2. 初仕事の準備は抜かりなく
クロートーがメーティス先生と相談をしたいと言うので、屋敷の敷地内にあるラボに向かった。ラボの奥の、広い実験室に行くと、メーティス先生はいつものように白衣のメガネ姿で、数人の研究員とディスカッションしていた。俺たちを見ると、いきなり大袈裟に手を振って、「マリシくんにクロートーちゃん。どうしたのー?」とこちらにやってきた。会議が中断された研究員たちは、驚き、呆れた顔をしていた。
クロートーが、「あたし、冒険者としてデビューします。その相談に来ました」と言う。「そうなの? この前の『忘却の迷宮』がデビューだったんじゃないの?」というメーティス先生に、「あれは冒険者になる前だったから。冒険者になってからは今回が初めてです」とクロートーが答えた。
メーティス先生は、興味深げに、「それでクロートーちゃんはどんな依頼を受けたのよ? バジリスク退治とか?」と訊いた。バジリスクは、頭が鶏冠のある鶏で、身体も鶏のように二本足だが、尻尾が蛇で、ものすごい毒を持つ。バジリスクを槍で突けば、槍からまわってくる毒を防ぐために腕を斬り落とさなければならないし、睨まれただけでも毒が回って死ぬと言う。自己修復能力のあるクロートーとバジリスクが戦えばどっちが勝つのか、興味あったが、今回の依頼はそれではない。
クロートーは正直に、「キバジカ退治です!」と答えると、メーティス先生は、今まで見せたことがないような驚愕の表情になり、「キバジカ…? なによ、それ?」と言った。クロートーが「農作物を食い荒らす害獣です」と言うと、「ええー!」と、メーティスが両目を見開き、叫んだ。そして、「普通過ぎ! びっくりするぐらい、普通の仕事じゃない! マリシくんの仕事ばっかり見ていると、あたしの感覚も麻痺するみたい。クロートーちゃんなら、大丈夫よ。農作物を食い荒らす害獣? そんなのバスタオル1枚巻いた姿で倒せると思うわ。あたしの魔道具なんて、全然、いらないわよ」と言った。先生、バスタオル1枚はないでしょう…。
クロートーは真面目な顔で、「キバジカって動きが早いらしいんです。足止めして動けなくしたいんですけれど、なにかいい方法はありませんか?」と訊いた。メーティス先生が、「そんなのマリシくんの魔法で大丈夫よ」と言うと、クロートーは首を振り、「一人でやり遂げたいんです。マリシにもネイト先輩にも助っ人を頼んでいません」と言った。メーティス先生はニコリと笑い、「へぇー。マリシくんにもネイトちゃんにも頼まず、あたしには頼むわけ?」と言った。なにか悪い表情だ。
クロートーはそんなことに気づかず、「お願いします!」と頭を下げた。メーティス先生が、「そうねぇ、条件次第では手伝えなくもないわよ」と気を持たせると、「条件ってなんですか?」とクロートーが食いついた。
「お金よ、お、か、ね。ちょっとお金かかるけれど、方法がないわけではないの」と思わせぶりに言うと、「えー、お金かかるんですか?」とクロートーが言った。その反応は当然だ。
「だって、ここで開発したものって、ラボの研究費から出しているんだもの。クロートーちゃんはマリシくんの知り合いだから、特別に使わせてあげるけれど、タダってわけにはいかないわー。そうよねー、マリシくん」と話を振るので、「んっ? ま、まぁ、そうだな」と話を合わせた。クロートーは心配顔で、「どのくらいかかるんですか?」と訊くと、「そうねえ、10万イェン!」と即答した。
それくらいならタダで提供してもいいのだが、最初から特別扱いするのもどうかと思い、メーティス先生の言うことに口出ししなかった。クロートーが俺を見て、「ねえねえ、マリシ。どう思う? 報酬が10万イェンの仕事をするのに、準備に10万イェンもかけていいと思う?」と言うので、「冒険者のお作法その2、準備は念入りに行うべし、だ。失敗したら報酬はゼロだし、依頼人にも冒険者ギルドにも迷惑かける。それに、失敗の多い冒険者は仕事をもらえなくなる。赤字にならない限り、お金をかけても依頼を成功させる準備をした方がいいって」とアドバイスした。
クロートーはすぐに決断し、「わかりました、メーティス先生。お願いします」と言い、メーティス先生は「はーい、任せておいてねー」と安請け合いした。
あまりに簡単に引き受けるので、思わず横から「先生、キバジカって敏捷ですよ。どうやって足止めするんですか?」と質問した。メーティス先生はドヤ顔で、「ふっふーん、マリシくん、フェロモンって知っている? 動物とか昆虫とかが分泌する液なんだけれど、いろんな種類があるのよ。たとえば、オスがメスを引き寄せるときに分泌する性フェロモン、それから別の仲間に場所を教えるために分泌する道標フェロモン、外敵がいることを知らせる警報フェロモン、などなどね。人間が言葉や文字で行っていることを、一部の生き物はこのフェロモンで伝えているわけ。今、ラボで開発しようとしているのは、フェロモンを利用した防御システムなの。たとえば、マリシくんが素っ裸で軍隊蟻の群れの中に落とされても、軍隊蟻が嫌がるフェロモンを身体に塗っておけば絶対に噛まれないようにできるわけよ。わかる? クロートーちゃんがやたらと臭かったら、男が近づかないのと同じ」と説明した。すると、なにを勘違いしたのか、「あたしは毎日、お風呂に入っています」とクロートーが言った。
メーティス先生は笑いながら、「ふふふ、例え話よ。だから、キバジカが寄ってくるフェロモンをクロートーちゃんに塗っておけば、向こうから近づいてくるでしょう? 足止めすることもなく、簡単に集めることが出来ると思うわ。もちろん、使ってみないとわからないけれどねー」と言った。発想は突飛だが、さすがは「王国の至宝」と言われた天才科学者だ。メーティス先生は話を続けた。
「問題は、フェロモンの分泌ってごく少量なの。だから手に入れるのに、コストがかかるのよ。今回もフェロモンから成分を抽出すると、ずいぶん減ってしまうから高額になるの。ごめんなさいねー、クロートーちゃん」と言う。てっきり金を巻き上げたいだけかと思っていたら、きちんとした理由があったのか。
「最初なので、何としても成功させたいです! お願いします!」とクロートーが言い、「大船に乗ったつもりでいてねー」と、メーティス先生が胸を張った。そして、「マリシくん、クロートーちゃんに装備を提供していい?」と訊くので、「任せます。今回はそれほど重装備でなくても良いと思います」と言うと、「じゃあ、開発中の『重軽装』シリーズっていう防具があるの。それを使ってみたら?」と言った。そんな防具を作っていたとは初耳だった。メーティスが笑顔で「すごーく軽いのに、十分な強度があるのよー」と言うので、「もしかして、ミスリルの繊維が縫いこまれた服ですか?」と訊くと、「発想はそれに近いわね。でも、ミスリルの線維を多くすると、ゴワゴワしちゃうでしょう。だから、重さを増やさず、布の質感を維持したまま、強度の高い防具を開発しているの。戦闘用というより、ちょっとした探索とか、日常使用のために」と言う。
隣で聞いていたクロートーは、「マジで嬉しいです! 今回の仕事にぴったり!」と喜んだ。メーティス先生は笑顔を崩さず、「そうでしょう? 良かった、喜んでもらえて。あっ、そうそう。これは開発中だから、無料で貸し出すわね」と言い、「ラッキー!」とクロートーは喜んだ。メーティス先生も嬉しそうだ。きっと開発中の装備を試験する、いいチャンスだと思っているのだろう。
「ところで、クロートーちゃん、武器はどうするの?」と訊いた。「一応、棒術は練習しているんですが、格闘の方が向いているみたいです」と言って、チラリと俺を見た。クロートーには棒術を教えていたが、まったく上達していなかった。そのくせ、身体能力は異常に高く、力だけでなく、反応速度も、打たれ強さも、人間離れしていた。俺の出した結論は、「クロートーに武器は邪魔だ」だ。
メーティス先生は、「それなら身体を動かす邪魔にならないように、開発中のグローブを貸すわよ。手を保護できるわ。これもサービスね」と言い、クロートーは、「うわっ! 超ラッキー! ありがとうございます!」とはしゃいだ。メーティス先生は俺に向かって小さな声で、「マリシくんが指を動かす邪魔にならないように、薄くて強い素材なんだけれど、まだ伸縮性に問題があるのよ。クロートーちゃんなら、グローブが破れたって、大丈夫だからねー」と囁いた。つまり、防具もグローブも開発品で、クロートーを実験台にするつもりのようだ。タダより怖いものはない…。




