60.ギュッ
十分後。
「では行きます」
「しっかりな」
「はい」
「死んだら殺すからな」
「……はい」
まだ少しお怒り中のリィザを置いてグリードワーム退治へ。幸い、砕けても散ってもおらず走れるまでに回復した。
そろりそろりと歩き、足首くらいまでの短い草花が茂っていて、ところどころに大小の苔むした岩があるグリードワームのテリトリーに足を踏み入れた。
本来なら、こんなミミズというかチ◯コのおばけみたいなやつ相手にしてられっかってなもんだが、リィザの話の中にグリードワームを倒せそうなヒントがあったので試してみることにした。
ダメそうならみんなを頼るか逃げればいい。
サイズがサイズだしリィザもわかってくれるだろう。
イカの臭いが充満する中を、ゆっくりとグリードワームへ近づいていく。
原っぱに入ったところからグリードワームまでの距離は、約九十メートル。百はないと思う。
原っぱは、ほぼ円形。グリードワームがいるのはど真ん中で、巨体をうねうね動かしていた。
液体を吐き出した後しばらくは、賢者タイムのようにぐったりしていたのにまた身体をうねらせている。
臭い液体を吐き出す前も同じような動きをしていたはず。ということは……
「……あ」
予想通り。
グリードワームの身体の中ほどが、飲み込んだ風船が膨らむように少しずつ大きくなりはじめていた。また臭いシャワーをまき散らすつもりなのだろう。
だが、臭い液体の対策は、ちゃんと右手に持っていた。
ここ連日雨続きだったため、ケルちゃんと散歩にでかけようとしてついつい手に持っていたビニール傘だった。
これがあれば臭いシャワーを浴びずにすむだろう。
……ケルちゃん、これから散歩に行けると思ってすんごいはしゃいでたんだよな。ごめんよケルちゃん。還ったらたっぷり散歩に行こう。
ではでは、さっさと傘を開いて
「おい、バハムート。またあの臭い雨が来るぞ。どうするんだ?」
「フッフッフッ、それに関してはちゃんと対策を用意してあるんで安心してくだうおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉいっっっ!」
真後ろにリィザがいた。何でかついてきてた。
「大きな声を出してどうし……新手か!?」
「あんただよ! あんたにビックリしたの! 何でいるの!?」
「主としてお前だけに任せておけるか!」
「これまで任せっきりだったでしょ!? どうしてついてきちゃったの!?」
「幼少の折の借り、今こそこの手で返す!」
「おおっ、超カッコ……良くないよ! だったら僕喚ばなくていいでしょ!」
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
「イッてるから! 今イッてるから!」
どうしたんだこの金髪さん?
今日は、言動がおかしいというか情緒不安定というか。
そうこう言ってるうちに、グリードワームはしゃちほこみたいに身体を反らせて口を真上へ向けていた。ポッコリとした膨らみがどんどん口のほうへと上がっていっている。
「おいっ、来るぞ! あんなの人生で二度もかけられるなんてゴメンだぞ!」
「一度でも嫌だっての!」
シャワーが発射される前に、適当な木の下へ逃げられるかは微妙。
……しょうがない。
「姐さん!」
「なに?」
「僕にピッタリくっついて下さい!」
「普通に断る」
普通に断られた。
「断るのなし! 早くしないと臭い汁出ちゃうでしょ!?」
「お前の?」
「ワームの! あっ、マズイ!」
「出ちゃった?」
「ワームのがね!」
より空高く広い範囲へ飛ばすように伸びあがったグリードワームの口から、臭い液体が勢いよく吐き出された。
「うわ! 出ちゃったぞ! どうするんだバハムート!」
「だからこっち来てって!」
「無理」
「無理って何だよ!」
「くっつく意味がわかんないし」
「臭い液体を防ぐ方法があるの!」
「でも、またピコーンってなるだろ?」
「なんないから! ピコーンなんないから!」
「ウソだ。絶対ピコーンて」
「あぁもう!」
「わっ!」
リィザの手を掴んで強引に引き寄せ、背中に腕を回して抱きしめるカタチでくっついた。
「じっとしてて下さいよ!」
「は~な~せ~っ!」
「じっとしててって言ってんのに!」
自身と僕の胸の間に両腕を割り込ませ、離れようともがくリィザ。
「こんのっ、エロムートが~っ!」
この金髪娘は~っ。
「ちょっ、もうっ……おとなしくしなさいっ!」
「(ビクッ)」
たまらず妹を叱るように声を上げると、リィザは小さく体を震わせ、
「……うん」
素直に返事をして、体から力を抜いた。
なんだかよくわからないが静かになった今のうちに。
リィザの背中に回した手に持っているビニール傘を素早く開き、二人の頭上にかざした。するとすぐに、
ボタッ、ボタッ、ボタボタボタボタボタボタボタボタボタ
通常の雨音と比べて、重量感のある音が傘を叩きはじめた。
グリードワームの吐き出した体液は、一度目と同じく原っぱより少し広い範囲にまで降りそそぎ、五秒ほどもすると臭い雨は止んだ。
「ふぅ~、ギリギリセーフ」
傘に残るグリードワーム汁を眺めながら胸をなでおろした。
グリードワームに目を向ければ、やっぱり「ふぃ~」ってな具合でダルそうに野原に横たわっていた。
そして、妙におとなしくなったリィザはというと、
「わぁ~……」
先ほどまで離れるために使っていた手で僕のカッターシャツを掴み、碧い瞳を輝かせて傘を見上げていた。
リィザの身長は百六十ちょっと。かかとの高いブーツを履いているので、今の僕との身長差はニ、三センチほどまで縮まっている。
アゴを上げているリィザのキレイな顔がすごく近い。
しかも、僕の右手は傘を持っているが、左手はリィザの華奢な腰に回されているので、細身だけれど女性らしい柔らかなラインをしっかりと感じることができる状態。
とっさに抱き寄せたわけだけど、冷静になると一気に恥ずかしさがこみ上げてきた。
吸い寄せられそうなリィザの瞳から、引きはがすように顔ごと視線をそらした。
「あ、あの液体の対策は、ご覧のようなものがあったわけなんですよ」
「……うん」
「た、ただ、これって一人用であまり大きくないんで。このような緊急措置をとったという……まぁ、そういうことなんですけど……」
「……すごいな」
「へ?」
リィザへ視線を戻すと、可愛い猫目は、ビニール製の傘を見つめたままだった。
「こんな透明な布、初めて見た……」
「あ、ああ、そっちっスか」
僕が褒められたのかと思った。
「それに、布についた水滴がキラキラ瞬いて、陽の中で星をみているようだ」
水滴っていうか臭い汁っていうか臭い汁のお星さまっていうか。
「フフ、その星々を背景にして立っていると、お前も少しは……」
「少しは?」
「うまく言葉にできないけれど、今目の前にいるお前……は…………目の、前に……い、いる……お、お前…………は………………」
「……?」
フリーズしてしまった。
「どしたの?」
顔を覗き込む。
「――っ! ド変態ィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
うまく言葉にできないけれど、今目の前にいるお前はド変態。
そんなパンクバンドの曲名みたいなこと言われても。
「離せぇっ! ぐぬぬぬっ」
再び胸をグイグイ押してきた。
「あぁ、はいはい、今離します。すんません」
腰に回していた左手を解いた。
急に解放されたリィザが後ろへこけそうになるが、なんとか踏ん張り、顔を上げ眉を吊り上げ僕をニラんできた。
「お、おおお前~っ、よ、よくも私を、ギ、ギ、ギュッと、ギュッと……~~~っ! うがーーーーーっ!」
顔を真っ赤にして、腕をグルグルしはじめた。
「うわっ、ち、ちょっとっ、何すんの!? 説明したでしょ!? ああするしかなかったって!?」
「そうだけどっ、そうなんだけどっ、でもっ、だ、だからって……~~~っ! ばぁーーーーーっ!」
「いてっ、いていてっ、ちょっ、おやめなさいっての!」
僕の言ってることは理解できるけど、納得はできないってところか。
どうしたもんか……。
「いてっ、いたっ、もうっ、痛いっての! この人は……げっ!? また!?」
視界の隅に映ったグリードワームの巨体の真ん中辺りが、徐々に膨らみだしていた。
「待った待った! あいたっ、待ったってば! ほらアレ! あれ見て!」
リィザに左手の平を向けてから、その手でグリードワームを指差した。
「む? ……わ!」
グリードワームを見たリィザがようやっとグルグルをやめ、手を下ろした。
「ね? ね? アレまたくるから。きちゃうから。さっきみたくギュッてされるのイヤでしょ?」
「ギュッていうな!」
「すんませんすんません。とにかく、森のほうに戻って、樹の下で見ててもらえます? ね?」
「……うぅ~」
リィザはしばし、威嚇する獣のように唸って僕を上目遣いに見つめてから、
「……わかった」
了承し、森へと引き返して行った。
……一体あの人は何がしたかったんだ。




