125話【十兵衛】金ヶ崎の戦いにて3
※十兵衛視点です。
※流血描写があります。
足利義秋は刀から槍に持ち替えると、規律のある動きで攻めを始めた。
帰蝶に相対した時は、おそらく加減をしていたのだろう。訓練された、武家に生まれ育ったの者の動きだった。
丁寧に、まっすぐに、ただ兄の代わりで在るように。そう教え込まれたのだろう。
義昭は、その上にも兄がいる。世継ぎ問題で揉めることのないよう、幼少期に寺へ預けられたという生い立ちを聞いていたから、この者も兄と共にそうして隠されていたのだろうか。
それとも、影武者として機能するよう、いつか日の目を見る義昭のために、もっと暗い場所にいたのだろうか。
自身が日の目を見ることは、決してないというのに。
「意外って顔してるな。女のなりをしているから弱いかと思ったか?」
「いえ」
「女のなりをしていたのは、すべて兄様の為だよ。別に、好きでしていたわけじゃない」
「そうですか」
彼の不遇な生い立ちに、思うところはあれど同情はしていない。おそらく、帰蝶もしていないだろうから。
彼女は「秋さんはさ、最初は義務でやってたかもしれないけど、今は好きで女の子のふりをしてるんじゃないかな。だからベタベタするのもゆるしてあげようよ。百合みたいなものよ」と言っていた。到底、信じられることではないが。
のんびり話を聞いている時間はないのだ。
向こうは槍なので、傷つけられる前に懐に入って仕留めたい。長期戦にはしたくない。
この者の目的はこちらの足止めだ。この会話も、彼が好き好んでしようとしているようには思えない。
僕と、心から話をしたいと思っているようになど、見えない。
「帰蝶はあんな感じだからともかく、あんたにならわかってもらえると思ったんだけどなあ。だって、」
突き出される槍を、刀でいなして避ける。
実際、織田では帰蝶のおかげで銃もそれなりに浸透したが、戦で一番主流の武器は槍だ。
帰蝶は体格的に槍を扱うのが得意ではないので、僕も倣ってそうしているだけ。
彼は、きちんと槍での戦い方を仕込まれている。
踏み込んだ足のまま、はあ、と溜息にも似た息を整えると、義秋は区切っていた言葉を続けた。
「私とおんなじじゃない」
「同じ?私と?帰蝶様ではなく?」
無駄に応えるつもりはなかったのに、聞き返してしまったのは、耳に入った言葉が意外だったからだ。
目の前の男と自分が似ているなど、思ったこともない。
初めて会った時は真に女性だと思ったし、気付いてからは帰蝶にだけあまりにも距離が近いので、嫌悪の対照でしかなかった。似ているかどうか、見る気もしなかった。
「まあ、私も気付いたのはごく最近、てかさっきだけどさ。あんたのことが好きになれないのは、自分を見ているようで嫌だったからだって」
「……」
「いつまでそうやって、帰蝶の陰に隠れているつもり?」
「人の事が言えた口ですか」
織田信長にも、似たようなことを言われたことがある。他の家臣にも。美濃にいたときにも。
影に徹しているつもりはないが、帰蝶が輝く為ならば、いくらでも暗い所へ進む覚悟はできている。
彼女は陽だ。輝いていなければいけない。
僕はこの者とは違う。
彼は、好きでやっているのではないと言った。
好きで陰にいないのなら、やはり僕たちは違うものだ。
「そうだよなあ、お互い、兄の背にひっついて行く歳でもないもんな。……あんたさ、帰蝶の為なら死ねるって、帰蝶の為ならなんでもできるって思ってるでしょ。私もそう、思ってた。今でも思ってる。でもさ、それを帰蝶がさっき、教えてくれたんだよ」
槍を抱えたまま、彼は自分を抱きしめるように、片腕を自身へ回した。
まるで残った帰蝶のぬくもりを噛みしめているようで、腹の中に少しだけ嫌な感覚が溜まる。
「帰蝶に抱きしめてもらって、兄様にしてほしかったことは、これだったんだなあって」
義秋は続けるが、会話はここまでだ。城の方で、微かに打ち合う音が響いている。
時間稼ぎに乗っている場合ではないことを思い出した。
「兄様は別に、そんなの望んでなかったんじゃないかって。帰蝶が望んでなかったように。私は、帰蝶と友になりたかった。あの子に触れていると、自由になれた感じがした」
何度も斬り込んでやるが、当たらない。義秋は器用にこちらへ話しながら距離を取った。槍の間合いだ。
「自由になったら何をしたいかって、はじめて自分の中に問いが生まれた。きっと“あたし”は、兄様と二人で遊びたかったんだ」
「普通の兄弟みたいに」
あんたもそうじゃないのか、と、彼は笑った。
四肢を全部切り刻んでやろうと思っていた気が、削がれた。
今まで一度も、相対した敵には、織田信長にすら気をゆるしたことはなかった。おそらくこれが、初めて、僕が戦の最中に油断をした瞬間だったと思う。
「帰蝶と友達になれたら、昔の“あたし”みたいな十兵衛殿とも、きっと友達になれるんだろうな」
義秋は少女のように笑った。その顔は確かに、誰かに似ているような気がした。
「あんたも望んでみなよ。帰蝶に、望むことがあるんでしょ?」
「……ありませんよ」
「そう。素直じゃないな。だから嫌いなんだよ」
最後に交えた刃で、お互いの腕から血が飛んだ。
単純な剣技だけなら、僕の方が強かった。けれど、後から思うのは、きっと彼は帰蝶によって、少しだけ何か覚悟を変えたのだ。
血肉に濡れた音をさせて、そのまま刺した刀を振る。片腕がごとりと落ちて、膝をついた。
こんな姿、絶対に彼女には見せられない。
更新曜日を間違っておりました。失礼いたしました。
次話は日曜日更新予定です。次回は帰蝶視点に戻ります。
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