ギョロ目と大根、徒然なるままに
某県某市の高級マンション。二LDK以上の広さが自慢のこのマンションの部屋の一つに――――
目玉と大根が、いた。
目玉のほうは、丸くきれいに整っており、愛好家が見たら絶賛するくらい芸術的な美しさを放っていた。
大根の方は、おばさんがスーパー等で見たら迷わず購入し、今夜の具材にしてしまうほどの新鮮さを醸し出している。部屋の中は電気もつけず、カーテンも閉められて薄暗い。それなのに両者の周りだけ、ランプの灯りのようにほんのり暖かな光が生まれていた。
否、その光は彼らの下にある、スマホの光だった。スマホの画面は、誰かがいじっているかのように動いており、そこに映っているのは、最近巷で人気のアプリゲームの対戦画面であった。どうやら、誰かと誰かが戦っているらしい。そして、この場でその誰かといえば――――
「あっ、そこでそのカードはズルい!」
まだ幼さの残る少年のような声。目玉から放たれている。しゃべれたのか、お前。
「ズルいもなにも、これは勝負だからな。戦いに正道も邪道もないぞ、ギョロ目」
今度は高校生くらいの、声変わりをすっかり終えた、低いがまだ若々しさの残る声が大根から放たれた。自分の身体? を胸を張るように目玉に向かって突き出した。というかお前もしゃべれたのか。
「ふーん、そういうこと言うんだラディッシュ。じゃあ、これでどうだ!」
目玉の意気揚々としたかけ声と同時に、スマホの画面が動く。どうやら、二体ともその異様な姿でスマホを動かせるらしい。
「ゲッ!! お前!! 力に物を言わせやがって! 俺の立てた完璧な布陣がぁ……」
ラディッシュ、と呼ばれた大根がさっきまでの威勢をなくし、反対に絶望したかのように葉っぱをしおらせた。ギョロ目、と呼ばれた目玉は嬉しそうにあちらこちらを飛び回っている。
飛び回っている、というのは、実は両者とも、謎の力でプカプカと浮遊しているのである。百歩譲って目玉が浮遊しているというのは、いわゆるオカルト話でよく聞く話なのでまだかろうじて理解できるのだが、大根も同じように浮遊して、あちこち飛び回っているのだ。
この二物体、ますます謎が深まるばかりだ。というか彼らは生物と呼んでいいのだろうか?
「そういえば、ギョロ目。今さらなんだけど、お前どうやってスマホ動かしてんだよ? 見た感じ、身体なさそうだしさ」
ラディッシュが思い出したかのように、誰もがまず気になるであろう質問をギョロ目に投げかけた。ギョロ目はうーん、と唸ったあと――――
「なんかさ、動けっ、って軽く念じたら動いたよ。でもそれは君にも言えることだよ? というか、君にいたってはそもそも身体という身体もないし、ましてや人間の使う物にはてんで縁のない、ただの大根じゃないか」
「大根ではない、ラディッシュだ」
ラディッシュがギョロ目に食ってかかるように言った。その反応に、ギョロ目は呆れたようにため息を吐く。いや、どこから出した?
「何でそんなラディッシュにこだわるんだよ? 大根でもラディッシュでも一緒じゃないか」
「同じじゃない。天と地ほどの違いがある」
「どういうこと?」
「大根なんてむさ苦しい、じじくさい響きだ。とてつもなくカッコ悪い。呼んでても呼ばれても、ねばついたような不愉快さを感じるね。それに引き換え、ラディッシュという言葉のみずみずしさときたら……! 爽やかクールイケメンそのものさ!! ネバネバじめじめブサイクとは大違いだよ」
「もはや憎しみのレベルじゃん……。よくわかんないなあ、君のその感覚」
「ギョロ目、お前はもう少し名前の価値を知るべきだ。名前というのはな、いわば自分とはどういった存在なのか、自分をどう見てほしいかという、自己を相手に分かりやすく伝えるための、最も効率の良い手段なんだ。つまりだな? 名前をしっかり考えるというのは、自己を研鑽していくのと同じということだ」
「でもラディッシュという呼び名だって、誰かが作ったものじゃないか。君が考えたものじゃないよ」
「だがそのラディッシュを選んだのは、間違いなく俺自身の意志だ。少しでも自分をよりよく見せるためにな」
「でも大根じゃん」
「大根ではない、ラディッシュだ」
そこはどうしても譲れないらしい。そんな他愛のない会話をしながらも、二体はスマホ上で対戦を繰り広げているようだ。
「話を戻すけど、ラディッシュはどうやってスマホを動かしたり、自分の身を浮かしてるの?」
「ふーむ、それは俺にもわからん。スマホの動かし方はお前と同じだし、この身に何の力もいれなくても、浮くことができるからな。移動するときも、特に力はいれてないし」
「へぇ~、すごいじゃん。最強の大根じゃん」
「だから大根ではない、ラディッシュだ」
二体はその後も、様々なアプリゲーをプレイしていく。どうやらお互いの仲は良好なようで、時折楽しそうに笑い合っている。
「せっかくだからさ、ギョロ目。お前もこの機に呼び名を改名しようじゃないか」
唐突に、ラディッシュがウキウキした声でギョロ目に提案する。ギョロ目は、心底嫌そうな声で答えた。
「え~、僕は今のままでもいいよ。君のように名前にこだわりがある訳じゃないし」
「お前なあ、もう少し自分をよく見せようと努力しなよ。俺たちは見ての通りの異形なんだから、人間みたいに衣服とかアクセサリーで着飾ることが出来ないんだぞ。せめて呼び名くらいはカッコいいのにしようぜ」
「そうは言っても、仮にカッコいい呼び名作ったとして、その名前呼んでくれるの君とお姉ちゃんだけじゃん。そういうのって、たくさんのヒトに認知されてこそ価値が生まれるものでしょう? 僕たちだけの間で終わったら意味ないよ」
「いいじゃねえか別に俺たちだけでも。それとも何だ? 俺や姉さんだけじゃ不服か?」
「いやそうとは言わないけどさ……」
「よし決まり! 俺がお前にとっておきの名前をプレゼントしてやろう」
「はぁ……もういいや」
ラディッシュがフンフン、とその身をどこか楽しそうに上下に揺らしている。ギョロ目は呆れたのか、それとも興味がないのか、スマホの方に視線を向けてガチャを回し始めた。
「そうだな……これはどうだ? イービル・アイ」
「それこの前君が当てた限定キャラの名前だよね……」
「なんかお前に似てたし、カッコいいから候補にあげてみた」
「どっちも目玉なんだから似てるのは当たり前だよ……それに何か恥ずかしいよ……別に僕、悪い目玉じゃないし」
「スライムみたいなこと言うなよ。そうだな……じゃあゲイザーとかは?」
「それもさっき対戦してたカードゲームのモンスターの名前じゃん……」
「他に何があるかなぁ……邪眼、ゲイズ、ステア、キラーアイとか……」
ラディッシュは真剣にギョロ目の呼び名を考えてくれているようだ。身をあちらこちらに動かしながら考える姿に、思わずギョロ目は声に出して笑った。
「フフっ」
「なんだよ? 急にどうした?」
「いや、ごめん。つい可笑しくなっちゃって」
「なんだよぉ! ヒトが真剣に考えてるってのにぃ」
「ヒトじゃなくて大根だけどね」
「だから大根じゃない、ラディッシュだっつの!」
「ヒトじゃなくて?」
「うがあああああああ!!!!」
ラディッシュは身をピョンピョン跳ねるように上下に動かしながら、己の怒りを表す。そのどこか愛らしい姿を見て、さらに可笑しくなって声をあげて笑うギョロ目。両者のやり取りには、どこか和やかさを感じずにはいられなかった。
「やっぱりギョロ目でいいよ。これが気に入ってるんだ」
「……本当に、いいのかよ? そんなんで」
「やっぱり、気にしてたの? 初めて会った時にテキトーにギョロ目なんて名前つけたこと」
「…………別に、そんなんじゃねえけどよ。俺はただ、どうせならもっとカッコよくしたほうがいいかなって思っただけだ……」
「変なとこで照れないでよ。大根のツンデレなんて誰得??」
「だから大根じゃねえええ!! ラディッシュだあああああ!!!!」
「はいはい」
二体がそんなやり取りをしていると、部屋の扉の鍵がガチャガチャと開けられる音がした。二体は、扉の方に向き直る。そして扉がゆっくり音を立てながら開かれて――――
「ただいま~」
若い(見た目二十代前半くらい)人間の女性が姿を現した。青紫色の艶やかな髪をストレートに腰近くまで伸ばし、薄化粧にもかかわらず、肌は絹のように白い。出るべき所は出ていて、引っ込むべき所はちゃんと引っ込んでいる、見る者を虜にする抜群のプロポーション。黒のビジネススーツを着こなす姿は、まさしくキャリアウーマンの代表格だ。
「あっ、お姉ちゃん! おかえり~」
「おかえり、姉さん」
ギョロ目とラディッシュはその女性の姿を視認した瞬間、どことなく嬉しそうに近づいてきた。
「外まで丸聞こえだったわよ~、ずいぶん盛り上がってたみたいね~」
フフフ、と女性は琥珀色の瞳を輝かせ、まるで聖母のような笑顔をギョロ目とラディッシュに向けた。それを見た二体は、恥ずかしそうな笑い声を出した。
「えへへ、ちょっと……ね」
「ちょっと……な」
「せっかくだし私にも聞かせてほしいな。これでも食べながら」
そう言ってお姉さんは、手荷物を床に置き、鞄の中から何かを取り出した。
「わぁい、僕の大好物のポテトだぁ!!」
「お! 俺の好物の大根だ! 姉さんありがとう!!」
「どういたしまして。ちょっと待っててね、今用意するから」
お姉さんはそう言って、キッチンに向かう。二体は、今か今かと心を弾ませながら、お姉さんの料理が出てくるのを待つのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これは、とあるマンションの一室で起こる、端から見たら身の毛もよだつ怪奇現象。しかし、どこか懐かしさすら感じる、日常的な生活風景と他愛のない会話。
今日も奇妙で、のどかな一日が過ぎていく。