106話 星がとてもきれいで1
日奈の言っていたヒロインお楽しみイベントは、やはり発生しないようだ。
それはそうだ。私はヒロインではないのだから。
謁見した足利義昭様は無個性な印象の方だったけど、自称妹の秋さんは兄と違いおちゃめで面白いひとだった。あの子とは、十兵衛のお許しさえ出ればいい友達になれそうな気がする。
で、その十兵衛くんはと言うと、私から少し離れた隣で、いじいじ焚火をつついていた。
私はその横で刀を振るう。
「ふんっふんっ!」
「……まだそれ、やっているんですね。筋とれ」
「ええ。日課だもの!」
素振り100回。あと、持ってきていたお手製ダンベル持ち上げ。
おかげで、似たような体格の秋さんも抱き上げられるようになったのだし、サボるわけにはいかない。
今日は場所が場所だから、腹筋と腕立てと背筋はやめておこう。草が口に入る。
十兵衛はそんな脳筋女を見て、かすかに笑ったあと、再びしょんぼりと目線を落とした。
「すみません、帰蝶様……」
「気にしない気にしない!どうせ筋トレするんだから、屋根のあるなしは変わらないわよ!ふんっ、と!」
私達は、美濃へ帰る前にここで野宿をすることになった。
本来の予定では、交渉が終わり次第すぐに出ていれば日が落ちる前に帰れたのだけど、秋さんとのこともあり時間オーバー。結局夜になってしまった。
しかし、そこは何事にも万全を期す明智十兵衛光秀。近くの町で宿をちゃんと手配していた。
ここまではよかったのに、着いたその宿屋が何を勘違いしたのか私達を夫婦だと思ったらしく、ご夫婦がいちゃいちゃする用のお部屋を用意してきた。クソ真面目十兵衛、宿屋店主と大喧嘩である。
そのまま泊まれないこともなかったんだけど、居づらくなった私が彼を引っ張って飛び出してしまったのだ。
義昭様のところへ戻って一晩泊めてもらうのも考えたが、なるべく借りは作りたくない。
他に行くあても宿もない。
街灯も道も整備されていない暗闇を進むのは危険。
そんな条件下でうろうろしていたところ、ちょっとよさげなキャンプ場(野営に丁度いい林)を見つけて、今に至る。
「私は持ってきたおにぎりも温められたし、他のお客さんに身分がバレないよう変に気を使わなくて済むし、キャンプの方が気楽で嬉しいわよ?」
お弁当用に持ってきた醤油焼きにおにぎりを焚火で炙ってあたためて、ついでにお湯を沸かして味噌汁も作った。
味噌に刻んだネギとか混ぜて丸めて携帯しておくと、お湯を注ぐだけの簡易インスタント味噌汁が出来るのだ。テレビでやってたので作ってみた。
戦国時代のキャンプ飯にしては、いいものが食べれたんじゃないかなと思う。宿屋だったらこうはいかないものね。
そもそも泊まろうとしてた宿屋だって、ベッドやお風呂があるわけでもなく、壁と屋根とぺらぺらのお布団があるだけで、そんなに野宿と変わらないし。
なんだけど、やっぱりクソ真面目な彼は私に不便をかけたと気にしてしまっているのだろうな。
負のオーラが、焚火に照らされて背中に濃く出ている。
「ほら、こうやって布敷いて寝転がれば、草がクッションになって宿屋の薄っぺらいお布団よりずっといいわよ!ね!?」
火から離れようとしない十兵衛の手を取って、無理やりごろんと横になった。
私に抵抗できない真面目な護衛くんも、引っ張られて転ぶように草地に並ぶ。
横に倒された十兵衛を見て、ふふっと唇から空気が漏れる。
なんだか、昔を思い出して、楽しくなってしまった。
父に止められたけど、こっそり彦太郎を自分の部屋に泊めてお泊り会をしたことがあった。
遅い時間まで山で遊びすぎて暗くなった中を、手を繋いで歩いて帰ったこともあった。
いつからか一緒に寝られなくなって、
いつからか手を繋げなくなった。
同じように思い出してくれたのか、盗み見れば、空を見たまま十兵衛も声に出さずに笑っている。
指摘すると、きゅっと唇を結んでごまかされた。
「……いえ」
大の字になってる私の横で、彼だけゆっくり身を起こす。また護衛モードに戻ってしまうのか。
もっとキャンプをエンジョイすればいいのに。
だって星がこんなに綺麗なんだもの。やっぱ電気や高いビルのある東京とは違うわね。
「正直、少しだけ、嬉しくはなりましたが」
「え?」
「少し前から、避けられているように感じていたので」
「あっ……」
私に向けられていたのは、寂しげな顔だった。
昔に、見覚えがある。
「ごめんね、避けてたのは、そう。だって……」
「だって?」
耳元で、草が揺れる音がする。
星空が欠けてしまった。
十兵衛が身を屈めて、暗闇でもわかる綺麗な顔が、私と夜空の間に入ってくる。
「どうして、私を避けたのですか……?」
囁く声。
こんなに近くで聞いたのは、はじめてだ。
『キスされた?』
『人はそれを恋と言うのでは』
日奈の声が、頭の中でうるさい。