132話 金ヶ崎の退き口にて5(どこかへ帰りたくて)
※流血表現あります。
作戦なんて細かく立てている時間はなかった。
煙が晴れたらすぐに追ってくる黒猫・雷鳴は、私達が逃げ惑うので都合よく休憩を挟めたおかげか、三対一でも息ひとつ切れていない。
山の斜面には、どれだけ進んでも、私達しかいない。織田の兵や、私が連れて来た女の子達はみんなスムーズに逃げられたようだ。よかった。
私もはやく帰りたいな。
帰るとしたら、ずっと、電気こたつのある6畳1Kの部屋だと思っていたけれど、今浮かぶのは岐阜城や、嫁いでから暮らした那古野城。
これが終わったらまた唐揚げとか作りたい……って言ったらフラグよね。やめておこう。
向こうから来るのを避けるのは難しいから、私達は三人同時に、それぞれ獲物を手に雷鳴へ向かった。
三人同時で来られたら、彼は瞬時に判断して、一番弱い私を狙う。もともとの狙いも私だし。
攻撃のそぶりが見えたら私は後ろに跳んで、間に十兵衛が滑り込む。
このあとの打ち合わせはしていなくて、私は十兵衛がどう黒猫を捕まえる気なのかはわからなかった。
反動で転がった体を急いで起こして、次の手へ。
十兵衛は一、ニ撃をなんとか、と言った様子で凌いで、それから五撃目を、刀を捨ててその手で掴んだ。
「!はなせ……っ、こいつ!?」
それを見て、私と秀吉くんが槍を持って雷鳴へ。
毒の回ってきた身体は、手指から痺れて柄を握るのがやっとだ。無理くり出した穂先は、猫の脇腹を掠めたところで地面へ叩き落とされた。
秀吉くんの方も、突き刺すまでは至っていない。
十兵衛に片腕を掴まれたまま、黒猫は私達槍組を蹴り飛ばして、空いた片手をがむしゃらに振り回した。
「はなせ!はなせよ!!」
「十兵衛!もう離していいから!!」
「ひぃさんは、おとなしく、してて……っス……」
「でも、あのままじゃ十兵衛が!」
秀吉くんが、ずりずり這うように回ってきて私の腕を引っ張る。力が全然入っていない。弱々しい手を振りほどくことはできるけど、こんなに苦しそうなのに止めるのは、秀吉くんは十兵衛の“無茶”を通させたいのだ。友達だから。
だけどあんな、片手のみとはいえ雷鳴を離そうとしないせいで、めちゃめちゃに斬りつけられてしまっている。
まるで、何かを待っているように、ただ耐えて。
無茶するって何だろう。捕まえたあとの策は、ちゃんと用意していたのだろうか。
だとしたら邪魔になるかもしれないけど、それでも、なにもしないで見ているなんてできなかった。
息を吐いて立ち上がると、私は心の中で謝ってから、秀吉くんの背を足蹴にした。
何をする気だと疑っていた顔が、草の中に沈む。
「アハハハハッ!」
甲高い魔女のような、声。
木々を揺らすほど響く突然の奇声に、黒猫は目をギョロリと丸くしてようやく私の顔を見た。なんだ狂ったか?とその目が言っている。
「ねえ黒猫。わたくし達がなんの考えもなしに特攻しているとでも思った?」
「……ヒヒッ、どうせ、こいつ捨て駒にするとかそんな程度だろ?いーさ、こいつを刻んだら、次はおまえだからな……」
おしゃべり好きな猫は、やはり、話しかけると手を止めた。
こいつ、と顎で差された彼は黙っている。
角度的に十兵衛は見えないのだけど、傷は大丈夫だろうか。
気にしているのを悟られないよう、父譲りの目を細くして雷鳴を見下ろす。猫はいきなり態度が大きくなった私を訝しんでいるようなので、はっ、と息を吐き出して続けた。
「あなた、わたくしの突き刺した槍の刃を見なかったでしょう。見もせずに、刺さらなければよいと思ってわざと掠めて避けたでしょう?だから気付かなかったわよね。わたくし達の刃にはね、べったりとこの子の血がついていたのに」
この子、と指したのは、地面に伏す秀吉くん。どう思ったのか、死んだように私の足元で耐えていた。さすがに足はおろしている。
秀吉くんには申し訳ないけれど、私の悪役令嬢オンステージが終わるまで、横になって体力回復に努めてほしい。
「だから、なんだよ……?」
まだわからない?と続けて、私は首を横に倒す。
さらりと髪が数本ほどけて頬にかかった。邪魔、と指で払うと猫は少しだけ、びくりと肩を揺らしたように見えた。
「毒の回りきった獲物の血は、毒ではないかしら?本当に、あなたは噛みついて平気だったのかしら?」
拾いあげた槍の刃には、べっとりと赤い血が塗られている。持ち上げて見せれば、月明かりで嗤うようにてらてらと光っていた。
毒を食らい、毒に染まった、秀吉くんの傷口の血だ。
果たして毒を一番よく知る黒猫に、この血が毒ではないと言い切れるだろうか。
いつもブックマークや評価等いただき、ありがとうございます。励みになっております。
長いですが、黒猫(雷鳴)戦は次回でようやく終了です。