78.殺虫剤を人に向けて使っちゃダメ
「普通の虫なら大概効果があります。こっちの虫はわかんないですけど」
「何だ? これは貴様のものか?」
パティーヌさんが、殺虫剤の胴体をコツコツ指先でつついて僕に尋ねた。
「そうです」
「こっちの虫とはどういう意味だ? 貴様、別の大陸の出身か? そもそも貴様は誰だ?」
「こんにちは、初めまして。自分はバハムートと言います。以後お見知りおきのほどを」
しっかりと頭を下げて挨拶した。
「バハムート? 珍しい名前だな」
「はい」
こっちでの名前だけど。
いや、日本でも羽場武刀だからあんまり変わらないか。
「私はここの支部長でパティーヌ・ガスだ」
「はい。よろしくお願いします」
「……(じー)」
「……?」
自己紹介の後、なぜか僕を凝視するパティーヌさん。僕の挨拶の作法がおかしかったんだろうか?
「……私の名は、パティーヌ・ガスだ」
もう一回言われた。
「よ、よろしくお願いします」
もう一回言った。
「……(じー)」
で、また凝視。
「……あの、何か気になることでも?」
「……もしかして、リィザから私の名前をすでに聞いていたのか?」
「へ? あ、はい。ここに入る前、名前と元有名セイヴィアだったってことを教えてもらいました。異名もあったって。そっちは教えてもらってないですけど」
「では、それまで私のことを知らなかったのか?」
「そうですね」
「ほう、そうかそうか……」
アゴに手を当て、珍獣でも見つけたような視線をこちらに向けてコクコク頷くパティーヌさん。
薄く開かれた、真っ赤な厚い唇がエロい。
「どうかしました?」
「ああ、すまん。自分で言うのもなんだが私はかなりの有名人なんだ。私の名前を聞いた者はだいたい驚くんだが、お前は何の反応もなかったんでな。逆にこちらが驚いてしまった」
それで、何のリアクションもない僕を不思議に思って、二回名前を言ったってことね。なるほど。
「無知ですみません」
「謝ることはない。むしろ新鮮でいい」
「異名があるほどの方なのに」
「気にするな」
「どんな異名なんです?」
「で、このサッチュウザイについてだが」
何でみんな教えてくれないんだろう?
「これは、虫の魔物にも効果はあるのか?」
「どうなんですかね。クイーンモスキートには効いたんですけど、他は試したことがないんでわかんないです。……何スか?」
リィザが優しい瞳でこっちを見ていた。
「何もない。何もないんだ、バハムート……」
何なんだ。
「そうか、他はわからんか……。しかし、この感覚……ほかの虫にも効果はあるだろうな……クックックックッ」
何かがわかるのか、パティーヌさんは殺虫剤を見つめて妖しく笑った。
この二人、ちょっと気持ち悪いな。
「作りは鉄か? 中に液体が入って……お、バハムート、貴様の肩にクモがついているぞ」
「え、ホントですか?」
自分の両肩を見るがわからない。
「襟の下に入った。動くなよ。今サッチュウザイで殺してやる」
パティーヌさんが、殺虫剤の胴体を左手でわしづかみ、噴射口をこちらへ向けて、右手人差し指を噴射ボタンに置いた。
「わぁぁぁっ! 待って待って! 押しちゃダメ! 自分で取るから!」
襟を捲ってパッパパッパと手で払うと、小さなクモが床へ落っこち、どこかへ逃げて行った。
「なんだ、せっかくサッチュウザイを試そうと思ったのに」
残念そうに噴射ボタンから指を離すパティーヌさん。
「フー、ビックリした。あのですね、殺虫剤を人に向けて使っちゃダメなんですよ」
「そうなのか? もしかして、これは人も殺せるのか?」
「いえ、殺せないですけど……ちょっと貸してもらえます?」
「ああ」
殺虫剤を受け取る。
「これをこうすると」
誰もいない方向へプシュッと一噴き。
「おお」
驚くパティーヌさん。
「虫を殺す霧が噴き出るんですよ。でも、これを肌にかけられると、多分肌荒れを起こすだろうし、目に入ったら超しみると思うんですよ」
「ほほう」
「肌についた場合はすぐに洗い流して下さいって、ここにも書いてありますし」
缶の説明が書いてある箇所をパティーヌさんに見せた。
「ふむふむ……読めん。これはどこの大陸の文字だ?」
「日本って島国の文字です」
「二ホン? ……聞いたことがないな」
それはそうだろう。
むしろ聞いたことがあったら驚きだ。
「んじゃあ、これはもういいですかね?」
言って、殺虫剤を軽く振った。
「ん? ああ、そうだな」
とのことなので、殺虫剤をリィザに、
「どぞ」
「うむ」
渡し、受け取ったかたずけのできない我が主人が、荷袋の中に殺虫剤や他の物を適当にポイポイ放り込んでいった。
「……もうちょいキレイに入れたらどうっスか?」
「何がどこにあるかわかればいい」
わかってなかったじゃん。
パルティア教の聖印無くしたときも同じようなこと言ってたし。
「……ん?」
荷物をしまうリィザを見ていて一つ気づいた。
魔道具で、通常のランプより辺りを明るく照らす『明星のランプ』と、こっちの世界におきっぱにしているはずの僕の懐中電灯が見当たらなかった。
ククが持ってんのかな?
「これで良し、と」
全然良くないと思うが、荷物を詰め終えたリィザが立ち上がって荷袋を背負い直し、
「では、私達はこれで」
そそくさとその場を後にしようとした。
また僕の襟をつかんで。
「待て」
パティーヌさんの停止命令に、リィザがビクッと肩を跳ね上げて止まった。
「ま、まだ何か?」
「お前達は、何の用でセイヴズに来たんだ?」
「わ、私は人探しの依頼で、バハムートは情報を売りに来たんだ」
「私が手続きをしてやろう。座れ」
「し、しかし、パティーヌさんは忙しいだろう?」
「暇だ。座れ」
「で、でも、二つも用事があるのですぐには済まないかも」
「いい。座れ」
「バ、バハムートも、パティーヌさんにあまり迷惑をかけたくないと言ってて」
「向こうに行くのメンドい。こっちでいいデデデデデデデデデデ」
うなじのお肉をつねられた。
「迷惑ではない。座れ。私は紙を取ってくる」
パティーヌさんが立ち上がり、受付へ向かった。
「……」
ここを離れるのは無理だと判断したのか、リィザが無言で席に着き、僕もまたお隣に座った。
「別にここでいいじゃないっスか。パティーヌさん、怒ってるわけじゃないし。ちょっと厳しそうだけど、今は優しい感じだし」
テーブルの上の包丁はどうにかしてほしいけど。
「……バハムート、よく聞け」
話をスルーして、真面目な顔で僕を見るリィザ。
「パティーヌさんを怒らせるなよ」
それククにも言われたし。
「怒らせないっスよ」
「最悪の場合、私はお前を置いて逃げるから」
あんたが最悪だよ。
「リィザ、字は書けるか?」
戻ってきたパティーヌさんが、テーブルの真ん中に白いA4サイズくらいの紙を数枚と、羽ペン二本、ガラスのインク壺二つを置いた。
「うん、書ける」
「何を書けばいいかわかるか?」
「わかる。私はセイヴィアだし」
「……お前、セイヴィアだったのか」
渋い表情のパティーヌさん。
「セイヴィアがあんなことをするなんてな……」
光の塔で暴れたことを言ってるんだろう。
「うぅぅ……私じゃない」
ククね。
「バハムート、字は書けるか? お前もセイヴィアか?」
「こっちの字は書けないです。セイヴィアじゃないですし、セイヴズに来るのも初めてです」
「初めてなのか?」
「はい」
「何から何まで珍しいな、お前は」
みんな利用してるもんなのかな。
「リィザは手伝わなくていいな?」
「うん」
「では、任せる。書き終わったら言え。バハムートは……」
パティーヌさんが僕の前に移動し、紙と羽ペンとインク壺を自分の前に置き、丸椅子に座って網タイツに包まれた長い足を組み、
「私が代わりに書くとしよう」
僕を真っすぐ見つめて言ってきた。
美人教師との放課後プライベートレッスンみたいで興奮する。
「ニヤけてどうした?」
「いえ、何でも。ところで、ひとつお聞きしてもいいですか?」
「何だ?」
「どうしてテーブルの上に包丁が置いてあるんですか?」
「どうしてだと思う?」
「お料理してたとか?」
「お、良い勘してるな」
「へへ、どうもです」
「貴様も調理されんようにな」
「はい」
「今日は、どんな情報を売りにきたんだ?」
「はい、ここに来る途中…………」
あれ? 今怖いこと言わなかった?
「どうした? 続きを話せ」
「あ、はい。ここに来る途中でグリードワームと戦ったんですけど、弱点を見つけて倒したんです」
「ほう、お前がグリードワームを倒したのか。見かけによらずなかなかやるな」
「あざス」
「その弱点を情報として売りにきたんだな?」
「そうです」
「グリードワームの弱点なら良い値段で買ってやれるぞ」
「おお」
ククの言った通り、本当に売れるんだ。
しかも良い値段って。




