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9.密告者

 僕とサク、二人して目の前のパイパイ先輩の背中を見つめる。

 パイパイ先輩は、歩いて行く三人をしばらく見送った後、クルリとこちらへ振り返りサクに視線を向けた。


「おい、七・三」


「三・七です」


「……三・七、お前コイツのことなんて呼んでるんだ?」


 僕のことを、クイっと顎で指す。


「武刀ですが?」


「そう、ムトウだよな。そう呼んでたもんな……。おい」


 お次に僕へ視線を移した。


「お前、アタシになんて名乗った?」


「へ? は、羽場ですけど」


「そう、羽場だよな……。フゥー」


 パイパイ先輩が目を閉じて、自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。

 ちょっと不穏な空気。

 一体何だろう?


「あの、どうかしました?」


「……どうかした、だと?」


 低い声で問い返したパイパイ先輩が、薄く目蓋を開いて、まなじりを吊り上げ、三白眼になった目で僕を親の仇のごとくニラみつけてきた。


「ひっ」


 あまりの恐怖に喉から変な声が出た。

 隣のサクからは、生唾を飲み込む音が聞こえた。


 全体的な雰囲気がネコ科の猛獣のようで、命の危険さえ感じる。


「せ、せせ先輩様?」


「お、おおお前、なな何をしたんだ?」


 僕同様声を震わせ、サクが聞いてくるが、


「い、いやいやいや、な、何も、何もしてないよ僕」


 身に覚えがない。

 イワシ達を蹴ったりしたが、それは許してもらえたはずだし。

 しいて言うなら、おっぱいをガッツリ見てたくらいだ。

 ……それか?


「てめぇ、とぼけてんじゃねぇよ」


 さらにパイパイ先輩の眼光が鋭くなる。


「お前がアタシに言ったんだろ。名前は羽場だって」


 まぁ羽場だし。


「なのにお前のツレは、ムトウって呼んだだろうが。よくもまぁ、しれっとした顔でウソの名前教えてくれたな」


「……あ」


 ああ、はいはい、そういうことね。

 サクを見ると、僕と同じく合点がいったって顔で頷いてた。


「覚悟はいいな」


 肩の筋肉をほぐすように腕をグルングルン回すパイパイ先輩。

 何の覚悟かはわからないが、いいことはないので、


「ち、ちょっと待って下さい」


 両手の平を先輩に向けて、一旦タイムをかけた。


「何だ?」


「ち、違うんです。間違ってます」


「何がだ? 今更名前を言い間違えたとでも言うつもりか?」


「そうではなく、どっちも僕の名前なんです」


「は? どっちも? ……もしかして親が離婚して」


「ってことではなく」


 ズボンの後ろポケットから生徒手帳を取り出し、写真と名前を見せた。


「僕の名前は、羽場武刀なんです。羽場が名字で名前が武刀なんですよ」


「……羽場……武刀……?」


 殺人光線をとばすように生徒手帳へガンをくれるパイパイ先輩。

 その目から徐々に険が取れていく。


 やはり思った通り、例のやつだった。

 パイパイ先輩は、武刀を名字と勘違いしていたのだ。

 それで、僕にウソをつかれたと考え怒っていたのだった。

 小学校からの付き合いのサクも、僕が名前を名字と間違えられる場面は何度も見てきているので気づいたのだった。


 勘違いされて命の危険を感じたのは初めてだったので、お互い答えを出すのが遅れてしまったけれども。


「……ハ、ハハ……どっちも名前……ハハ、そういうことか」


 パイパイ先輩の口から笑い声が漏れてきた。


「わかってもらえました?」


「プハハ、あ、ああ、わかった、わかったよ。羽場武刀ね、なるほどなるほど……プハハハ」


 よかった。

 殺されずにすみそうだ。


「プッ、な、名前を、み、名字と勘違いして、プフッ、あ、あたしは、プッ、ククク……も、もうダメ、プハハハハハハハハハハハハハッ」


 口を大きく開けて笑い始めるパイパイ先輩。

 さっきまでの猛獣みたいな雰囲気がウソのようだ。

 目を糸にして、お腹まで抱えている。


「プハハハハハハハハハッ、ど、どうしよ、プフフ、な、何やってんだろアタシ、プハハハハハハハハハハハハハハッ」


 笑うのに合わせて揺れるオッパイの何と豊かなことか……。

 もちろんサクも、ピッチリ横分けを撫でつけながら鼻息を荒くして見入ってる。


「プハハハ、フ、フフ、お、お腹痛い。フフ……あ、言っとくけど、変わってるお前の名前を笑ったんじゃないからな」


「ええ、大丈夫です。わかってます」


 何やってんだろアタシ、とか言ってたし。


「勝手に勘違いして、勝手に怒って、勝手に肋骨砕いてやるとか考えてた自分が、情けないやらおかしいやらでさ、フフフ」


「ハ、ハハ……」


 今さらりと恐ろしいこと言った。


「とにかく悪かったな。謝るよ。ごめん」


 礼をするように綺麗に頭を下げるパイパイ先輩。

 武道経験者かな?


「いえ、お気になさらず」


「いきなりキレて、何だこの女って思ったろ?」


「まさか」


「理由もないのに何キレてんだってさ?」


「まぁ、よく考えたらオッパイガッツリ見て…………」


「……そういやそうだったな」


「……」


 まずい。


「あー、そのー、イ、イワシ男さんダイジョブっスかね? チョークが少し入っちゃって」


「……アイツ最近ケンカっ早くなっててさ、注意しなきゃと思ってたから丁度良かったよ。いい薬になったろうさ」


「そ、そうですか」


「……ああ」


「……」


「……」


「あー、えーと、げ、原始時代さんもダイジョブっスかね? 軽くノビてたみたいなんスけど」


「……あれは、気を失ったフリをしてたんだろうな」


「フリっスか?」


「抵抗しないだろうと思ってたお前が突然蹴ってきたんで、ビビって気絶したフリをしてたんだよ」


 臆病なヤンキーなんだろうか。


「じゃないと、事が収まったタイミングでちょうど目を覚ましたりしないだろ」


 確かに。


「もともとイワシも原始人も、教室の隅っこで本読んでるような大人しい奴らだったんだよ。それが……ってまぁ、こんな話別にいいか。それより……」


「……(ゴクリ)」


「……フ、フフフ」


「?」


「イワシに原始人ね……フフ、フフフ」


「……え、えーと」


「アイツらにゃ悪いけど、アタシも前から似たようなこと思ってたんだよ」


「そうなんですか?」


「イワシを見てると海に行きたくなったりさ」


「なんとなくわかります」


「原始人が肉食べてると、マンモスうまそーって思ったり」


「マンモスは食べてないでしょ」


「そうかな。プハハハ」


「そうですよ。アハハハ」


「アタシのこと何て呼んでた?」


「パイパイ先輩ってぶべらっ」


 ビンタされた。

 きりもみ回転して倒れる僕。


「む、武刀ー!」


 叫ぶサク。


「じゃあな」


 立ち去るパイパイ先パイ。


 しかしパイパイ先パイは一旦足を止め、クルっと回れ右して、


(さん)(うえ)、青い空。三上空(みかみそら)


 とだけ言ってもう一度回れ右して、


「フフ」


 笑い声をこぼしながら、行ってしまった。


 三上空。

 きっとパイパイ先パイの名前だろう。


「武刀、生きてるか?」


 僕とパイパイ先パイ……三上先輩が話している間、ずっと先輩のオッパイを観察していたサクが、ホクホク顔で倒れている僕に手を伸ばしてきた。


「な、なんとか」


 その手を取って起き上がった。


「一体あの人達と何があったんだ?」


「四人の脇を通り抜けようとしたんだけど、僕が自転車操作誤って、コケて、イワシっぽい顔の先輩にぶつかる感じで抱き着いて怒らせちゃって、三上先輩の取り成しで一度は収まったんだけど、イワシな先輩が僕に文句言ってきて……あとは知っての通り」


「そういうことか……。イワシさんにぶつかったこと、ちゃんと謝ったのか?」


「謝った」


「走行中の自転車が歩行者に怪我を負わせるなんて珍しい事故でもないんだ。もっと気を付けないとだめだぞ」


「……本当に。反省してます」


 面倒くさがらず車道に降りておくべきだった。

 今後の教訓にしないと。


「ふぅ。とりあえず、お前が無事でよかった」


「ありがとう、心配してくれて。あと、巻き込んじゃってごめん」


「気にするな。お前が困っているなら、それは俺自身が困っていることと同じだからな」


「サク……」


 嬉しいことを言ってくれるやつだ。

 すごく心に響くよ。


「倒れた自転車も無事か?」


「多分」


 自転車のところへ行き、起こして壊れていないか確かめる。

 所々に大きなキズがついてしまったことはショックだが、


「……うん、問題なさそう」


 電柱にぶつけて、さらに僕が上に倒れたけどおかしな箇所は見当たらなかった。

 一応、家に帰ってから細かくチェックしよう。


「あ、そうそう。DVDどうだった? あった?」


 サクは、DVD回収のために学校へ戻ったんだった。

 ちゃんと見つかったんだろうか?


「……」


 サクが、無言で自転車の籠からスクールバッグを持ち上げ、チャックを開け、中に手を入れた。

 どうやらあったようだ。よかった。


「……これを」


 しかし、サクが取り出したものは、


「……ルーズリーフ?」


 三つ折りにされた、A4サイズのルーズリーフだった。


「何これ?」


「……机の上にあった。開いて中を見てくれ」


 言われるままにルーズリーフを開く。

 するとそこには、達筆な文字でこう書かれていた。


『職員室にて待つ』


「……」


 一見果たし状のようだが、うちの担任である御幸先生は、現代文の担当教師で書道は五段の腕前。

 つまりこれって……


「もう少し、早ければ……」


 山での事故に遭遇した彼女を背負って急いで下山し病院へ運んだ彼氏に対し間に合わなかったことを告げる医師のような沈痛な面持ちで言ってくる、ピッチリ横分け。


「そ、そんな……」


 だが横分けは、さらに辛そうな表情で続ける。


「これに入っていたんだ……」


 バッグの中から、一枚の茶色い封筒を取り出し僕に差し出した。


 サクの表情に嫌な予感を覚え、震える手でそれを受け取り、ゴクリと喉を鳴らして、裏返されていた封筒を表に返した。


『羽場君へ』


「……僕宛?」


 何で僕?


「……おそらく、朝の会話を聞いていた誰かが、武刀のものだとリークしたんだと思う」


 密告者か……。


「どうする、武刀?」


「……行くしか、ないよね」


「……よし、俺も行こう」


「サク……」


 こいつ来ないつもりだったのか?


「なに、すぐに返してもらえるさ」


「ありがとう、心配してくれて。あと、巻き込んじゃってごめん」


「気にするな。お前が困っているなら、それは俺自身が困っていることと同じだからな」


「サク……」


 嬉しいことを言ってくれるやつだ。

 まったく心に響かないけど。

 だってお前の責任なんだもの。


「んじゃ、行こっか……」


「あぁ」


 こうして僕たちは、エロいDVDを取り戻すため、女性の先生にエロいDVDのことでお説教を受けるため、学校へと自転車を漕ぎだした。




 結果として。


 職員室で一時間ほどお説教されたあと、


「では、この猥褻DVDは返します」


「ありがとうございます」


「三年後に」


「……」


 というかんじだった。

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