1. プロローグ
あらすじ
Cランク冒険者パーティーが入るようなダンジョン『忘却の迷宮』でヒヒイロカネという金属が見つかった。冒険者ギルドマスターは、Sランク冒険者マリシにダンジョンの調査を依頼する。片手間の仕事のつもりで引き受けたマリシは古代文明の遺跡を発見する。そして、そこから持ち帰った遺物が原因でさまざまな騒動が沸き起こる。マリシ、ネイト、クロートーが活躍する、剣と魔法の世界を描いた第一弾。
日の前に天アリ、摩利支と名づく、大神通自在の法アリ、 常に目の前を行き、日は彼を見ざるも彼は能く日を見る。
『仏説摩利支天経』より
(日の光の前に人を超越した存在があった。マリシと名乗り、魔法を自在に操った。いつも目の前を行き、周りは彼を見ることが出来なくても、彼は周りを見ることができた)
キングスト王国の王都キキリーから東に50kmにある衛星都市ザークに冒険者ギルド本部はあった。この街は、王都に集中した人口を分散させるために計画的に造られた城塞都市で、堅固な石造りの外壁が外敵の侵入を防ぎ、四方を見張る門が東西南北の道を統べていた。街の南西にある自宅から、東の門に向かって石畳の街道を歩いていくと、剣と杖、盾を描かれた旗が風にはためく、大きな建物が視界に入ってきた。この象徴的な旗のおかげで、初めてこの街を訪れる冒険者でも、石造りの建物が冒険者ギルド本部だと、容易にわかるのだ。
俺の名前はマリシ。冒険者を生業とする17歳だ。冒険者で生計を立てるには、Cランクが最低ラインと言われているが、俺はSランクに認定されていた。Aランク冒険者ですら全冒険者の5%未満なので、Sランク冒険者はほんの一握りしかいない。Sランク冒険者になると仕事の難易度が高くなるだけでなく、指名依頼されることも少なくない。今日はギルドマスターからの指名依頼があり、冒険者ギルド本部に来たのだ。
冒険者ギルド本部正面の、木製の扉を押し開け、建物の中に入ると、いつものように建物の中から熱気が伝わってきた。正面の長い受付カウンターでは、依頼の受注や完了報告の列ができ、右手の掲示板の前には、依頼カードを物色する冒険者たちが群れていた。左手の食堂には冒険者たちが集い、酒を酌み交わしながら歓談していた。こうした景色は、冒険者ギルドの日常そのもの、見慣れたものだ。
カウンターで受付業務をしていたスーツ姿の女性ギルド職員が俺を見つけ、軽く会釈した。切れ長の目に整った顔立ち、それにきっちりと整えた赤髪は、クールビューティーと形容するのがふさわしい。女性ギルド職員は、『他の窓口にお回りください』という看板を掲げ受付窓口をふさいだ。すると、列の先頭にいた大柄な冒険者が、「待てよ。こっちを先に済ませてからにしろ!」と声を上げた。女性ギルド職員は立ち上がり、無表情に冒険者を見つめ、「急ぎの対応のため、他の窓口に回ってください」と答えた。納得いかない冒険者が、「おい! 俺たちはBランク冒険者だぞ!」と声を荒げたが、彼女は冷たい目を向け、「私はAランクの冒険者ですが?」と言い放った。
呆気にとられる大柄な冒険者に、冒険者仲間が「よせ、あいつネイトだ! ちょっかい出したAランクが半殺しにされたって噂だぜ。引退したって聞いていたのに、こんなところにいたのか」と耳打ちするのが聞こえてきた。
ネイトが受付カウンターからこちらに向かってきた。そう背が高いわけではないが、今でもトレーニングを続けているのだろう。服の上からでも鍛えられているのがわかった。大柄な冒険者は、「チッ!」と舌打ちし、仲間の冒険者と一緒に逃げるように建物から出て行った。ネイトは周りの冒険者たちの視線を気にすることもなく、まっすぐに俺のところにやってきて、「お待たせしました、マリシ様。ギルドマスターが部屋でお待ちです」と言った。俺より1歳年上の18歳だが、年齢よりもずっと大人に見える。今のやり取りを見ていたので、「でも良かったのか、仕事中だろう?」と訊くと、「今日の私の仕事はマリシ様をギルドマスターのところに案内することです」と言い、微笑んだ。
ネイトの案内で、冒険者ギルド本部の奥にある応接室に入った。部屋の中では、スキンヘッドで、山賊のような髭を生やし、太い腕をした大柄な中年男性がソファに座っていた。俺を見ると片手を挙げ、「おう、マリシの旦那。まぁ、座ってくれ」と大きな声で言った。この男はポニー、ギルドマスターだ。親子ほども年齢は離れているが、なぜか俺のことを「マリシの旦那」と呼んでいた。元Aランク冒険者の魔術師だが、腕っぷしも強く、以前、冒険者仲間が「名前は子馬で、見ためはタコ」と冷やかし、思い切り拳骨されているのを見たことがある。
ポニーの前に座ると、「忙しいところ、呼びつけてすまねぇな」と挨拶され、「ちょうどヒマしていたから大丈夫だ」と気安い関係だった。ネイトはポニーの横に立った。
単刀直入に「こいつがなにかわかるか?」と、ポニーはポケットから金属片を取り出し、テーブルの上に置いた。特徴ある茜色の金属をじっくりと見つめ、「ヒヒイロカネ…だな?」と言うと、ポニーは悪党のようにニヤリと笑い、「さすがはSランクだ。そう、これはヒヒイロカネだ」と言った。「これがどうしたっていうんだ? 珍しいが、驚くようなものではないだろう?」と訊くと、「まぁ、そうだろうが、これが見つかった場所がおもしれえんだ。なんと『忘却の迷宮』からだぜ?」と言う。
ちょっと驚き、「『忘却の迷宮』から?」と思わず聞き返した。『忘却の迷宮』は、衛星都市サゼリーから東に50kmのオブリビオン山に位置した迷宮で、一般的な地下に伸びるダンジョンと異なり、オブリビオン山の中腹から内部に向かって伸びているのが特徴だった。Cランクの冒険者パーティーでも攻略できる比較的安全なダンジョンなので、そんな場所からヒヒイロカネが見つかるとは予想外だ。
「マリシの旦那が最後に『忘却の迷宮』に入ったのはいつだ?」と訊かれ、「3年くらい前かな。親に連れられて何度も潜ったけど、ゴブリン退治程度で、珍しいものなんて出てこないと思っていたよ」と答えた。実際、『忘却の迷宮』は力をつけ始めた冒険者が訓練用に使うことが多かった。
「そうだろう? このヒヒイロカネは純度が高く、明らかに加工されている。これが見つかったってことは、お宝の匂いがしないか?」と、唐突に言った。「うーん、あれだけ多くの冒険者が出入りしているダンジョンに、お宝が眠っているなんて思えないなぁ」と、やんわりと否定すると、ポニーは首を振った。
「いやいや、低ランク冒険者はヒヒイロカネを見つけられないし、高ランク冒険者はこのダンジョンに入らない。だから、手つかずになっていた可能性はあるだろう? ヒヒイロカネが見つかった場所のすぐ近くで、古代文明の遺跡が見つかったって事例はたくさんあるんだ。ひょっとしたら『忘却の迷宮』のどこかに隠し扉があって、オーパーツが眠っているかもしれないぞ」と言う。オーパーツ(Out of Place Artifact)とは、その時代に存在しないはずの高度な技術を持つ遺物のことを言う。ポニーは豊富な知識をもつ、優れたギルドマスターだし、その直感は無視できないが、「まぁ、可能性はゼロではないかもしれないけれど…」と、あのダンジョンにオーパーツなんてないだろう、という先入観があり、手放しに賛成できなかった。
「だからマリシの旦那に真っ先に伝えたんだ。この意味、わかるだろう?」とポニーに言われ、「あるかないかもわからないオーパーツの調査依頼かよ」と、ここに呼ばれた意味を察した。Sランク冒険者には、「退治してくれ」「探してくれ」「届けてくれ」といった具体的な依頼だけでなく、雲をつかむような依頼もくる。今回もそのたぐいの依頼だ。
「冒険者なら誰だってお宝の夢をみるだろう?」と微笑むポニーの依頼を断るわけにいかず、「なにも見つからなくても、納得してくれるのか?」と訊くと、「もちろんだ。見つかるまで探し続けろなんて、無茶なことは言わないぜ。マリシの旦那が手ぶらで戻ってくれば、何もなかったんだな、って諦めがつくってもんよ!」と言った。「そういうことなら、調査してみるか」と答えると、気乗りしない俺と対照的にポニーは嬉しそうだ。
「ありがてえ。一つ頼みがある。ここからヒヒイロカネが見つかったってことが公になったら、一攫千金を狙う奴らであふれ、大変なことになる。ひそかに調査してくれ」と言う。『忘却の迷宮』は冒険者ギルドが管理する、誰もが入れるダンジョンなので、トラブルを避けたいのだろう。「わかった。ところで、それはダンジョンの何層目で見つかったんだ?」と訊くと、ポニーは「最下層23層目だ」と即答した。「じゃあ、そこから調査を始めるか。どんな感じで見つかったんだ?」とさらに訊くと、「さあなぁ? 詳しいことは聞いていない。調査の仕方はマリシの旦那に任せるぞ」と言う。ポニーよ、いきなり丸投げか…。
それまで黙っていたネイトが、「私が冒険者ギルド職員として同行しましょう」と口をはさんだ。一瞬、沈黙が流れたが、俺はできるだけ軽い口調で、「大丈夫だ。『忘却の迷宮』なら危険はないし、一人で行くよ」と断った。そして、ソファから立ち上がり、「じゃあ、数日中に調査を開始する」と言って、そそくさと応接室を出た。
来た道を一人で帰ろうとすると、「なぜ私の同行を断るのですか?」と後ろから声を掛けられた。振り返ると、不満そうな顔のネイトが立っていた。「いや、だって、ネイトは冒険者ギルドの仕事で忙しいだろうし…」と口ごもると、強い口調で、「私はマリシ様のことが最優先です」と睨まれた。これはまずいやつだ。何も言えないでいると、「いつからダンジョンに入る予定ですか?」と聞かれた。「3日後には出発かな」と言うと、「わかりました。こちらの手配はしておきます」と事務的に返し、俺の横を通り過ぎていった。
その場に残された俺は、ネイトと出会ってからのことを思い出した。俺がまだAランク冒険者だったころ、大規模なオーク掃討作戦があり、冒険者パーティーの助っ人に入った。そこに、俺と同じく助っ人に入ったのがネイトだった。彼女は冒険者パーティーの前衛で、索敵しながら森の中を進み、危険な魔物や魔獣がいれば確実に仕留めていた。同世代のAランク冒険者だったこともあり、数日間の仕事を終えたころには、すっかり打ち解けていた。そして、冒険者パーティーが解散になった日、ネイトから「2人で冒険者パーティーを続けたい」と懇願されたのだ。決まった仲間を持たない俺は、彼女の希望を丁重に断り、それでこの話は終わりだと思っていた。
ところがその日以降、冒険者ギルド本部に行くと、どこからともなくネイトが現れ、「今日はどんな仕事を受ける予定です?」とか、「ちょうど私も同じ依頼を受けようと思っていた」とか、つきまとうようになった。困った俺がポニーに助言を求めると、「マリシの旦那も、青春しているんだなぁ」とニヤニヤされ、ポニーの仲裁で、ネイトは週4日、冒険者ギルドの職員、週1日、俺の秘書になった。実質的に冒険者としての引退を促すものだったが、ネイトは意外にもその提案を快諾した。やがて俺はSランク冒険者になり、ソロでの活動が増え、ネイトと顔を合わせることは減っていた。それがこの1年の間のことだ。1年も放っておかれたら気持ちが離れて行くと思うのだが、ネイトはまったく変わっていなかった。