第五話:次の犯行現場
ラムノイとヤエヤマは現場であるマンションに戻っていた。住人が使っている出入り口は確かに電子ロック式で、カードのタッチ部分があった。外部から見える端子などは無い。ヤエヤマは電子ロックの周りを撫でて、改造の跡が無いことを確認する。
「ハッキングするのは相当な技術が必要そうだな」
「どうやって入るつもり?」
ヤエヤマは懐からカードを取り出した。
「捜査用に貰っているマスターキーだ」
「昔ながらの方法で入るのかと思って心配しちゃった」
「一体どういう方法だ?」
「一番良い身分証」
ラムノイはヤエヤマの手にあるカードキーを取り上げて、電子ロックの接触部に当ててドアを開けた。
薄暗い廊下を二人で歩きながら、現場へ向かう。ラムノイはフードを被り直しながら、「そういえば」と呟いた。
「現場に戻るって言ってたけど、今更戻って何かあるわけ? 刑事警察と鑑識が調べた資料以上の情報は得られないと思うけど」
「興味があるのは現場であって、現場じゃない」
そういってヤエヤマは現場となった部屋の前を素通りする。ラムノイはそこで止まったまま、取り残されていた。ヤエヤマは彼女が付いてきていないのに気づいて、振り返った。
ラムノイは怪訝そうな表情でヤエヤマを見ていた。
「まさか、カラナの部屋を捜索するつもり?」
「それ以外に無いだろ」
現場から数部屋離れた部屋のドア、その横には「カラナ」と名札が貼られている。その前でヤエヤマは立ち止まっていた。ドアノブに手を掛けてひねるが、鍵が掛かっているのか全く開く様子がない。
「ねえ、“一番良い身分証”を使おうって思ってるなら、今すぐ言ってほしいんだけど」
ラムノイが忠告した瞬間、バギィと金属の軋む音が聞こえた。ドアノブはへし折られて、樹脂の部分で首の皮一枚繋がっている状態になっていた。ややあってボトリとドアノブは床に落ちた。
ヤエヤマはそれを見て、「よし」と頷いてドアを蹴って開けた。
「これに限る」
「これしか知らないの間違いでしょ」
ラムノイはため息をつきながら、部屋にズカズカ進んでゆくヤエヤマの後を追う。見たところ、部屋に不審なところは無かったがヤエヤマはクローゼットや引き出しを目についたところから開けていた。
「ねえ、何でカラナが犯人だと思ってんの? アリバイ、実証されたでしょ」
「表面上そう見えているだけだ」
「なんで、そう断言できるわけ?」
「奴は『私は刺してない』と言った」
「それが?」
「俺は被害者が刺されたとは一言も言っていない。殺人事件と言っただけだ。あいつは自分が知り得ない情報を知っていた」
「……確かに怪しいかも」
「確実な証拠を集めるぞ」
ラムノイはコクリと頷いて、見よう見真似でヤエヤマに続いた。
* * *
シュヴェーカの目の前にはうだつの上がらない感じの男が座っていた。灰色のジャージ姿、生気の感じられない目がぎょろりと彼女の顔を見た。
彼の名はソスティミェ・イーノント・イツドゥ、事件現場であるマンションの管理人であった。
「あ、あのぅ……事件当日はどこで何を……?」
「もう、警察、話した。何か、ようか」
「あぁ……えっと……もう一度訊かせていただきたいんです」
慣れていないような喋り方は移民風のものであった。連邦政府の移民向けリパライン語講座に通い始めてから、三週間位の喋り方である。
シュヴェーカは聞き込みがマトモなものになるのか心配になって、髪を弄んだ。
「あの日も、今日も、明日も、ここに居る。管理室に」
「その日にカラナさんが電子ロックを開けて、マンションに入ったのは覚えていますか?」
「カラナ? 空? 何が空?」
「はぁ……いえ、レナ・ルーヴァダ・ノヨミッハ・カラナさんです。ここの住人の」
「ああ、319号室の奥さん、あの日もカードキー無くしてた」
シュヴェーカはそれを聞いて目の色を変えた。
「それって本当にカラナさんの声だったの?」
「間違えるわけない、セキュリティ関わる」
「でも、彼女はダンスクラブに居たって言っていたのよ」
「確かにカラナ夫人の声だった」
「待って、夫人?」
イツドゥは生気のない表情のままで頷いた。
「夫が居るはずだけど、昨日から帰ってきてないな。そういえば」
「なんでそれを先に教えてくれないのよ!!」
イツドゥは生気の無い瞳をぎょろぎょろと動かす。それでシュヴェーカは彼が動揺しているのだと気づいた。
「だって、訊かれてないから……」
「はあっ、もう!」
シュヴェーカはイツドゥを部屋に残して、管理人室の外へと出た。ハンドバックから携帯を取り出して、連絡帳からお目当ての連絡先を見つけ出す。
彼女は繋がった電話先に息せき切った様子で話し始めた。
「私よ、シュヴェーカ」
「も、申し訳ありません。どなた様でしょうか?」
「あんたこそ、誰よ! こっちは急ぎなの、ミスクを出してくれる?」
「あの……その……僕、新入りで……すみません、誰です?」
「ああ、もうっ、まどろっこしいことありゃしないわ! 国地院ユエスレオネ地域局長、テンラ・ミスクよ!」
電話の先で新人の職員がバタバタと動き始めた。シュヴェーカはため息をつきながら、お目当ての人が電話先に出るまで待った。
* * *
数十分探し続けても、ヤエヤマとラムノイは目ぼしい証拠を見つけ出すことが出来ていなかった。部屋は空き家強盗に荒らされたような様相になっていたが、依然ヤエヤマは家を荒らし続けていた。
ラムノイは腰に手を当てて、首を捻った。相当疲れた様子で台所の方へ向かって冷蔵庫を開けた。中から、紙パック入りの乳飲料を取り出して、付属のストローを突き刺す。リパラオネ文化圏では故郷の味、リウスニータだった。
「おい、ラムノイ」
「ここまで違法捜査しといて、今更でしょ」
「ラムノイ?」
「疲れたんだから少し休ませてよ」
「俺にもよこせ」
ヤエヤマはラムノイが持っていた紙パックを奪い去って、一口飲んだ。ラムノイは忌々しげに彼の顔を仰ぎ見る。
「ヤエヤマ捜査官……あたしのリウスニータを奪った容疑、っていうか現行犯逮捕なんだけど」
「盗ったのはお前の方だろ。それより、あれを見ろ」
ヤエヤマはストローを吸いながら、ラムノイの背後を指さす。その指は冷蔵庫の裏を指していた。壁紙の端が少し剥がれて、材木がむき出していた。ヤエヤマは壁に近づき、壁紙を力ずくで引き剝がし始めた。
「ちょちょちょ、そこまでやるのはヤバいって」
「大丈夫だ、このマンションは鉄筋コンクリート造りで壁の裏はコンクリのはずだ。この建物を改造してんのは――」
大きな木板の端は壁とは繋がっていなかった。壁紙はするりと不思議にスムーズにめくれ落ち、木の板は奥の方へとどうと音を立てて倒れた。その奥に広がっていたのは奇妙な一室であった。
それを見たラムノイは冷静さを取り戻した。
「……カラナの方だったんだね」
薄暗い一室の中心には、赤い絵の具か何かで書かれた魔法陣のような図形。その中には革命の先導者であるターフ・ヴィール・イェスカの写真が立てられていた。その前に数本の火の灯っていないラダヴォイム灯が立っている。溶けたろうが床に不気味な斑点を残していた。異様さはそれに収まらない。両脇には本棚があり、その殆どは人民解放戦線とイェスカの哲学に関わるものだ。異様な執着心と儀式の間のような空間はそれを見た二人に寒気を感じさせた。
しかし、ラムノイにもっと興味を持たせたものがあった。
「これ、なんだろう……?」
本棚に入っている本と本の間に封筒サイズの紙が挟まれていた。取り出してみるとそれは蛇腹状に折りたたまれていて、開くと出てきたのは市街地縮尺の地図であった。
「なんでこんなところに地図が?」
「見ろ」
ヤエヤマはそう言って、地図をなぞった。そこにはリパライン語の表記に用いられるデュテュスン・リパーシェが一文字づつ地図上に配置されていた。
「p, fh, f, t ,c, kと……b、sか?」
「字が汚いけど、bはqじゃない? xじゃなくてsがあるのが不思議だけど」
「間違えたんだろ。カラナはユフィシャール人だからな」
ヤエヤマはそう言ってから、飲み終わった紙パックを部屋のそこらへんに放り投げた。
ラムノイが疑問に思ったのは言語翻訳庁に規定されたデュテュスン・リパーシェの監査委員会式文字順はp, fh, f, t, c, x, k, q......と続いていくからだ。ちなみにsは22番目なので、qの次に来る文字としては不適切である。カラナがユフィシャール人であれば、母語はユフィシャール語だ。その表記体系であるラッタッダ文字の配列ではxとsが隣り合っている。非母語の文字配列で間違えたとすれば筋は通る。
ラムノイはそれに気づいてから、目を見開いた。
「これ、kとqのところ、今回の現場じゃん」
「他の文字の場所は過去の現場か」
「じゃあ、次はqの場所――このマンションで殺人が計画されている……?」
ラムノイが囁いた瞬間、彼女のフードのポケットから発信音がなった。可愛らしい童謡がまた部屋の中に流れた。
「ザーフニツィヤ」
『えっ、なんですって?』
「ザーフニツィヤ! 私の名前なんだけど、そろそろ覚えてくんない? セプト」
「あ、ああ、すみません……」
セプトは少ししおれた声で応答するもすぐに気を取り直したように声に張りを戻した。
「それよりもまずいんですよ」
「何が?」
「カラナさん、夫のルーヴァって人が居たんですけど行方不明らしくて現在捜索中なんです! シュヴェーカさんが国地院から公道監視カメラの映像を融通してもらって、途中までの道は分かったんですが途中から現場近くで見失ってしまいまして……」
ラムノイとヤエヤマはお互いを見合わせる。その表情は彼女らしくなく緊迫に満ちたもので、ヤエヤマは一瞬で危機的状況にあることを読み取ったのであった。