8.鼻フック
「つまんねーことでケンカすんな。もういいだろ」
首の後ろ辺りで適当にくくっただけの金色の長い髪をクシャクシャかきながら、気だるそうな目で三人を見る金髪先輩。
「いや、けどよ」
「このガキ、ワイらのことナメているで」
「ぜんぜんよくないよ〜」
納得がいかない三人は金髪先輩に抗議する。
しかし、それを聞いた金髪先輩が、スーっと目を細めた。
「……あたしは、やめろって言ってんだよ」
静かではあるが、聞く者の耳にしっかりと響くハスキーな声。
僕が言われたわけではないのに、背筋がゾクリと粟立った。
金髪先輩の言葉を聞いた三人は、
「あ、ああ、そ、そうだな。た、確かにもういいよな。な?」
「お、おう。も、もうええかって、お、思うておったし」
おびえたように声を震わせていた。
「え~、ボコろうよ~」
一人を除いて。
ほうれい線はほっとくとして、どうやらボコられずに済みそうだ。
しかし金髪先輩、なかなか迫力のある人だな。
目鼻立ちのくっきりしたきれいな人で、女性としては高めの身長、長い手足。
細身なんだけど、痩せてるというよりは引き締まってるってかんじの体で……立派な胸をお持ちだった。
妙な迫力に気圧されて気づかなかったが、着崩したカッターシャツの胸元には、深い深い谷間ができている。
細身の体にこの巨乳……すご。
「おい」
「……」
「おい、二年生」
「……雨降らないかな」
「おい! ガキ!」
「あえて見ずに音を楽しむのもまた風りゅ……ハッ!? あ、え、えと、何でしょう?」
「……お前今、どこを見て、何を想像してやがった?」
「…………………………………………………………何も?」
「……」
金髪パイパイ先輩の目がまた細められる。
やばいやばい。
胸を凝視してたと思われてる。
まぁしてたんだけど。
想像もしてたし。
殴られるかも。
「……チッ、まぁいい」
助かった。
「お前らアホどもの考えてることなんざ、だいたい一緒だからな」
「僕のは一味違うかと」
「もういいっつってんだろっ! ったく……。それよりお前、名前は?」
「えっと……羽場です」
フルネームを言ったら、男子であるイワシと縄文人はゲームやマンガなどでバハムートを知ってるだろうから、百パーからかってくるに違いないと考え名字だけ告げた。
「ふーん。どんな字書くんだ?」
「天使が羽を休める場所、と書きます」
「鳩でもいいだろ。羽場、ね」
パイパイ先輩は、確認するように一度僕の名前を口に出してから、
「じゃあな、羽場。今度からは気ぃつけろよ。みんな行くよ」
クルリと背中を向けて歩き出した。
「はい。すみませんでした」
その後ろ姿に頭を下げ謝っておく。
ほかの連中もパイパイ先輩に付き従うように足を動かしながら、僕に捨て台詞を吐いてきた。
「うわ~、こいつまだエロい目であーしのことみてる~。キ~モ~イ~」
「すみませんでした」
悪霊退散。
「運のいいヤツやで。二度とするなや、ボケナス」
「すみませんでした」
土偶作ってろ。
「チッ。おいカス、次ふざけたことやりやがったらマジぶっ殺すからな。よく覚えとけよ、このハゲ」
「……今なんつった?」
「は? 何って」
「誰がハゲチャビンだゴラァァァァァァッ!」
「チャビンは言ってぐほぉっ」
こちらを向いて何か言いかけたイワシの胸に、前蹴りをブチこんだ。
まともに食らったイワシは後ろへ転がっていった。
「お、お前何さらしてるんや!?」
「原始人はすっこんでろ!」
「原始人!? それお前退化しぐぼあぁっ」
原始人も同様に蹴り飛ばした。
「ゲホッ、て、てめぇ、い、いきなり、ゲホッ、な、何しやがる!?」
胸を押さえて上半身を起こすイワシの背後へ素早く回り込み、首に左腕を絡めて締め上げた。
「ぐっ……がっ……て、てめっ……」
チョークスリーパーが極まったと思ったが、ギリギリのところでイワシが左手を僕の腕と自身の首の間に入れて防いだ。
それを見て僕は、
「左手どけろ!」
右手の人差し指と中指を鉤爪の形にして、イワシの鼻をフックした。
「フガッ」
さらに体重を後ろへかけて倒れ、鼻の穴を全開にしてやった。
「フゴッ、フガガッ、フゴッ」
イワシが豚のように鼻を鳴らしながら、首に絡む僕の腕に爪を立て必死に逃れようとしてくる。
そうはさせじと僕は体を反らし、
「フゴーーーーーーーーッ」
より大きくイワシの鼻をおっぴろげた。
突然のことに、呆然とした様子のほうれい線。
しかし、パイパイ先輩は、
「プフッ、プククク……お、おい離せっ、こんの~~~……ブハッ、ブハハハハハッ、は、は、離、離、鼻……ブッ、ブハハハハハハハハッ」
笑いながらではあるが、なんとかチョークスリーパーを解こうと僕の腕を引っ張っていた。
そこへ、ものすごいスピードで自転車をとばしてこちらへ向かってくる人物が。
「武刀ーーーっ!」
サクだった。
サクは、そばまで来るとブレーキをかけて自転車を止め、ちょいと乱れた横分けを手でピッチリ撫でつけながら僕に駆け寄った。
「武刀! 何がどうなったら俺が忘れ物を取りに戻っている間に上級生の鼻をフックする事態になるのか皆目見当もつかんが、落ち着くんだ!」
「こいつが悪いんだよ! このイワシ面が僕のことハゲだのツルだの亀◯人だの言ってきたんだよ!」
「フ、フガッ、フガッ」
イワシが、そんなこと言ってないと言いたげに微妙に顔を左右に振るが、いやいや、僕ちゃんと聞いてたからね。
「ハァ……。なるほど、少し事情がわかった。いいか、よく聞け武刀」
疲れた顔でため息をこぼしたサクが、子供に諭すように僕へ話し出した。
「彼は本気で言ったんじゃない。適当に悪口を言っただけなんだ」
「そんなことないよ! こいつ僕の頭見てたもん!」
「それも何となく見てただけだ。だいたいバカだのアホだのお前のかーちゃんでーべーそーだの、悪口というものは適当に言ってるだけだろ?」
「……確かに。でも、鶴◯人が添えられると……」
「亀◯人じゃなかったのか? 何にせよ、お前は怒る必要はない。だってお前はふさふさなのだから」
「え? あ、ああ、そ、そういやそうだよね。ふさふさだもんね」
「うむ、まだふさふさだ」
「まだ?」
「ずっとふさふさだ」
「そうそう、いついつまでもふさふさだもんね。怒ることなんて何もなかったよ」
「落ち着いたようだな。さぁ、その腕と鼻フックを解いてやれ。じゃないと彼に、ハ……自分の言ったことが当たってるんじゃないかと勘違いされてしまうぞ」
「あ、うん」
イワシの首に絡めていた左腕から力を抜き、フックも外した。
「ゲェホッ、ゲホッ、ゲホッ、ヒューッ、ウェッ、エホッ、エホッ」
チョークスリーパーは軽く極まっていたようで、イワシが四つん這いになって咳き込み、鼻を前へ伸ばすように指でつまんだ。
「いやぁ、すみません。適当に言われただけの悪口に、カッとなっちゃたりなんかしちゃったりなんかしちゃったりしちゃって」
立ち上がり、イワシに謝った。
「ふーん……」
パイパイ先輩が、イワシの背中を撫でてやりながら、僕の髪の毛の本数を数えるようにじーっと見てきた。
「あの、何でしょう?」
「お前、将来ハゲそうとか気にしてんの?」
「何故それを!? あ、いや、気にしてないっス」
「でも今お前」
「僕は生まれてこの方髪のことで悩んだことはありませんよ。本当です。もちろんこれからも悩むことはないですし髪の毛は御覧の通りたっぷりあって人に分けてあげてもいいと思える気分になる日も数年に一度は訪れるペースだし脱毛ホルモンって呼ばれるジヒドロテストステロンが毛根にあるアンドロゲン受容体に受け取られると髪の育成に悪影響を及ぼしてアンドロゲン受容体の感度に関わる遺伝子はX染色体上にあってX染色体は母親から受け継ぐので母方の祖父がハゲている場合生まれた男の子はハゲる確率が高いってのは当然の知識として頭にあって僕の母方の祖父はハゲているので自分の髪の毛についてすこーーーーーーーーしだけ気にすることはありますが本気の心配などは全く一度もしたことございませんです」
「……そ、そうか」
「そうです」
そうなのです。
「て、てめぇ、オェッ、ゲホッ、ゲホッ、ふ、ふざけ、ゲホッ」
イワシが息苦しさと怒りから眉間にしわを寄せ、何か言いたそうに口を開いた。
しかし、それより先にサクが、
「何があったのか詳しくはわかりませんが、友人に変わって謝罪します。申し訳ありませんでした」
四人組に向かって、深々と頭を下げた。
それを見て僕も、
「すみませんでした!」
膝にオデコがくっつきそうなほど深く深く頭を下げた。
「ク、クソがぁっ、ゲホッ、ゲホッ、そ、そんなんで、ゲホッ、ゆ、許されると思ってんのか」
謝られても気が収まる様子のないイワシ。
「やめとけ」
しかしその肩を、パイパイ先輩がなだめるようにポンと軽く叩いた。
「もともと大したことでもないのに、こっちが理不尽に絡んだんだ。それに、お前も羽場をチャリの上に突き飛ばしたろ? だからこれでチャラだ。いいね?」
……ふむ。
この先輩、見た目はヤンキーっぽいが、ほかの連中とはちょっと毛色が違うようだ。
「なっ!? こ、ここまでされて、ゲホッ、ゲホッ、だ、黙って引き下がれっかよ!」
見た目通りのヤンキーなイワシが、パイパイ先輩に反発する。
だが、それを聞いたパイパイ先輩の目が、またスーっと細められた。
「……いいね?」
「ぐっ……」
静かだが、有無を言わせない迫力のあるハスキーボイスに、イワシが怯えを含んだ声を漏らした。
「わ、わかった! わかったよ! ……クソッ!」
イワシは、明らかに渋々ではあるが、パイパイ先輩の言葉を受け入れた。
……さっきもイワシと原始人を一言でおとなしくさせてたな。
もしかして、パイパイ先輩って超がつくほど怖い人なのかもしれない。
「それでいいんだよ。ほらみんな、もう行くよ」
パイパイ先輩が手を叩いて移動を促す。
「……あ」
その音で我に返ったのか、今まで固まって状況を眺めていた黒いほうれい線が動き出し、イワシに駆け寄った。
「ち、ちょっと~、だいじょ~ぶ~?」
ほうれい線が、パイパイ先輩に変わってイワシの背中をさすってあげる。
「このくらいなんでもねぇよ!」
イラついた声で言いながら立って、僕をニラんでくるイワシ男。
目合わせないようにしよ。
「……う、う~ん」
そのそばでは、原人が頭を押さえながら上体を起こすところだった。
どうやら倒れた時に頭を打ってノびていたようだ。
「……あ! お前ようもやってくれたな!」
僕を見つけた原人が怒りをあらわにするが、
「おい、もういい。行くぞ」
と、イワシ男に言われ、
「え? せやけんども」
「いいから」
「行こ~」
「お、おう」
状況が把握できていない様子ながらも、イワシ男とほうれい先輩に背中を押され去って行った。
「ふぅ~」
一息つく僕。
「はぁ……」
ため息をつくサク。
「……」
無言のパイパイ先輩。
なんでこの人まだいるの?




