128話 金ヶ崎の退き口にて1
「うえっにっが!」
「帰蝶様、それはおそらく飲み薬ではなく、塗り薬です」
「え!舐めちゃった……」
十兵衛に抱えられ退却しつつ、私は奪った解毒薬を舐めて(塗り薬だったけど)体力回復に努めた。傷は浅いし、目眩はすごいけど痛みはもうほとんどないので、すぐによくなるだろう。
なにやらニヤけた顔でひとりごとを言っていた日奈は、予定通り途中で徳川隊と落ち合って家康くんに預けてきた。
せっかく会えた私達と離れることに不安そうではあったけど、「じゃあ、巫女ちゃんは僕が抱っこしてあげるね」の甘い声とウインクにつられ、日奈は頬を染めてその腕に抱かれていった。手を出したら怒るからねと釘をさしておいたので、まさか側室にしようとはしないでしょう。
「あっ!待って、これだけ伝えないと……帰蝶!」
本当にお姫様抱っこされてご満悦だった日奈が、あわあわと戻ってきた。
「今って、金ヶ崎の戦いだよね?」
「わからないけど、たぶん。さっきまでいたのが、金ヶ崎城だから」
「信長がまだ撤退してないなら伝えて。退路は若狭口。殿は秀吉と光秀様と、もしいるなら池田勝正にして!って」
「了解。頼もしいわね、先見の巫女サマ」
最後の伝言を伝えるべく、私と十兵衛は急いで本隊へ向かった。私も家康くん達と一緒に帰れとは言われたけど、信長やみんなの無事を確認するまでは帰れない。
だってどう見ても劣勢なのに、まだ戦線がすぐ近くにあるのだ。日奈を助けたから退却してって伝えたはずなのに。
「秀吉くん!信長様は!?」
「まだいます!今、退路を探してるところっス!」
一番近くにいた秀吉くんに聞くと、いつもニコニコしている彼も、余裕とは言いがたい表情だった。兵の数も減ってるし、もうあまりもたない、と、ここにいる全員が気付いている。
「信長様も、さすがに焦った顔してるわね。秀吉くん、伝言あるから通させてくれる?」
「先に逃げてくれって言ったのに、姫さんを待ってるって残ってたんスよ……ん?あれって、焦ってるんスか?」
「ええ。珍しく、焦りが顔に出てますね」
「そう……っスか?自分には、いつもと同じで余裕そうに見えますけど」
秀吉くんはそう言うけれど、十兵衛も私に同意した。
きっと、みんなに心配かけないようにそう見せているだけだ。ここで義弟に裏切られるなんて思ってなかったものね。焦るし、悲しいに決まっている。
それでも持ち主の意に反していつもどおり揺れている赤毛を追いかけると、すぐにその夕焼けの瞳がこちらを向いた。
戦場で感動の再会だけれど、次に出たのは別の女の名前だったので、盛り上がりに欠ける。まあいつものことよね。
「おう、蝶。ヒナは?」
「無事よ!家康くんのところ。徳川は先に退却させたわ。時間がかかってごめんなさい。私も手伝うからはやく全軍撤退させましょう」
続けて日奈の伝言を伝えるが、ちゃんと聞いているのかいないのか、信長は黙って私の顔をじっと見つめていた。
なあに、と首を傾げると、目の前に立った彼がわずかに身をかがめる。そして、邪魔にならないように髪を避けていたおでこへ、すっとその唇が触れた。
「な、ななんなななななん……!?」
本当に掠めるだけの、触れたのかどうかお互いにしかわからないほどの一瞬で、私の頬からおでこは一気に発熱した。
今さら当ててもなんの意味もないけれど、両手のひらを患部に持っていく。
後ろでみんなが呆れてる。そりゃそうだよ、なんでこんな緊迫の戦場でデコチューしたの?
信長は私の一連の反応を見てから、離した唇に弧を描かせた。
「よし、問題なさそうだな。蝶、お前が殿務めろ。俺は先に戻って、将軍に文句言ってくる」
「え、あ、はい…………」
私の惚けた返事に、信長はなんでもなかったように他の人へも指示を出してさっさと行ってしまった。
その背中を見て、熱のある頭からしゅう、と空気の抜けるような音がする。
あれは、私が怪我をしていないか確認しただけだ。
急に恥ずかしいようながっかりなような気持がこみあげてきた。
心配するにしても普通に「怪我はないか?無理してないか?」って聞いてくれたらいいのに。ひとりで舞い上がって、恥ずかしさだけが山盛りに残る。
「信長様!自分も姫さんと一緒に残るっス!」
「ん、まかせた」
「私も残ります」
「ミツは俺と一緒な」
「嫌です。巫女からの伝言もありますし、私は帰蝶様をお護りする役目があります」
私が「解せぬ」顔をしている間に、殿役が決まったらしい。信長はしばらく不満そうだったけれど、十兵衛に言いくるめられ、ついでに時間がないからとみんなに押されて渋々去って行った。
十兵衛はほんと、私と違って男にも女にもモテていいなあ。