126話 金ヶ崎の戦いにて4(たいせつなものって?)
「す……っご」
刀で刀を弾くと電流のように走る、痺れた感触。
じーん、と音では表現するだろう。その感動にも似た感覚が、頭の中に入ってきた。
自身をかばった右腕からは、着物を避けて五センチほどの傷が出来ていた。
横目で見れば、つ、と血の筋が一本垂れている。
「日奈見てた!?今の、ぜんっぜん見えなかった!」
「喜んでる場合じゃないよ!毒塗ってあるんだよ!?死んじゃうよ!!」
死なないよ。
彼は死ぬような毒は塗っていないと、自分で言ったのだ。ただし毒が回れば同時に全身に痺れに似た痛みがはしり、吐き気と目眩に支配されて立っていられなくなるらしい。
黒猫くんから距離を取ってから髪紐を解いて傷口を縛り、患部に吸い付いて血を吐き出した。漫画で毒ヘビとかに噛まれた時によくやるやつね。効果のほどはわからないけれど、気休め程度になればいい。
持っていた水で口の中をゆすいで、もう一度、黒猫くんへ向かいあった。
「ヒヒッなんだよなんだよ。こわくないのか?いいのか動いて?毒まわるぞ?」
「毒が回っても死なない。あなたが言ったんじゃない。死なないならそんなに怖くないわ。それにね、私、知ってるのよ?毒使いって、たいてい解毒剤を肌身離さず持ってるんでしょう?」
毒と解毒薬は、普通一緒に精製するものだ。前世の漫画で見た毒使いキャラはたいてい、解毒薬を懐に隠し持っていたし、毒魔法を使うキャラは自分の体内で解毒薬を作れるとかいう特殊能力持ちだった。
自分の毒で死んだりしたら意味がないものね。彼だって、今も解毒薬を持っているはず。
ということは、今彼を倒せば、日奈も助け出せるし、苦しんでいる夕凪達も救えるってことでしょ?
日奈と黒猫くんがまだ一緒にいると知った時、私はそのチャンスが巡って来たことに少しだけ嬉しくなった。
「おまえ、案外イイな。殺し甲斐は……まだわからねーけど、おまえも変な女だ。変な女は、連れて帰る。あいつの命令だ」
「おっと!」
黒猫くんは私を殺す気はやはりないらしい。ただ戦いを楽しんでいるという線もあるけれど、刃に殺気があまり感じられないのだ。
けれど、ここで本物の帰蝶まで誘拐されてしまうのは、いけない。信長達が劣勢になってしまう。こう見えて一応、立場は理解しているのだ。みんなが、私を大事に思っていてくれていることも。
毒が回ってくる前に日奈を連れて離脱、もしくはこのぴょんぴょん速い黒猫を倒さして解毒剤奪って……無理ゲー!
そう思った瞬間、ぐるんと目の前が回った。
足はまだ地面に着いている。
これ、目眩だ。
「……、っ!」
後ろへ着いた片足が耐えきれなくて、そのままよろけて手を突いてしまう。
毒のまわりが思ったより早い。毒を負った右手が少しだけ痺れている。でも、刀を離すわけにはいかない。
落としかけたそれを掴むと、もう黒猫は目の前だった。
「雷鳴!帰蝶はクッキーを作った人だよ!!」
次に来たのは攻撃ではなく、日奈の高い声だった。
彼女は同時に駆けてきていて。そうだ、日奈を守らせていたくのいちさん達も退避させてしまったのだったと思い出す。
自由になった日奈は、一生懸命走って私の目の前で両手を広げた。
その姿を見て、黒猫は本物の猫のように、瞳孔をきゅっと開いて動きを止める。
「ほら、あげたでしょ、あの丸いの。あれを作ったのは帰蝶だよ」
「あまいやつ……」
「そう!それだよ!だから……」
「それとこれとは関係ねェだろ?なんか関係あんの?」
「あれー!?」
日奈のヒロイン力が、負けた。
ここで止まってくれたら、お約束展開黒猫くんルートだったんだけどね。
私の前で立ったまま空を仰ぐ日奈の首根っこを掴み、思い切り後ろへ放る。よろけた彼女がお尻を草につける前に、落としていた刀で下から黒猫の身体を薙いだ。
日奈の身体で見えなかっただろうに、軽々と後ろに飛んだ猫は着地した地面をもう一度蹴り、私へ向かってくる。相変わらず、なにやらしゃべり続けている。布がズレてチラリと見えた口元は、笑っていた。
「残念だったなァ!おれは、あいつの命令はきかなきゃならねーんだよ!朝倉を勝たせる、殺しはしない、変な女は持ってかせねえ!あいつの命令は、おれのぜんぶだ!」
「そう。あなたにも、大切な人がいるのね」
「?べつに、たいせつとかじゃねーよ」
「そんなことないよ。命をかけて命令を守りたいくらい、大切で大好きな人なんでしょ」
「いや、すきでもねーとおもう」
「わかるわよ。私にも、命令されると腹立つけど、守ってあげたくなる人がいるもの」
黒猫くんは子供のように「なにそれ?」という顔をして首を傾げた。ぺらぺらとよくしゃべる子だけれど、逆に話しかけられるのは得意じゃないのだろうか。
小首を斜めに傾げたまま、彼は少しだけ八重歯の見える口を見せた。
素早かった足は止まっている。
「あのさ、おまえわるいやつじゃなさそうだし、かわいそうだから言ってやるけど、ここらであきらめといたほうがいいぞ。弱いんだからさ、あんまり出張ると死ぬぞ?」
「あはは、心配してくれてありがとう」
「おまえやっぱ変な女だなァ。ふつうのやつはさ、おれとまともに話なんかしねーんだぞ」
おれとまともに話をするのは、変なやつばっかだ。と、ものすごく小さな声で、たぶん私に聞かせるつもりはなかったのだろう、そうぽつりと漏らした。
私はやはり、自他ともに認める変な女らしい。
そして彼は、思わず漏らした小さな声が聞こえるほど近くに来ていることに、気付かなかった。
毒の回った体で、女がまだ動けると思っていなかったのと、会話に気を取られたせいだ。
だから、戦闘中にべらべら喋るなって、その大事な人にも言われたんじゃないかなあ。
声を掛けずに、タイミングを見て地面を蹴って、私は黒猫くん……雷鳴に突進した。攻撃じゃないからか殺気を感じなかったからか、彼の反応は随分と鈍かった。
「!?な……っはな、せよ!」
身軽になるため刀を放ってしまったので、全身を使って目の前の男にしがみつく。たぶん、十兵衛が見たら怒るというか、呆れて変な顔をするだろうな。
私達は勢いのままに、ごろごろと三転ほど草地を転がる。草まみれになりながら、彼の懐に手を差し入れた。たぶんもう、見てたらぜったい怒られる。はしたないって!
私の手の感触に一気に顔を赤くした雷鳴に蹴飛ばされ、私は再び草地を、今度は一人で転がった。頭がものすごい勢いでシェイクされる。そろそろ脳みそがなくなっちゃうかもしれない。
「盗ったな……おまえ、薬、返せ!!」
向かってくる手を避けられない。けれど、ぜったい、奪った薬は離さないぞ、と手のひらを固く握った。
次話は一回お休みして、10/2(日)更新予定です。
誤字報告などもありがとうございます。誤字だらけですみません、助かります。