55 父との対峙
この章から、とうとう、いや、ようやく本格的に、ベネフィット公爵が父親の姿を見せていきます!
リッカルドがトールキャッスルから都に戻ってきたのは、三日後の事だった。夜遅く出発したので、思ったより時間がかかった。
フィリア家の馬車で、クリスやジョージとともに送ってもらったのだか、御者のベンジャミーが酷く疲れていて、休み休みの運行だったからだ。もっとも、護衛のマークスも含め、皆が精神的に参っていたが。
リュカ王子に癒されなかったら、無事に帰路につくことはできなかっただろう。
リッカルドが自分の書斎にいると、ノックとともに父親のペルクスが入ってきた。
父が自分の書斎に来るなどという事は滅多にないので、リッカルドは訝った。
父が言った。
「ずいぶんと帰りが遅かったようだな。」
「はい、夜中というか、明け方に近かったです。」
「昨日戻ってきた者の中にエキナセアはいなかったが、お前と帰ってきたのか?」
父がエキナセアを話題に挙げるのは、この春に五年ぶりに戻ってきてから初めてだったので、リッカルドは益々猜疑心を抱いた。
「エキナセアとは誰の事ですか?」
「?」
ペルクスは一瞬沈黙した。息子の言った意味がわからなかったのだ。しかし、息子がそれ以上口を開かないので、自分から言葉を続けた。
「何を言っている。お前の妹はどうしたと聞いているんだ。」
「私の妹でしたら、五年前に貴方に殺されかけて、そのあげくフィリアへ追い払われたでしょう。当然フィリアにいますよ。」
「・・・・・」
ペルクスは大きく目を見開き、息子を見た。次男のこの息子とは、決して親密な親子関係だったわけではないが、かと言って、険悪な仲ではなかった。特に自分に逆らう事も、意見を言ってくる事もなかった。故に息子のこの言葉に驚いた。
「フィリアへ戻ったという事か? 大学はどうするんだ。それに、子供達の家庭教師は?」
「家庭教師? それはブルブレアの事を言っているんですか? 貴方が侍女の事を気にかけるなんて、どうなさったのですか?」
リッカルドの問いに、ペルクスは唖然とした。一体どうしたんだ。息子と意思の疎通ができない。
「ブルブレアはトールキャッスルで倒れました。体も心も弱っているので、暫く安静にするように仲裁人様に言われたそうです。
いつこちらに戻れるかわかりません。父上は引退されるのでしょう。お暇になるなら是非とも子供達の面倒をみてください。」
「倒れただと! 何呑気な事を言っている! 何故エキナセアを置いて自分だけ戻ってきたんだ? それでもお前は医者か!」
怒りを表す父を、リッカルドは意外そうに見つめた。
何を怒っているのかがわからない。何故今更エキナセアを心配しているふりをしているのだろう。とうの昔に自分が見殺しにしたくせに。
「私が側にいても何の役にもたたないので帰ってきました。そもそも、私のせいであの子は倒れたのですから。ディル達が側にいてくれるので心配ないでしょう。」
「お前は、何をしたんだ!」
「貴方と同じ事です。私は貴方を反面教師にしてきたつもりだったのに、血は争えませんね。」
リッカルドは低い声で答えた。
「同じ事? はっきり言え!」
ペルクスはイライラし、我慢の限界を超えた。屋敷中に響き渡るのではないかと思えるほどの大声で怒鳴った。
「アーノルドさんの事ですよ。
何故黙っていたのか、知っていたら助けられたかもしれないのに。
私はそうエキナセアに言ったんです。」
リッカルドは父とは正反対に、冷静過ぎるほど冷静に答えた。父はその答えを聞いて絶句した。
「貴方は、アーノルドさんの代わりにお前が死ねばよかったのに、とエキナセアに言ったのでしょう。ならば、今更あの子を心配する必要なんてないでしょう。」
「アーノルドの事を聞いたのか? 違う。そうじゃないんだ。」
狼狽する父の姿を初めて見たリッカルドだったが、不信感しか沸かなかった。
今更、息子によく思われたい、とは思ってはいないだろうに、何を言い繕うとしているのか。
「そう言えば、エキナセアは金色の認定カードをもらいました。アーノルドさんと同じです。貴方がいくら不要だと思っていても、天はエキナセアを認めたんですよ。」
リッカルドはこれ以上、不毛な言い合いをしたくはなかったので、父を残して自分の方が書斎を出た。父の慟哭する声が聞こえた。
廊下にはアリーチェが立っていた。父が大声を出したので様子を見に来たのだろう。
リッカルドは誰とも話をしたくなかったので、アリーチェを無視して歩き出した。しかし、アリーチェはペルクスではなくリッカルドの後をついてきた。
リッカルドは図書室へ逃げ込もうとしたが、アリーチェも入って来てしまった。
「お願いですから一人にして下さい。」
「こちらこそお願いですから、少しだけで結構ですから話をさせて下さい、リッカルド様。」
アリーチェの真剣な顔にリッカルドは顔を背けたが、追い出すのは諦めた。
「ディル様からお話は伺いました。エキナセア様は大分落ち着かれたそうです。」
アリーチェも例の通信機器を持っている。
「良かった・・・」
「リッカルド様、アーノルド様の事、誠に申し訳ありませんでした。
私が正気を無くしたせいで、あのような事になりました。そしてそのせいで、エキナセア様に深い心の傷を負わせてしまいました。本当に取り返しのつかない事をしてしまいました。悪いのは全て私です。」
「貴女のせいではありません。全て祖父が悪いのです。そして父も。」
リッカルドの言葉に、アリーチェは両手を合わせ、祈るように言った。
「今の貴方様ならきっとわかって頂けると信じてお話します。旦那様は、ペルクス様は、本当はエキナセア様を愛していらっしゃるんです。昔も今も。もちろん、リッカルド様やディル様も。」
アリーチェのこの言葉にリッカルドは信じられない、という顔をした。何を言っているんだと。
「エキナセア様に、確かに親として絶対に言ってはいけない事をおっしゃいました。
でも、あの時のペルクス様は、私同様に正気じゃなかったんです。人は弱いものなんです。悲しいほどに。今のリッカルド様にならわかって頂けるのではないですか。」
「ええ、わかりますよ。わかります。私は自分が弱いという事は十分にわかっていますとも。
だからと言って自分を許す気も、父を許す気もありません。アーノルドさんの事だけじゃないでしょう、父がエキナセアにした事は。」
リッカルドは叫んだ。
「だからそれは誤解なんです。ペルクス様はエキナセア様のアレルギー体質の事はご存知でしたが、食物アレルギーの事は全くご存知なかったのです。奥様がお話になっていなかったので。」
「・・・・・」
「エキナセア様を外へ出さなかったのも、他のお子様達だけでなく、エキナセア様自身の事も心配されたからなのです。
フィリアへ行かせたのも、その方がエキナセア様にとって良かれと思ったからです。都にいたら、自由に外へも出してやれないからと。」
「そんな戯れ言を私に信じろと? もしそれが本当なら、何故エキナセアに優しい言葉の一つもかけてやらなかったんだ。」
「それはあの方が己を罰しておられたからです。エキナセア様に憎まれ続けなければならない。自分は娘に許されてはいけない、とおっしゃっていました。」
「そんな事は単なる自己満足だろう。実の親に愛されていない、自分は不要なんだと思っていたあの子が、どんなに辛かったかわかるか。
それにあの子はどんなに酷い目にあっても、相手を憎んだりはしない。自分が悪いからだと思ってしまう。
アリーチェさん、貴女がエキナセアの一番側にいたのだから、それくらいわかっているでしょう。でも貴女は、エキナセアよりも父側の人間だったんですね。」
リッカルドは絶望した。ああ、結局このベネフィット家には誰一人エキナセアの味方はいなかったのだ。自分を含め。
アリーチェは真っ青な顔で今にも倒れそうだった。それでも必死で言い募った。
「違います、リッカルド様、どうか信じて下さい。確かに私はペルクス様が抱く理想の社会のお手伝いをしたいと思ってきました。
でも、それよりも、エキナセア様やリッカルド様を大切に思っています。」
「もう結構です。これ以上何も聞きたくありません。」
リッカルドはアリーチェの手を振りほどくと、図書室を飛び出して行った。アリーチェの嗚咽する声が廊下に響いていた。




