8. ファーストキスはトラブルの味
女は正気を失っているせいか、攻撃が単調で、子供の喧嘩のように予備動作が大きかった。しかし、休むことなく攻撃してくるので、それを一つ一つ、丁寧にさばいている俺の方が疲れてきた。なにせ、女の攻撃は、スピード、パワーともに尋常でないのだ。一発でも喰らえば、骨折は免れない。のらりくらりと攻撃を躱しながら、コツコツとパンチを入れていったが、依然として女は『ダメージ0』だった。俺の硬気功だって、煉瓦を粉々にできるぐらいの破壊力はあるというのに…。パラゴに(なにか打つ手はないのか?)と訊いても、(ありません)と他人事のように冷たい。
不毛な戦闘を続け、ずいぶんと時間が経った。そろそろ建物に残っていた職員の避難も終わっただろう。何度目かの大ぶりのパンチが来た時、それを躱して、両手で女の腕を押さつけた。すでに手印を組んで魔法を発動していたので、躊躇なく女の身体に【雷撃】を送り込んだ。女に雷が流れ、髪の毛が逆立ち、体中の筋肉が収縮して棒立ちになった。なおも【雷撃】を流し続けると、女の身体から火花が飛び、白衣が燃え、肉の焼ける嫌なにおいがした。
【雷撃】をやめると、女は棒のように、ばったりと倒れ、『機能停止』という文字が重なった。長い時間、雷に打たれ続けていたようなもので、さすがに死んだようだ。別のやり方があったかもしれないが、ここで戦闘不能にしておかなければ、どれだけの被害が出るかわからないと言う恐怖が先に立ち、過剰防衛になってしまった。
それにしても、何者だったのだろう。ダンジョンから持ち帰ったものを奪いに来たのか、なにかの改造された人間族なのか…。そう考えあぐねていると、パラゴが(宿主様、生命体の再生が始まっています)警告した。「嘘だろ…」と、目の前の光景に絶句した。地面に倒れた女がピクピクと上体を震わせていたのだ。【雷撃】で神経系と筋肉との接合を断ち、さらには筋肉を焼いたはずだ。それなのに、回復するのかよ!
(宿主様、解析が終わりました)といきなりパラゴが呼びかけてきた。(なんの話だ?)と訊くと、(金属板の翻訳が終わりました)と返ってきた。そして、(あの金属板は、古代文明の記録です。その文明は、女性減少による、人口不足に悩まされ、生殖機能を持つ女性型人造生命体を作りました。男性とつがいになることで出産させようとしたのです。つがいになるには、「出会い(ペアリング)」と「接続」の儀式を必要としました。しかしながら…)と、パラゴが立板に水のように説明してきた。煩しかったので、(後で聞く。今は目の前の化け物をどうするかだ)と言うと、(承知しました。重要な点だけを話します。この人間族は人造生命体です。宿主様がオブリビオン山の地下空間から持ち帰った鉱石に閉じ込められていました)と言い、仰天した。
(鉱石に閉じ込められていた? あの鉱石の中から出てきたということか?)と確認すると、(肯定します)と返ってきた。不透明鉱石を持って、オブリビオン山から下りてきたが、まったく生命反応を感じなかった。そしてパラゴの神の目でも見抜けなかった。あのサイズの鉱石に、どうやったら女を納めておけたんだ?
(元に戻す方法は?)と訊くと、(不明です)と言う。目の前で、女が上体を起こした。まだダメージは残っているようだが、一度死んだことを考えれば驚くべき回復スピードだ。(どうしたらいい?)と焦る俺に、(宿主様は、すでにこの人造生命体と「出会い(ペアリング)」の儀式を終えています)と意外な答えが返ってきた。どういうことだろう、と考えた瞬間、(宿主様が地下空間の手形に手を置いたときに、「出会い(ペアリング)」の儀式は終わりました)と言う。
女が地面に手をつき、よろよろと立ち上がろうとしていた。焦げ臭いにおいが周囲に漂った。パラゴが、(速やかに次の儀式を行わなければ、人造生命体の暴走は止まりません)と冷静に急かすので、(どうしたら暴走を止められる?)と訊いた。その時には、女が立ち上がっていた。まだふらついてはいたが、身体はほぼ修復されているようだ。手印を結んで、【雷撃】の魔法を発動しようとすると、(次の儀式は「接続」と呼ばれます。人造生命体と繋がる儀式です。つまり口付けです)と伝えられた。
もう躊躇なかった。女の前に跳ぶと、身体を引き寄せ、そのままキスをした。ファーストキスは、ものすごく焦げ臭く、苦かった。女は一瞬身体を固くし、やがて力が抜けた。しばらく、そのままでいると女の身体がゆっくりと俺から離れた。そして、「なにするのよ!」と叫び、パチーンという音を立ててビンタされた。
(宿主様、最大耐久強度の3%未満です)
パラゴよ、それは俺もわかる…。
女は自分がぼろぼろの白衣をまとっていると気づき、手で前を隠した。さっきまでの凶暴な、暴走状態とは違い、普通の女性の反応だ。
『人間族。推定年齢17歳、身長169cm、体重 55kg、B 85㎝、W 58㎝、H 86㎝。戦闘レベル2、魔法レベル0。状態:困惑。自己再生継続中』
頭の中にパラゴからの有用な情報とそうでもない情報とが表示された。戦闘レベルが一気に下がっているのは、どう言うことだ?
おずおずと、「正気に戻ったか? さっきまでのこと覚えているのか?」と声をかけると、女は俺を睨みつけ、「もちろん覚えているわよ! マリシがあたしに、いきなり、キスしたんでしょう! この変態!」と文句を言った。なぜ俺の名前を知っているのだ?
「ちょっと落ち着け。いつから覚えている? 名前は? ここがどこかわかるか?」と矢継ぎ早に質問すると、「なにおかしなこと言っているのよ! 全部覚えているわよ。あたしはクロートー、あんたはマリシ。ここはラストニアでしょ!」と言う。
「ラストニア? お前のいた文明のことか?」と訊くと、「はぁ? なに言っているのよ」と言うので、「ここはラストニアではなくて、キングスト王国の衛星都市ザークだぞ。お前はオブリビオン山の地中深くに眠っていて…」と説明を始めたが、この説明ではますます相手を混乱させると思い、口をつぐんだ。
(宿主様、敵意を持つ生命体2体が後ろから近づいています)とパラゴが警告した。振り返るとネイトとメーティスが立っていた。
『ネイト。年齢18歳。身長 166 ㎝、体重52kg、B 83 cm、W 57 cm、H 82 cm。Aランク冒険者。戦闘レベル71、魔法レベル4。状態:憤怒』
『メーティス。年齢24歳。身長 176㎝、体重 56 kg B 78 cm、W 60 cm、H 88 cm。科学者。戦闘レベル2、魔法レベル5、職業レベル94。状態:憤怒』
現状に必要ない情報が並び、いよいようるさくなってきた。(パラゴ、余計な情報を提示するな。今、頭が痛い)と言うと、(宿主様、脳内快楽物質の分泌により痛みを緩和させることはできます)と答えるので、(とりあえず、黙っていてくれ)とパラゴを遮断した。
視覚から情報が消え、激怒状態の女性2人が、よく見えた。ネイトが、俺に目を合わせようともせず、両腕をぶるぶる震わせながら、「い、今、この女性に、キ、キスして、お、おられなかったでしょうか?」と上ずった声で言った。おい、両手にダガーを持ったままだぞ…。満面の笑みを浮かべたメーティスが、「マリシくん、なんで女の子にこんな格好させているのかしらねぇ。ちょっと破廉恥じゃない…」と緩く言ったが、目がぜんぜん笑っていない。対トロール用に開発したショック棒とやらを手に持ったままだ。
誤解を解くため、「いや、これは暴走を止めるための、つがいの儀式で…」と言うと、「つがいの儀式ですって!」と、今に限ってネイトとメーティスの息はぴったりだ。「なにを勘違いしている。俺はこの女を正気に戻しただけだ」と言うと、クロートーという女が、「いきなりあたしを裸にして、キスしてきたのは、マリシじゃない! どっちが正気じゃないと思っているのよ!」と余計な口をはさんだ。
その一言で、ネイトはダガーを、メーティス先生はショック棒を構えた。こいつら、本気で俺を攻撃するつもりじゃないよな?
「みんな落ち着けって! その女の錯乱状態を治すためにキスした。それだけだ。実際、正気になっているだろう!」と怒鳴ると、クロートーは怒った顔で俺を睨み、ネイトとメーティス先生はまだ納得いかない顔で俺を睨んだ。
上着を脱ぎ、「これでも羽織っておけ」とクロートーに渡し、ネイトとメーティス先生には、「この女を保護室に入れておいてくれ」と頼んだ。保護室は強固な設計になっているので、今の戦闘レベルであれば逃げ出せないだろう。「今からポニーに報告してくる」と告げ、3人を残し、冒険者ギルド本部に走った。