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137話 死と眠りの袖


 眠りとは短い死である、と、昔、誰かが言っていた。


 今はゲーム世界といえど戦国時代なので、おそらくこれは未来の言葉でもあるだろう。

 私はそれを頭の中で、飴玉のようにゆっくりとかしながら、帰蝶姫に語り掛けた。

 幸い、体の方はなにも(ろう)さずとも眠りにつけるくらいには疲れていて、彼女と話せる条件は満たしていたのではないかと思う。


 真っ暗な眠りへ落ちていき、辿り着いた底。

 薄暗い水底(みなそこ)に似た場所で、童話に出てくる女王のごとく美しい女性が、私を待ってくれていた。


「待ってなどいないけれど、貴女(あなた)とはまた会えて嬉しいわ。貴女は本当に、今までのどの役立たずな女達より、よくやってくれているもの」

「そっか……」


 この場所で、私は自分の姿を確認できないけれど、帰蝶の姿なのだろうか。それとも、前世で生きていた時の姿なのだろうか。

 帰蝶の姿だとしたら、私達は今、双子のように(そろ)いの顔で向かい合っているように見えるのだろう。


「ねえ、帰蝶姫。前に会った時に、役に立たたない子達は排除したって言ってたよね?それって、信長以外の攻略対象者も、そう?」

「あら、(ようや)くそれに気付いたの?ええそうよ。特にあの疫病神は、幼い頃からわたくしの前をちらついて煩わしいから、始めはなるべく先に始末するようにしていたのだけど」


 帰蝶姫は、相変わらず、私と話しができること自体に嬉しそうに返してくれた。口を開けずに目を細めて笑う仕草は、控え目で、(しと)やかで、改めて美人だと思う。


「始末するとどうにも、代わりの者が出てきてしまうのよね」


 悩むように「うーん」と声を出しながら、彼女は手指を自分の顎へ当てて唸った。

 何度も繰り返したと言っていたわりに、仕草や話し方は、私と変わらないのではないか。もっと大人の女性なのかと思っていた。

 そんな彼女の言葉に、私は少しだけ希望を見出した。


「かわりって?」

「別の者が出てきて、必ず本能寺の変を起こすのよ!これが、幾人かの娘達が行っていた“歴史の修正力”等というものなのね。忌々しい!それに、わたくしは体を貸してしまうと、あまりそちらに干渉できないの。早めに排除したくても、助言を聞かない女が多くて……本当に困ったわ。でも、貴女はよくやってくれたわ!」


 ぱ、と輝くような表情になった帰蝶姫が、私の両手を取る。私達、触れ合えたんだ、と、初めてのことに互いに驚いてしまった。

 けれど、首を振って、帰蝶姫の瞳を縋るように見つめた。誰かが私の瞳は夜空に似ているだとか詩的なことを言ってくれたけど、彼女の瞳は真っ暗な空だった。何も移していない。目の前の私さえも。


「違うの、なにか、戻す(すべ)はない?十兵衛が、明智光秀がこんなところで死んだら、話が進まくて困るでしょう?あなただって、本能寺の変を止めるにしても、他の知らない誰かが出てくるより、犯人がわかってた方が、止めやすいと思わない?」

「いいえ、何も困らないわ。わたくしは、愛するあの方を救えればそれでいいの。あの男はどうあっても信長様を害す者よ。最初からいらないの。正しいシナリオだとか歴史だとかは、わたくしはどうでもいいのよ」


 急に、帰蝶姫の瞳にあった熱がなくなった。切れ長で、見下ろされると恐怖を感じるそれは、誰かにとても似ていると思ったけれど、今は、それこそどうでもいいことだ。


「お願い!なにか、なにか方法はないの!?十兵衛は、私のせいで……」

「進んだ時を戻す術はないのよ。わたくしが出来るのは、まったく最初に戻すことだけ。だから大変だったのよ!でも初めて、はじめて神に勝てたわ。貴女のおかげよ!もっと序盤ならまだしも、ここまで進んでしまえば、あの男の代わりになるものなんていない。これならきっと、信長様を救えるわ!これならきっと、わたくしも……」


 両手をあげて踊るように歓喜する彼女の姿に、私は目の中が熱くて、なのに体は寒くて震えて、言葉を返せなかった。

 ぽたぽたと、鏡面のような地面に(しずく)が落ちる。

 鏡に似ているのに、そこは暗くてなにも映していなかった。それがただ怖かった。


 まだ、戻れる術があるのではないかと思ったのだ。

 この世界(ゲーム)を支配している彼女なら、復活させる裏ワザとか、時を戻してなかったことにできる、とか。

 なにもない。

 もう戻せない。


「可哀想に。愛していたのよね。愛する人を失った悲しみは、わたくしにもよくわかるわ。そうよ、死んだ人間は戻らないのよ」


 帰蝶姫の声が急に優しさを帯びたが、突きつけられて余計に涙は止まらなくなった。

 私への同情か、膝を折って蹲った私の頭を、そっと腕の中に抱える。着物の袖が包むように広がった。

 なぜか温度を感じないその腕に抱かれてはじめて、彼女の愛のようなものを感じた。


「出来ればしたくないけれど、可哀想な貴女が望むのなら、リセットをしてあげてもいいわ。わたくしは次の女に期待するから。今回は、なかなか良いお勉強になったと思うことにするわ。ふふ、これは三十人目くらいの娘がよく頭の中で言っていた言葉なのだけど」


 帰蝶姫は私の頭を抱えながら、楽しそうに続ける。どうして、この状況で笑えるのだろう。

 頭の上で、彼女はクスクスと空気を裂いた。


「……リセットって、どうやるの?」

「簡単よ。わたくしの体が()ちれば、自動的に十一の時に戻るわ。あの頭をぶつけた時の、ね。もちろん、次にわたくしに入るのは貴女ではないでしょうけれど」


 言われて思い出したのは、異世界転生したと気づいたあの日の出来事。

 そうか、やはり、あの時から、みんな始めていたんだ。


「今までもそうね、一人だけ居たわ。この世界が嫌だと言って、泣いて泣いて、次の日に首を(くく)った娘。まったく、もっと幼い娘だって本能寺まで行けた者もいるのに、あれには辟易(へきえき)したわ」


 私の涙を、その綺麗な指先で拭いながら、彼女は囁いた。

 歌のようにのびやかな声が、いつまでも耳に残る。


「目が覚めたら、自分で自分の生を終わらせなさい。そうすれば、もう一度、貴女が愛するあの男は、生を得られるわ」


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