蒼空に眠る吸血月
目の前の竜は怒り狂って威嚇を続けていた。今にも此方へ襲いかかる勢いで興奮している様子。
「アンサダークーカー・エン」
と唱えると、その剣は見る見る変化していき、さっきまでの何処か頼りない物とは全く別の剣に成った。
しかし其の事は、竜を刺激するには十分過ぎる変化だった。怒りの沸点を超えた竜は、物凄い勢いで向かってきた。
左のボタンを2回押し、右のレバーを下げる
剣は勇者と共に竜の身体を貫いた。勇者アーサーは遂に、このステージをクリアした。そして最終ステージである魔界の章へ進んだ。
「よし、セーブして寝よう」
時刻は午前1時半を過ぎていた。
「ヤバっ、寝坊するわ、勇者アーサーは眠りにつくのだ。なんつって」
「浅岡ぁ、おはよう」
「あっ、譲二おは、昨日やった?」
「あの竜倒せば、次は魔界の章なのに倒せないんだよ、アレ強くね?」
「俺、昨日ようやくやっつけたわ、アレね呪文が要るのよ。竜の洞窟に入る前に泉あったっしょ?アソコを調べると爺さん居るから、その爺さんから呪文を聞くんだけど、呪文は宝と交換だから宝も装備してなきゃだよ」
「呪文かぁ~、つか宝要るのかぁ」
退屈な授業中、窓から外を眺めるとB組がグラウンドで体育の授業をやっていた。譲二は少し心が躍った。B組には姫が居るからだ。
ボケッとだらしない顔でグラウンドを見ていた譲二は我に返り、誰かに阿呆面を見られていなかったかと、ちょっと照れていた。
先週発表された新作のゲーム[魔界の竜Ⅱ]に皆夢中だった。携帯電話のスマートフォンであったり、パーソナルコンピューターであったりをインターネットに繋げてプレイするのだ。
[魔界の竜Ⅱ]は、ロールプレイングゲームであって、物語に沿ってステージが用意されており、それをクリアして進んで行くというもの。
浅岡は、早くも最終ステージである魔界の章へ進んでいた。
「譲二さ、また戻って宝を貯めた方が良いよ。ヴァンパイアのとこあったでしょ?彼処でヴァンパイア倒すと棺桶の中に宝がいっぱいあるから」
それを聞いて譲二は少し嫌な気分になった。
「他に宝が有るとこ無かったっけ?」
「有るには有るけど、ヴァンパイアのとこが簡単だよ。あとは村人の家とかにも有るよ、でも一応勇者だからなぁ~勇者が村人を襲う?まぁルール的には問題ないみたいだけど」
じゃ、村人を襲うしかないなと譲二は思った。
浅岡が魔界の章へ進んだという噂はB組にも届いていた。
「ちょっといい?浅岡君だよね?」
と声を掛けてきたのはB組の遠野香織だった。彼女もまた[魔界の竜Ⅱ]をプレイしていた。
「呪文を聞くのに、宝はどれ位要るの?30レム?50レム位?」
「遠野だよな?お前もやってんのか、呪文ね99レム要るんだよ。結構キツかったよ」
「浅岡君は、やっぱりヴァンパイアのとこで宝を取ったの?」
「そうだよ。あいつら弱いし」
「そうなんだぁ~、じゃ他にも有る?宝有るとこ」
「譲二もそんな事を聞いてたぞ、あとは村人の家とか、店とかにあるけどさ…」
「わかった、ありがとう。じゃね」
何で、簡単なヴァンパイアから宝を奪わないのか?浅岡は不思議で仕方なかった。
魔界の章へ進んだ浅岡は、驚愕していた。他のステージとは全くレベルが違っていた。
「マジか?うわぁ~殺したヴァンパイアが此処で復活するのかよ。しかも強っ」
ヴァンパイア達は様々な武器を装備し、動きも速く、単にレムを稼ぐ為に弱いヴァンパイアを次々と殺し、宝を略奪していたあのステージのヴァンパイア達と同じヴァンパイアとは思えない位に強力なキャラクターと成っていた。
「ヤバっ、もうライフが少ないなぁ」
此処で勇者アーサーは、ヴァンパイアにヤラれ、魔界の章で2度目の死を迎えた。
譲二は、2年前の深夜に両親がキスをしている場面を見てしまった。それは偶然の出来事だった。
喉の渇きで深夜2時に目が覚め、キッチンへ向かう途中に、真っ暗なリヴイングで月明かりが窓から差し込む中、両親が立ったまま抱き合いキスをしていたが、それは小学生の譲二にもちょっと異常と思える程の行為だった。
怖くなった譲二は、静かに物音をたてずに自分の部屋へ戻りベッドへ潜り込んだ。
中学生になった今ではアレがキスでは無かった事をはっきりと分かった。
遠野香織は、幼い頃から何故か血を見ると妙にソワソワして興奮を覚えていた。
怖いとか痛そうとか、そういう感覚は全く無く、逆にゾクゾクする感じで、自分は変態ではなかろうか?と思うくらいだった。
テレビのニュース等で事件や事故現場の映像が流れると、食い入る様に見入った。友達が転んで怪我をしたり、刃物で誤って指を切ったりした時は、一番に駆けつけ
「大丈夫?」
等と声をかけ、看病するように近付き心配している様子を気取っていたが、内心は、たまらなく興奮していた。
浅岡は、ふと思った。譲二は、ひょっとしたら魔界の章でヴァンパイアが復活する事を知っていたのかもしれない。だから、ヴァンパイア以外から宝を得ようとしていたのか?
しかし、譲二は、まだ魔界の章へ辿り着いていない。何か、そういう情報がインターネットか何かに載っていたのか?
じゃ、遠野香織はどうだ?矢張り情報を知っていた?
いや、有り得ない。何故なら呪文の事も知らなかったし、レムの数も把握していなかった。
浅岡は、一旦ゲームをセーブした。
或る満月の夜、譲二はトマトジュースをどうしても飲みたくなったので、近所のコンビニエンスストアへ行った。
飲み物が陳列されている所へ行くと、息を飲んだ。そこには遠野香織が、矢張りトマトジュースを手にしていた。
譲二と目が合った遠野香織は
「上月君…」
と言葉を発した。譲二は、目の前に好きでたまらない姫が居る事が信じられなかったが、平常心を装い
「遠野さんだよね?」
と白々しく言った。そして
「俺さ、そのぉ、えっと、トマトジュースが飲みたくなってさ」
「そうなんだぁ、わたしもね何か今夜はトマトジュースが飲みたくなったの」
譲二は、満月の夜にトマトジュースが無性に飲みたくなるのを意識していた。
コンビニを出た2人は、店の前に設置されているベンチに座って一緒にトマトジュースを飲んだ。
ヤバい、まるで姫とデートしているみたいだと譲二がドキドキしていると、重低音の音楽を響かせて1台のRV車が駐車場へ入って来た。
RV車のドアが開き、中からダブダブのTシャツを着て、これまたダブダブのズボンを腰まで下げて履き、キャップを横にして被った細いサングラスをかけた小太りのチョビ髭が2人降りて来た。
「ヒューヒュー、いいね、中学生か?おっ!お姉ちゃんかわゆいね、一緒に遊ばなーい」
と馬鹿みたいな声を出しながら寄ってきた。
「遠野行くよ」
姫の腕を軽く掴み立ち上がると、鼻にピアスをした方の小太りが
「おいおいおい、逃げんなよ」
と突っかかってきた。譲二は、
「止めてください」
と軽く、小太りに手を出すと、ちょうど車止めの上に乗っていた為に、その小太りはバランスを崩して転倒した。
「何しとんじゃ餓鬼、洒落にならんぞ」
もう1人の小太りが怒鳴った。
「いや、わざとじゃ無いんです。すみません」
転倒した小太りは、譲二の言葉も耳に入らない程怒り狂った表情になっており、そのダブダブのズボンの左ポケットから小さなナイフを取り出して譲二に切りつけた。
ナイフは譲二の左腕をかすめた様に見えたが、鮮血が駐車場に滴れた。コンビニの店員が店の中から出てきて
「警察っ」
と大声で叫んだ。小太り2人は、我に返り速攻で車に乗り込み逃げて行った。
「大丈夫ですか?」
とコンビニの店員は譲二に歩み寄ったが
「有り難う御座います。大丈夫です。うち近いんで」
と歩き出した。
「わたしが一緒に行きますから」
遠野香織は慌てて店員にそう告げ、譲二のあとを追った。
譲二と2人で歩いてる遠野香織は、とても興奮していた。
少し歩いた処に公園があり、2人は水飲み場へと歩を進めた。
「上月君、大丈夫?」
「ちょっと切っただけだよ、水で洗うから」
と水道の蛇口へ手をかけた時、突然譲二の傷口を舐め始めた。
ペロリペロリと舌で入念に舐めた。
譲二は、凄く嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ち、情けない気持ちと、もうひとつ、表現出来ない気持ちが混ざり合い、どうして良いか分からなくなった。
傷口は約4㎝くらいで浅い。けれども血はまだ止まらない。そして其処を姫が舐めている。途中からは舐めているというより吸っているという感じだった。
譲二のスマートフォンが鳴った。浅岡だ。
「譲二、今大丈夫?」
「まぁ、いいよ」
「宝を貯める為に倒したヴァンパイアの事なんだけどさ、アレね、魔界の章でヤバい事になるんだわ。知ってた?」
「え?知らないよ」
「俺さ、レムを稼ぐ為にヴァンパイアをガンガン倒して宝をゲットしてたじゃん?いや~アレ駄目だわ」
「何でよ?」
「実はさ、倒したヴァンパイアが魔界の章で復活すんのよ。で、すげー強いの、武器とか装備してて、俺なんか2回死んだわ」
「そうなんだぁ」
「つか、それを知っててヴァンパイア以外に宝有る所がないか聞いてきたんじゃねーの?あとさ、B組の遠野香織にも同じ様な事を聞かれたぞ」
「そっかぁ」
「お前、遠野と知り合いなの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど…」
「今、何処よ?」
「南野公園だけど」
「何してんの?」
「何って、別に…」
「1人?」
「いや、1人っていうか」
「誰と居るんだよ?おい、夜の公園で何やってんだよ?コノヤロ」
「き、切るぞ」
そう言って譲二は、電話を切った。
姫が腕から口を離した。月明かりに照らされて姫は、本当に綺麗だった。そして、つい
「姫さ、俺」
「姫って、わたし?」
「あ、いや、遠野、俺実はずっと…」
「わたしは上月君の事知ってたよ、ずっと見てた。何か惹かれてて」
満月の光の下で2人は、キスをした。姫の唇には、血の香りがあって、それは求めていた何かだった。
「上月君の血、美味しかったよ」
それを聞いた時、何故遠野香織を好きになったのか、何故姫と呼んでいたのか分かったような気がして、そして見つける事が出来て安心した。
勇者ジョニーは悪の限りを尽くしていた。村人の家に押し入り宝を盗み、店を荒らし宝を盗み、人質をとっては身代金を要求し、宝をどんどん貯めていった。
その頃、勇者カオリンは更に極悪非道を極めていた。次から次へと村人をぶった斬り、有無を言わせず宝をぶん取って、遂に99レムに達した。
譲二は、薄々気付いていた。でも認めたくなかった。しかし、ゲームとは言えヴァンパイアを倒す事は、やりたくなかった。
2年前の深夜に見た両親のあの行為は、吸血だ。しかし俺達は、吸血鬼じゃない。互いに吸血しあう事で満たされる俺達特有の何かだ。
この現代に於いて他人の血を吸う事など許される訳もなく、その前に無差別の吸血など望んでもいない。
それは本能であり、パートナーを探し出し、愛し合う。普通の恋愛と何の変わりもない。
次の満月の夜、2人は南野公園に居た。月明かりの下で、分かっていた。
「いくよ」
と譲二が言うと、遠野香織は小さく肯いた。
譲二は、姫の首筋に優しく噛みついた。姫も譲二の首筋に、その八重歯をゆっくり沈めていった。
何とも言えない興奮と安らぎに満たされていった。これが初めての相互吸血だった。
ロールプレイングゲーム[魔界の竜Ⅱ]は、爆発的にヒットしていた。それに伴い、最終ステージである魔界の章での苦戦が、ネット上を賑わしてた。
「ヴァンパイア、パネェ」
「どうすれば突破出来るの?」
「また死んだ」
等々が、次々と上げられていた。
勇者アーサーも、その1人だった。何か有る筈だ、何処かに突破口が有る筈だと思いながら、5回目の死を迎えていた。
勇者ジョニーと勇者カオリンは、ほぼ同時に魔界の章へ進んだ。
しばらくするとゾンビが現れた。その数は、とんでもない数だった。ゾンビを良く見てみると、それは元村人だった。
「嘘でしょ?」
倒した村人がゾンビとして復活していて、更に浅岡が言ってたヴァンパイア達の様に矢張り武器等で武装しており、最強ゾンビと成っていた。
勇者ジョニーは、とりあえず逃げたが、おびただしい数のゾンビが後を追ってくる。
勇者カオリンは、更に分が悪かった。村人を問答無用で斬りまくっていた為に、ゾンビの数は半端なく多く、一瞬でゾンビとなった村人に一斉に囲まれ、ヤラれてしまった。
勇者カオリン ライフ0 ゲームオーバー
画面の右隅に石の祠を発見した。勇者ジョニーは、その中に入った。するとゾンビが祠の入り口付近にウヨウヨと集まってきたが、不思議と祠の中へは入って来なかった。正確には入って来れないみたいだった。
ひと安心したのも束の間、真っ黒な祠の奥に、真っ赤に光る目が在った。その目が段々と近付いて来て言った。
「キュウケツゾク カ?」
譲二は、ドキッとしたが
「ソウダ」
と返し、右のボタンを押した。すると真っ赤な目の全貌が現れ、それは巨大なヴァンパイアと成り、祠を破壊した。
祠に群がっていたゾンビは、次々とヴァンパイアに倒された。最後のゾンビを噛み千切り、ヴァンパイアは勇者ジョニーに言った。
「イケ、キュウケツゾク ノ キボウ ヨ」
譲二は、このヴァンパイアが単なるゲームのキャラクターとは思えず、身体が震えている自分に気が付いた。
森を抜けると気味の悪い沼があった。沼の底から気泡がいくつも上がってきて、遂にその竜は姿を現した。
「これがラスボスか?」
見たところ、そんなに強そうでもなく、直ぐにでも倒せそうな雰囲気だ。
竜が此方を睨み、その牙の生えた大きな口を開け炎を吐き出した。
勇者ジョニーは、それを交わし剣を握りしめ、竜の眉間に突っ込んだ。
「どうだ?」
すると竜は動きを止め、ゆっくりと沼の中へ沈んでいった。
事は、呆気なく終わった様に感じた。譲二は、まだ身体が震えていた。額には脂汗をかいていて、息づかいも荒い。
これでステージクリアだと思った矢先に、画面の上からゾンビの群がドサッと降ってきた。
そこで譲二は、気絶した。
カーテンの隙間から朝日が差し込んできて、小鳥のさえずりが聞こえる。清々しい朝で、天気の良い1日の始まり。
パソコンの画面には、ゲームオーバーの文字
譲二は、椅子に座った状態で亡くなっていた。ゲームによる異常な興奮と吸血した血が身体に馴染まなかった事による心臓麻痺だった。
遠野香織は、早く譲二に昨日プレイした内容を一緒に話したかった。足取りも軽やかに学校へ急いだ。
爽やかな朝の蒼空に、白々しくなった月がぼんやりしていた。
おわり