133話 金ヶ崎の退き口にて6(でも、帰れなくて)
※流血、残酷表現があります。
「先ほどから、眩暈がしない?吐き気は?手足は痺れて来ない?傷口がじくじくと、ひどく痛んできたのではない?」
「な……っ、おれの、毒を……?」
「ええ。あなたの毒、使わせてもらったわ。効果は、あなたが一番よく知っているでしょう?」
ニタ、と、音がするように、禍々しい笑みを見せる。
私が魔女か鬼女にでも見えるのか、自らが作った毒の効果を思い出したのか、彼の片膝が、ガクリと折れた。
すかさず槍を握りかえて、黒猫の腹へ突き込む。
ぐず、と嫌な感触。それでも猫は致命傷にならない深さで後ろへ跳び、逃げた。
「はあっはっ……いたい、痛い……っくそ!くそくそくそっ!!」
「あなたに斬られた者達は、皆これ以上に痛かったわ」
これは本当の気持ちだ。私だって今も、我慢してるけど身体中が痛い。次の攻撃を立ってまっすぐ出せる自信はない。
「どう?自分の作った毒に侵される気分は?痛いわよね。私も経験したからわかるわ。死を選びたくなるくらい苦しいわよね。解毒薬はないと言っていたかしら?あら大変、お薬を作りに逃げ帰った方が良いのではなくて?」
クスクス、と唇から擦れた音を出してやれば、腹を押さえたまま雷鳴の表情が引きつった。
実際のところ、槍の刃に毒なんて塗っていない。ブラフというやつだ。
血は、攻撃をかすめた時についたものと、見せる時にこっそり私の血をつけた。秀吉くんの血を塗っておいたなんて、嘘。
そもそも、毒の回った生き物の血液を塗った刃で攻撃したら同じように毒が回るかなんて、わからないじゃない。なんらかの病気に感染するかもしれないけれど、それだって、こんな即効性はない。
現代人である程度学んだ人なら、言われてもこんなにすぐに毒が回るなんて、信じなかっただろう。
しかし、私の堂々たる悪役演技と畳みかけられる毒効果、ついでに傷口の純粋な痛みで、彼は自分に毒が回っていると錯覚しはじめた。
プラシーボ効果って言うのだったか。
「お、おれは……いのちなんて、惜しくねえ!あいつの命に、報いるんだ、だから」
雷鳴はガクガクと膝を揺らしながら、それでもまだ戦意を残していた。
きっと、彼は傷を負わされることに慣れていないのだろう。慣れない痛みに、すぐにでも帰りたいはずだけど、主という人の命がそれを留めている。
それでも、私達だってもうボロボロだ。彼にまともな攻撃ができる者は残っていない。
はやく帰ってくれ、と祈るように目を細めると、うなじを脂汗が伝った。あと一押しが必要だ。
「あなた、なにもわかっていないのね。私は上に立つ者だから、あなたの主の気持ちがわかるわ。きっとあなたよりも。あなたの主は、あなたを失って喜ぶかしら?」
「あたり……まえ、だろ。あいつは……」
「本当に?その方の心のうちのすべてを、あなたは理解できている?巫女を逃がすなと言ったのはどういう理由?巫女をどう使う気だったの?朝倉を勝たせてどうするの?殺すなと言ったのはなぜ?」
「それ、は……あいつは、でも」
ぐらぐらと視界が揺れる。
立っているのが辛くなってきたのを気取られないように、脇に槍を突き立てた。土を抉るその音に跳ねた黒猫へ、私は最後のダメ押しをする。
「あなた、随分と命令が好きなようだから、それならわたくしが命をあげる。よく聞きなさい」
なるべく低く、そっと、月を消すように。
黒い腹の底から掬い取ったものを出すような声で。
「自分の命の使い方を、きちんと考えて使え」
月が、ゆるりとたなびく雲に隠れて、新月の空のようになる。
草も葉も爪先まで闇に包まれ、黒い猫は見えなくなって、
そして、小さく「おぼえてろ」とどこからか声がした。
草の揺れる音と、新しい血のにおいをわずかにさせて、雲が晴れた時には雷鳴はいなくなっていた。
逃げ帰ったのだ、と、耳に残る声をじんわりと頭の中にとどめて理解する。限界が来たのと安堵に力が抜けて、その場に膝をついた。
帰れる。みんなで帰れる。
体力的には限界だけど、一番軽傷の私が二人に肩を貸して山を下りるくらいは出来るだろう。
振り返ると、秀吉くんが十兵衛の傷の手当てをしていた。
大丈夫かと駆け寄る。あの十兵衛が、私のすることを黙って見ているなんて、余程のことだ。
見れば、鎧を外された腹部は布が裂け肉が抉れ、おびただしい血でよく見えない。
私が触れるのを拒むように、艶のある黒髪が闇から溶けて一房、白くなった頬に落ちた。
次回は十兵衛視点になります。
明日10/9更新予定です。(日曜は複数回更新します。)