた、なにかを決意したように父親へ向き直るところだった。

 おそらく「別れが済んだからもういい」「気が済んだから新しい小間使いをよこせ」などと告げるつもりだろう。


 二人の様子を見るに、彼女はまだ考えが幼い。気に入っていた彦太郎との別れが嫌で癇癪を起したが、新しい遊び相手が来ればすぐに今までの相手のことなど忘れる。

 現に、今まで乳母や侍女を何人も罷免(ひめん)したと聞いた。罷免された者の中に、死を選ばざるを得なかった者や生活に困って身売りに落ちた者がいるという話は、伝五郎の耳にすら入ってきたのだ。当人のこの姫が知らないわけがない。

 知っていながら平然としているくらいには、この娘は幼稚で残忍だ。


 この娘は、人の命を自身の一言で左右する、主の器ではない。




「父上、でしたら、彦太郎をわたくしの小姓(こしょう)にくださいな」



 幼さの残る少女の声は、室内に凛と響いた。


 数名しかいなかった男たちが、伝五郎も含め、あからさまに疑問を顔に出す。


 「小姓」と、言ったのだろうか。

 斎藤家の嫡男であれば、身分上彦太郎を小姓にすることはまかり通ることではある。

 だが、姫が、武家の男子を、自身の小姓に?


 思わぬ言葉に、拳を見つめるしかなかった頭を上げると、涙にまみれていた幼子は、もういなかった。


「わたくしの小姓という名目なら、ここに置いておいても誰も文句は言いませんよね?ただの居候じゃありませんもの。わたくしのそばに置いておけば、兄上達と変なもめごともいたしませんでしょう」

「しかしな小蝶……それでは、光安(むこう)は納得せんだろう。良い待遇で囲われていると知れば、必ず返せと言ってくるぞ」


 父の困惑する声を他所に、少女はくるりと身を(ひるがえ)し、思いもよらぬ顔で伝五郎に微笑んで見せた。


 大人の女のような、それでいて生まれたばかりの赤子のような。数えで十一とは思えない、艶やかで、それでいて残酷なまでに無垢な笑み。


「伝五郎様とおっしゃったかしら?わたくし、この子が気に入りましたの。光安様へお伝えくださる?

 彦太郎は我儘な姫の小姓にされてしまった。何人も使用人をいびり殺した悪女(わるガキ)だ。おそらく長くはもたないだろう、と。

 どうせ家督を継がせる気がないのなら、わたくしにいびり殺されても、文句はないでしょう?」


 背筋が凍るというのは、このことだろう。返事をすることを忘れるほどに魅入っているうちに、少女は続ける。


「ああそうだ、先月クビにした侍女がおりますのよ。その者を代わりに連れ帰ってくださいまし。わたくしがこの子を何日でいびり殺すか、その者と賭けでもなさってくださいな」


 これは本当に、先ほどまで泣いていただけの幼女(おさなご)か?


「わ、私は、かまいませぬが……」


 慌てて出した声は、みっともないほどに掠れたものだった。蝮はにやりと笑んでいる。


「ふ、ははは……相変わらず面白いことを考えるな!そうだな、ちょうど、お前の身の回りの世話係を足そうと思っていたところだしな。どうだ、彦太郎、お前はどうする?」


 死を覚悟していたはずの彦太郎も、唖然と目を開いて姫を見つめている。

 少ししてから言葉の意味に追いついたのだろう、父と娘を交互に見て、自分が何を言うべきか悩んでいるようだった。


「彦太郎。自分で選びなさい。私と一緒に生きる?たぶん私、あなたをめいっぱい虐めるけど。嫌なら家へ帰ればいいわ」

「で、ですが、小蝶、様……それでは小蝶様が」

「大丈夫よ、証人はたくさんいるもの」


 意味ありげに笑う少女に、ことを見守っていた長井殿、氏家殿の二人も頷く。


 なるほどこれが、蝮の娘か。


 伝五郎にはどちらが真実なのか、測りかねる。

 残虐で冷酷な姫君なのか、素直で無垢な童女なのか。


 こんな子供に会ったのは、初めてだ。まるで少女の体の中に、大人の女と童女が同時に存在しているかのように感じる。


 若君を殺し、そして生かす者。


 それならば、と伝五郎も若君へ向いて深く頷いた。

 彼女の奔放な噂は、実は城下だけでなく周辺の国にも広がっていた。生まれた嫡子や跡取りの情報は、今のこの時世では周辺国にとって重要な戦略のもとになる。

 良い噂も悪い噂も、すぐに広まり国主の耳まで届く。


 伝五郎が今日この場で見たことをそのまま伝えれば、彦太郎様の処遇については光安公も納得するだろう。ついでに証人も連れて行って良いそうだ。城下町にいた店の娘に、真一文字の傷を城主に見せる代わりに、新しい城での仕事をあっせんしてやろう。

 あの娘なら、あることないこと頼まれなくても話すだろう。女将に遠慮して黙っていたようだが、話したくてうずうずしている顔をしていた。


 彦太郎の顔が、伝五郎を見てはじめてくしゃりと歪んだ。


 彼は、父の光継公に似て聡明だ。

 なんの望みも、希望ももたないと表に出しながら、本心では人一倍、誰かに必要とされたいと願っていた。

 自身の価値を見出してくれるひとを、待っていた。


 座した先に指をつき、姫に向き直ると、彦太郎は今までからは信じられないほど張りのある声で答えた。

 

「仰せのままに!」


 伝五郎が城を出るよう上申した際の、諦めの色の濃い顔ではなかった。

 母を失った時の、絶望に染まった目ではない。


「伝五郎、迎えに来てくれたのに、すまない。叔父上に伝えてもらえるか?」

「はい、若」


 歓喜の声を上げずして、何を叫べば良いと言うのだろう!

 声を上げるのをこらえたことを天に褒めていただきたいくらいだ。


 二人の子供は、丁寧に礼をしたあと、部屋をあとにした。

 蝮がくつくつと笑っている。よほど機嫌が良くなることがあったのだろう。()しくも、同じ気持ちだ。


「だから言っただろう、うちの姫にまかせてみよ、と」

切るところがなく、長くなってしまいました。

次話は小蝶視点に戻ります。


(2022/4/24改稿し本話を二話に分割いたしました。)

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