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12話【彦太郎】昏い独りの夜が明けて

※彦太郎視点です。

 はじめて見たとき、なんて綺麗な女の子なんだろうと思った。


 艶やかな髪、きらきらと輝く瞳は、先のことになんの不安もないのだろう。うつくしいものだけをうつして(ひか)る、都合良く磨かれた鏡のようだった。


 きっと、父と母に愛されて、広い頑丈な城の中でたくさんの従者をつけられて、甘やかされて育ったお姫様なんだろう。

 強い父と、美しい母。

 生まれた時から、欲しいものを全部持って生まれてきたような子。


 それらが得られず、もがいている者がいるだなんて、知りもしないのだろう。

 最初から何も与えられず、餓えて死んでいく生まれたばかりの民がいることなんて、気づきもしないのだろう。

 

 僕は、このお姫様が嫌いだ。




 父が死んで、叔父との家督争いに負けて、殺される前に、と、父の重臣だった伝五郎(でんごろう)の手配で城を出た。

 乳母も従者の一人も連れずに、僕は生まれ育った城から逃げることになった。


 父はもともと野心のない病弱な城主(ひと)だったから、重臣のほとんどは(のこ)された僕ではなく、叔父の方についたという。

 逃亡を手配したことで、伝五郎や乳母のさちが肩身を狭くしていなければ良いのだけど。


 叔母の嫁ぎ先だという縁を頼って歩いた稲葉山の城下は、ひどいものだった。

 敵軍が民家にも火をつけ、女子供構わず蹂躙したと聞いた。焼けた木と土と、人の血肉のにおいに吐き気を抑えながらくぐった斎藤の屋敷の中は、町の惨状とは正反対に整えられ、暮らす人々は不安のひとかけらも持っていなかった。

 それは、小蝶姫そのものだ。

 

『友達になってくれると嬉しいわ!』


 聞いていた噂とはだいぶ違う印象の少女は、しかし噂通りの世間知らずなお姫様だった。

 汚いものはうつさず、綺麗なものだけを反射して輝く。民の不安や恐怖とは一切無関係の、お飾りの姫。

 彼女には強く狡猾な父がいた。美しく聡明な母がいた。それらを受け継いだ、(たぐい)まれな輝くような容姿と、おそろしいほど飲み込みのはやい、武術の才。


 羨ましいと、妬ましいと思ってしまった。


 だって、おかしいじゃないか。

 なんの努力もしていない、してこなかったくせに。その持って生まれた才能は、おおよそ武家の姫には必要のないものだ。

 彼女は剣術なんて、する必要はない。

 いずれ同盟の為に他家に嫁いで子を産むのが役目の姫がそれをやるのだとしたら、ただのお遊びとして、だ。

 お遊び程度の剣で、彼女は僕や彼女の兄達を簡単に超えてみせた。


 差し出された手があたたかくて、友になれるかも、なんて、子供じみた考えを持ってしまったのが、馬鹿だった。

 身分も出来も、才能も、生まれも価値も、なにひとつ違うのに。

 僕にあるべきだったんだ。彼女が持っている不要な才は、すべて、僕が持っているべきものだった。

 そうすれば母上は……



「あなたは、生まれてきてくれただけで、いいの」


 母は優しかった。


「彦太郎、弱い父ですまない。私のようには、なってはいけない」


 僕の頭をなでる父の手は、優しいけれどとても弱々しかった。



 父上、約束を守れず、ごめんなさい。僕にはもとから、父上のあとを継ぐなんて、できなかったんです。

 母上を守ることもできず、ごめんなさい。

 母上が亡くなったのは、僕のせいだ。


 僕の体がもっと大きければ、母を守ってあげられた。もっとはやくに生まれていれば、もっと力が強ければ、頭が良ければ、家臣がついてくれるような才能が、なにかひとつでもあれば。母上はきっと、死ななくてすんだ。


 なにもなくて、ごめんなさい。

 僕にはもう、父も母も城も身分も、なにもなくなってしまった。


 父上、母上、

 

 本当は、身分や地位なんて、どうでもいい。

 一緒に、生きていたかっただけなのに。







 大きな弧を描いて、竹の棒が振り下ろされる。子供の力だからそこまで痛くはないけれど、体に当たればそれなりに大きな音が鳴った。

 バシ、と肉を打つ音が、乾いた空に響く。


 彼らはまだ元服もしていない子供だ。周囲の大人に見つかったとしても、(こども)同士の喧嘩だと取られて大事(おおごと)にはならないだろうが、武家の嫡男が、低い身分のものを痛めつけているのが見つかったら、それなりに外聞が悪かろう。場所や立つ音を気にしないというのは、いかがなものか。

 面倒な大人に見つかりたくないのなら、大きな音の立つようなやり方は良策とは言えない。


 叔父は、もっとうまくやった。


「ふん。小蝶や父上を味方につけたようだが、あまりいい気になるなよ」


 孫四郎は倒れた僕を見下すと、わざわざ腕を組みなおして仁王立ちした。

 体を大きく見せるのは、彼が同じ頃の男子と比べると小柄だからだろう。妹である小蝶と対峙した時に、ほとんど背が変わらなかった。


 実際に竹刀(ちくとう)で打ってきたのは、下の喜平次の方だ。彼はまだ僕と一つしか違わないので、力の入れ方が悪い。小蝶の方が、力任せではあったがよほど鋭い太刀筋だった。

 小蝶に負けて悔しがっていたようだが、これではしばらくは彼女に勝つことはできないだろう。


「……申し訳ございません」

「目つきが気に入らないな。喜平次、もう一回だ」

「はい、兄上!」


 喜平次が楽しそうに答える。


 この二人は仲が良いのだろうな。

 僕にも、兄や弟がいたら、違っていたのかもしれない。

 どんな時でも味方になってくれる兄が、辛いことから護ってあげたくなる弟が、いたのなら。


 諦めて閉じた瞼の内に浮かんだのは、妙に派手な色のあの子だった。


 友達になんか、なれないよ。君と僕は同じじゃないから。


 痛みに身をゆだねれば、はやく、父と母のところへ行けるかもしれない。




「こらー!なにしてるの!」


 空気を割るような高い声に、木に止まっていた椋鳥(むくどり)が数羽跳ねて逃げた。


 土埃の中から飛び出してきたのは、やはりきらきらと鱗粉を散らす、()に映える羽をもった綺麗な蝶だった。

次回は、小蝶視点に戻ります。

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