9. いたるところに酔っぱらい
冒険者ギルド本部には休日がなく、しかも24時間、営業している。ダンジョン帰りの冒険者はだいたい時間の感覚がおかしくなっているし、宿をとれず冒険者ギルド本部内で夜を明かす冒険者もいた。ただし、窓口業務は昼間よりも夜間は縮小され、今夜も一つだけ開いていた。
「ギルドマスターを呼んでくれ、緊急事態だ」と窓口にいた男性職員に声をかけた。男の顔の横に『冒険者ギルド職員。年齢40歳代後半。近眼…。』と表示された。うざいので、(パラゴ、情報表示はオフ。今後も余計な表示はするな)と命じた。
男性職員は眼鏡越しに、胡散臭そうに俺を見て、「この時間にどのようなご用件ですか?」と訊いた。「マリシが来たと言ってくれれば話は通じる」と答えると、もう一度、「ご用件はなんですか?」と訊いてきた。化け物が現れたとも言えず、「冒険者ギルドの規約で、緊急事態が起きれば、冒険者は速やかにギルドマスターに連絡すると決まっているだろう? 俺はSランク冒険者だ」と食い下がると、職員は渋い顔をして、「こんな時間にギルドマスターを呼び出すほどの緊急事態なんてそうそうあるものではございません。明日の朝でも間に合うんじゃないですか?」と、俺が身分を詐称しているとでも思っているのか、対応がぞんざいだ。
辛抱強く、「それなら、ギルドマスターに『忘却の迷宮』の件で来たとだけ伝えてくれ」と言うと、職員は眉間に皺を寄せ、「『忘却の迷宮』ですか? あそこは1週間前から立ち入り禁止になっているんです。勝手に入って何かあっても、自己責任であって冒険者ギルドの支援はありませんよ。お仲間が危ない状況でしたら、明日の朝にでも捜索チームを出しますが、冒険者様の費用負担になります」と言ってきた。「だから、そういうことじゃないって! この都市全体の安全に関わることだ。今、言えるのはここまでだ」と言うと、「ですから、そんな曖昧な案件でギルドマスターにお取次ぎはできません。いいですか、緊急事態かどうかを判断するのは、我々、冒険者ギルドの職員です。冒険者様ではありません」ととりつく島もない。とうとう「緊急事態だから、こんな時間に、ここまで伝えに来たんだって!」と大きな声で言うと、酒場のホールから「兄ちゃん、兄ちゃん、世の中にはルールってものがあるんだから、ちゃんとそういうことをお勉強しなきゃ」と声がし、「おめぇーが言うなよ。わははは」と笑い声が続いた。
ムッとして声の方を見ると、テーブル席の4人がこちらを見ていた。30歳前後で、こう言っては悪いが、装備を見る限り、せいぜいDランクだろう。酔っ払いは面倒くさいので無視したが、男たちの会話が耳に入った。
「俺、あいつ見たことあるっスよ。ギルド窓口のイケてる女を馬車で迎えに来た奴スよ」
「あの、ツンとした女か。あの女、年下好みだったのかよ、俺も狙っていたのになぁ」
「女の方は、めかしこんでいたっスよ」
「おおかた、気に入った冒険者を捕まえては、小遣い稼ぎしているんだろうよ。本業より割がいいかもな、ワハハ」
このときの俺はどうかしていたのだろう。つかつかと男たちのテーブルのところに行き、「おい! 彼女の悪口を言うな」と怒鳴った。4人の酔っ払いは驚いた顔をしたが、ワイシャツ姿で丸腰の俺を見て、悪びれた様子もなく、「そんなに怒るなよ、兄ちゃん。仲良くしようぜ。今度、俺にも彼女を貸してくれよ」と言った。片手で手印を組み、【無音】の魔法を発動させた。【無音】は相手の詠唱を阻止するための魔法だが、いきなり周囲の音を消すと、ほとんどの人間はパニクって動けなくなるので、相手の虚をつくのに便利だ。思った通り、男たちも、ギョッとした顔をして固まった。
「くだらないことを言うな」と静かに言い、右手で手印を組んで、手掌の上に【火球】を出現させ、火の玉をテーブルに放ると、テーブルの真ん中に、ぽっかりと穴が空いた。【無音】の魔法で音もなく爆発したが、周りには木の焼けた後の焦げ臭さが漂った。もちろん、威力を抑え、男たちに怪我はなかった。
「次は容赦しない…」と言うと、すっかり酔いが覚めたような顔をした男たちは、身じろぎしなかった。気がつくと、酒場にいた数人の冒険者と店員が俺を凝視していた。やりすぎたと気づき、その場にいたみんなに、「お騒がせしました」と頭を下げた。お騒がせも何も、すべて静寂の中の出来事だったのだが…。ぱちんと指を鳴らして、【無音】の魔法は解除し、冒険者ギルド本部を後にした。結局、ポニーには報告できず、酔っ払いには絡まれ、周りからは変な目で見られ、さんざんな目に遭った。
走って屋敷に戻ると、数人の研究員が破壊されたラボの壁を片付けていた。冒険者ギルド本部に行っている間、トラブルはなかったようだ。着替えてからラボに行くつもりで自室に入ると、「キター!」といつになく明るいネイトと、「マリシくーん!」と笑顔のメーティス先生と、「あっ、お帰り」と冷静なクロートーが車座になり、酒盛りをしていた。床に転がる酒瓶は、ドワーフ族の族長がくれた酒で、美味だが、アルコール度数が高い。こんな酒を飲みながら、ガールズトークをしていたら、正気でいられるはずがなかった。
「保護室に入れておけって言ったのに…」と呆然とつぶやく俺に、ネイトがおぼつかない足取りで近づき、「私が錯乱したらどうやって止めるのかしら、ヒック」と言って抱き着いた。ネイトよ、すでに錯乱しているぞ…。
白衣のメーティスが立ち上がり、「マリシくん、この子はね、クロートーちゃんって言うのよー。よく言うじゃない、『昨日の敵は今日の友』って」と言うと、ふらついてその場にしゃがみ込んだ。先生、敵だったのは、まだ今日の話なのですが…。
クロートーは呆れ顔でネイトとメーティス先生を見ながらも、酒を飲む手を止めなかった。そして、「ほんと今日は最悪。身体は焦げ臭いし、マリシには変態的なことされるし。こうしてお酒でも飲まないとやっていられないわ」と、まったく酔っていないようだ。ネイトが「変態とは聞き捨てならない、ヒック。マリシ様はね、ヒック、すごく素敵…」と言い、それを聞いたメーティス先生が「マリシくんは、私みたいな年上が好きなの。私に熱烈なラブレターをよこして、王立研究所にまで私を奪いに来てくれたんだから」と、かなり盛った話をし始めた。
俺はベタベタするネイトを引き剥がし、「クロートーを保護室に入れとけって言ったのに」と言うと、メーティス先生が「大丈夫、大丈夫。クロートーちゃんは、さっきは寝起きで、ラボの壁を壊したり、マリシくんを殺そうとしたりしたみたい。根はいい子なのよー」と聞く耳をもたない。
「寝起きのたびに同じことされたら、いつか誰かが死にますって…」と呆れた。そして、パンパンパンと手を叩き、「はいはい、今夜はこれでおしまい。俺の家に泊まっていいから。今日一日お疲れさまでした。明日も頑張れる人ぉー」と言うと、「はーい」とネイトとメーティスが手を挙げた。酔っ払いは呆れるほど単純だ。その後もすったもんだがあったが、なんとかネイトとメーティスを客室に押し込み、クロートーを保護室に入れ、長い一日を終えた。