8. 瀕死
黒い塊はじっと動かなかったが、パラゴは生きた竜だという。背中の羽は畳まれ、小さくなっていた。クロートーが、「ねえねえ、マリシ。どうするのよ。いきなり見つけちゃったじゃない、大物を」と囁いた。このまま引き返したほうがいいのだろうか? ネイトは、「ここから射かけるのでしたら、いつでも準備はできています」といきなり好戦的だ。それにつられたのか、エルジャが気合の入った顔で、「あたしもいざとなったら魔法で攻撃する準備はできているのです」と言った。
「2人とも落ち着け、こちらから攻撃する理由はないだろ。この竜ヶ峰から出て行ってくれればいいんだから」と言うと、クロートーが口を尖らせ、「じゃあ、どうするのよ。どこか別のところに引っ越ししてくださいって、頼んでみるわけ?」と無茶を言い、「そんな簡単にいくかよ」と言ったとき、竜がむくりと頭をもたげた。そして、『小さき者よ、遠慮せずに近づくが良い。喰ったりはせん』という声が頭に響いた。ネイトとエルジャも驚いた顔をしていたので、聞こえたのだろう。うろたえたエルジャが、「ど、どうします、マリシさん。あたしたちのこと、バレバレみたいですよ」と言うと、クロートーが、「え? なに?」と言い、クロートーには聞こえていないとわかった。
「今、俺たちの頭に竜の声が響いたんだ。こっちに来いって」と教えると、「えーっ? あたしには、なにも聞こえなかったけれど」とクロートーが言い、エルジャが、「それは、クロートーさんに、マナがないからですよ」と指摘した。
するとクロートーが大きな声で、「竜さーん、そっちに行ってもいい?」と叫び、手を振った。いきなりかよ、と思っていると、竜が、「良いぞ。もはやわが命の火は燃え尽きようとしておる」と声をだした。
俺を先頭に、ゆっくりと近づくと、頭をもたげた竜の、弱点と言われている逆鱗部分に、白い結晶体のようなものがこびりついているのが見えた。「小さき者よ、何をしに来た」と竜の声が響いた。静かな、落ち着いた声だった。この声を聞く限り、危険は感じないし、むしろ知性が感じられた。
「この山のミスリル鉱を調査にきました」と答えると、「もうしばらく待てんか? わが命はまもなく尽きようとしている」と言う。「病気ですか?」と尋ねると、「そんなところだ。200年前に呪いをかけられ、徐々に力が失われた」と言った。200年前は、ちょうどエルフ族の若い戦士が竜を倒した時期だ。「どんな呪いをかけられたんです?」とさらに尋ねると、竜は少しの間、沈黙し、「小さき者とは別の小さき者の呪いだ。だが、恨んではおらん。儂は、弱い者を倒し、強い者が残るのが、自然の摂理と信じていた。小さき者が儂のような侵略者を許せないと言ったのも、今ならわかる」と答えた。「侵略者を許せない…ですか?」と聞き直すと、「そうじゃ。『いかなる侵略行為も許せない』と言っていた」と竜が言った。「エルフ族はいかなる侵略行為を許しません」はエイマス・サラ女王陛下が激怒…、いや、侵略者を成敗するときのセリフだ。竜を倒したエルフ族の戦士って、若い頃のエイマス・サラ女王陛下かよ。ちらりとエルジャを見ると、エルジャも驚いた顔をしていた。
「あとどのくらいの命なんですか?」と尋ねると、「数十年、いや数年だ。呪いが儂のマナを奪い続けている」と言った。「治す方法はないのですか?」と尋ねると、竜が逆鱗を見せ、「首に刺さったトゲを引き抜かねば無理だ。だが、引き抜こうとすると、そのマナに反応して呪いが増える。200年の間、何度もトゲを抜くことを試したが、もうあきらめた」と言った。竜が言うトゲをよく見ると魔術師の杖で、呪いと言っていたのは白い結晶体のようだ。
クロートーが、「ちょっといい?」と言って、荷物を降ろし、酒樽をもって無遠慮に竜に近づいた。そして、「死に水を取ってあげるわ。人間族には死に臨んだ者になにか飲ませる習慣があるのよ。これは極上の、ドワーフ族のお酒」と言うと、竜は怒ることなく、クロートーの身体の高さまで顔を下げ、口を開けた。噛みつかれるのではないかとひやひやしたが、クロートーは臆することなく、竜の口の中にすべての酒を注いだ。竜は飲み干し、「小さき者よ、感謝する。水以外を口にするのは久しぶりだ」と満足そうな声で言った。200年間、雨水だけで生きてきたとは、一体、どういう生き物なのだ。
クロートーが腰に手を当て、「ねえ、竜さん。あたしなら、あなたの首に刺さった杖を抜いてあげられるわよ」と言うと、竜は首をもたげ、「小さき者よ、それは無理だ。儂の身体から棘が抜けば、お主のマナに反応して呪いがかかり、お主に害が及ぶ」と言った。「へへーん、それがあたしの場合は大丈夫なのよ。体の中にはマナはないからねー」とドヤ顔し、クロートーは竜の首をポンポンと叩いた。そして、「竜さん、約束してよね。これを抜いたからって、また侵略者にならないって。そしてここから去ってくれるって」と言った。 竜は素直に、「よかろう。自分が弱るにつれて、命について考えるようになった。もう侵略者と言われるようなことはしない。そして、ここを去る」と答えた。
「じゃあ、抜くわよ!」と、クロートーが竜の首に刺さった杖を握ったので、俺は慌てて、「待て! もう少し慎重になれ! エルジャ、クロートーの周りを防御してやってくれ。【障壁】と【防術】でいいだろう」と指示した。そして、「俺たちはもっと離れよう」と言って、竜から10m以上の距離を取った。
クロートーが「抜いてもいい?」とこちらを見るので、「頼む!」と答えた。クロートーは竜を見て、「じゃあ、抜くわよ。おりゃー!」と叫び、杖を引き抜いた。その瞬間、すさまじい爆風に、俺は吹き飛ばされた。起き上がったときには竜の姿はなく、【防術】と【障壁】の魔法に守られたクロートーだけが杖を持って立っていた。そして、クロートーが、「びっくりしたぁ! いきなり、竜が消えて。でも、確かに杖は抜いたわよ!」と言って、杖を放り投げた。カランと音を立てて地面に転がった時、(宿主様、ネイトさまが危険な状態です)とパラゴが警告した。「ネイト?」と小さく叫び、慌ててネイトに駆け寄った。ネイトは地面に転がったまま、ピクリともしない。身体には銀色の液体がかかっていた。
(パラゴ、情報を!)と言うと、(竜の血液を浴びたようです。高濃度のマナが身体を侵しています。このままでは多臓器不全を起こします)と言った。
ネイトの脇の下のスイッチを押し、竜の血液に汚染されたアーマーを引きはがして裸にした。両手で【防術】の魔法を発動すると、ネイトの身体の主要な臓器をマナの汚染から守ったが、(ネイトさまの体内のマナの濃度が下がりません。5分で死に至ります)とパラゴが警告した。
「エルジャ!」と叫ぶと、エルジャがよろよろと起き上がり、「なんなのですか、今のは。すごい衝撃だったのです」と言うので、「ネイトが竜の血を浴びた。高濃度のマナに汚染されている。マナを減らさないと、身体がもたない! なにか手はないか?」とまくしたてると、エルジャがいきなりシャンとなり、「えっ、ええーっ! ネイトさんが? マナを減らす方法、マナを減らす方法…。えーと、マナを吸収する魔法って、エルジャは知りません!」と言った。「考えろ! このままだとネイトが死ぬ」と言ったが、自分でも無茶なことを言っているのはわかっていた。クロートーが、「ネイト先輩!」と駆け付けた時、パラゴが(宿主様、ネイト様、すでに危険レベルに達しようとしています)と警告した。
このままではネイトが死ぬ。なにか、竜のマナを減らす方法はないだろうか? 竜のマナを吸収する…? そうだ、エイマス・サラ女王陛下の杖だ!
俺は跳び、杖を拾い上げた。その瞬間、杖を持つ両手が結晶体に包まれ、脱力して右膝をついた。(宿主様、急激にマナが減っています。危険です。すぐにその杖を捨ててください)というパラゴの警告を無視し、ネイトのところに跳んだ。どんどん自分の身体からマナが減るのがわかった。こんなものを200年も身体に刺していた竜というのは、どれだけマナがあるんだよ。
(危険です。すぐに杖を捨ててください)とパラゴが警告を繰り返したが、それに構わずネイトの身体に杖を押し当てた。高濃度のマナに反応し、結晶体がネイトの身体を包み始めた。俺の腕とネイトの身体が結晶体に包まれ、パラゴが(ネイト様のマナが急激に減っています。宿主様のマナも減少し、すでに危険レベルです)と警告した。
「そんなことはわかっている」と思わず声に出した。もっとマナを吸収させなければネイトが死ぬ。結晶体がネイトの身体全体を覆い始めた時、パラゴが(マナの残量を宿主様の生命維持にまわし、機能停止します)と言い、パラゴの声が聞こえなくなった。そして、ネイトの身体が完全に結晶体に埋まったのを見届けた瞬間、俺の中でプツンと音を立てて、何かがキレた。そして、目の前が真っ暗になった。




