146話 姉川の戦いをいたしまして2
「あ、あのー……?」
「ああ、終わりましたか。信長様が、“蝶でいいから軍議に参加するように”とのことですので、お迎えにあがりやした」
「はあ……」
何か変だ。言葉尻に棘がなく、優しい。表情も穏やかである。
やはり彼も、十兵衛の事があって、私がおかしくなったと思い形だけでも気を遣っているのだろうか。一応、主の奥方だものね。
そう結論付け、心の中で頷いていると、さらに心配される声がかかった。
「お怪我の方は、もう大丈夫なんですかぃ」
「ええ!?」
真に、体調を心配する声色だった。かつて、妊娠したと嘘をついた時に聞いたような嫌味なものじゃない。
驚いたまま固まっていると、勝家も私の反応に気づいたのか、ぽりぽりと後ろ頭を掻いた。
「あっしは、あんた様が……女が戦場に立つのは好きませんが、男であるなら話は別です。あなたは、立派な武人ですからね。それなら、私は同士として共に戦いますし、敬意も払います」
「そう、なの……」
「ええ。光秀様の姉川での戦いっぷりは、勇猛でしたからねえ」
「そ、それはどうも……」
その顔は、たしかに、今までずっと向けられていた嫌悪の空気がなく、彼が認めた部下や仲間達へ向ける優しいものだった。
今までの嫌味や意地悪は、ただの女嫌いからだったのだろうか。いやまさか。
ちょっと優しくされたくらいで、簡単に気を許してはいけません!と、私の中の十兵衛が言うので、自分の都合のいいように解釈するのはやめて、一応ジト目気味に睨んでおくことにした。
でも、それを言う為に、わざわざ私のお迎えを買って出てくれたのだろうか。迎えなら、他の人でも侍女でもよかったはずだ。やっぱり、いい人なのでは?
会議をするための広間へ着くと、みんなすでに座って待っていてくれたようだ。日奈も末席にちょこんといたので、隣に座る。
金ヶ崎から帰ってすぐに、日奈は重要な情報をたくさん伝えてくれた。
金ヶ崎の戦いの際、足利だけでなく、石山本願寺勢力も朝倉に加担していたこと。朝倉はこの後、比叡山延暦寺へ助けを求めること。延暦寺は、今後どう交渉しても朝倉を匿い続けること。
今日の議題もそれだった。
「そうなると、俺らのやることは一つしかねえな」
信長の声を聞いて、日奈がこそりと私に耳打ちする。信長が提案するのは、有名な焼き討ちイベント「比叡山延暦寺の焼き討ち」らしい。
信長は前回の戦でもなんの躊躇いもなく城下町を焼いたし、私の故郷も二度焼いた。城下町を焼くのなんて、お手のものだ。お寺を焼くくらい、迷いなくやるだろう。
「で、指揮を誰に取らせるかだが……やりたいヤツいるかー?」
そんな、学級委員決めるときのやる気のない担任みたいな。
もちろん誰も、手をあげない。
そんなヘイトイベント誰だってやりたくないよね。ただでさえしんどい戦続きで、精神的に辛くなってる人も多いのに。元気なのなんて、信長くらいよ。
日奈も隣で、はあ、と小さめのため息をついた。
「顕如が出たせいかな……予想よりこの章長くなりそう。朝倉攻めなんてさらっと終わるはずだったのに……」
「え?」
「ううん。こっちの話」
待っても誰も名乗り出ず、我が夫の顔にイライラが出て来たようなので、仕方なく、自分で片手をあげた。
「では、私が」
全員の顔が、目が、怖い速度でこちらを向く。その視線を浴びてしまい、隣で日奈が小鳥のような悲鳴をあげた。
今更、会議で変なことを言うのになんて慣れたものだ。
みんなの不安を消すように、私は笑う。
「光秀にやらせますわ」
黙って私を見る男たちは、皆、姉川の時の秀吉くんと同じ顔をしている。
不安と、不満と、不審の目だ。
「ん、じゃあ蝶と光秀に任せる。女子供に構うな。全員殺せ」
「承知しました」
「き、帰蝶!わかってるの?焼き討ちだよ?女子供も全員殺すんだよ?火までつけるんだよ!?」
日奈の言葉は、全部、この場にいる者達の総意だ。信長以外。
お前にできるのか、女にできるのか、と問うている。
それくらいできるわよ。私は、明智光秀なんだから。
私は気だるげに息を吐きながら、立ち上がった。夫以外の、全員を見下ろす。
「何人かの方は、わたくしが気が触れていると思っておいでのようなので、せっかくなので、ここで言っておきますわね。わたくしは信長様の命で、明智光秀とともにいます。それはこれまでのことと、何ら変わりません。わたくしはうつけの妻として見出された身。もとより気は触れておりますわ」
偉そうに見えるようにと、城主になってから持ち歩いている扇子を開き、口元へあてる。
笑う唇が隠れると、人はその下を勝手に想像するらしい。
「私怨を持ち込みたくはないけれど、朝倉には半身を殺されたわ。この痛みは忘れない。それを匿うのなら、どんな理由があろうと絶対ゆるしはしないわ。全員、ぜんぶ、すべてを燃やしてやる。灰になるまでゆるさない」
ぞ、と音がしたかのように、室内が静まり、空気が冷えた。
演技なのだから、みなさまそこまで怯えなくても。
次話は明日更新予定です。
第二部完結まで、残り4話予定です。どうぞよろしくお願いいたします。