57.おリィザ
「あー、あー」
ようやく先輩方から解放されて、雨上がりの道路に残る水たまりを避けながら自転車を漕ぎ、自分で聴力テスト中。
「あー。まだ聞こえにくいな」
まさか、ただ大きな破裂音を響かせるだけだったとは。
目覚ましの種恐るべし。
源次さんなんて気絶してたもんな。
どうやって目覚めさせるのか知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしてしまった。
でも、知っていたとしても目覚ましの種を使っていただろうけれど。
使わなかったら僕は、大ケガをしていたかもしれないし。
かもじゃないな。
確実にしていたな。
そして、その種をくれたのはリィザ。つまり、
「リィザは恩人ってことになるわけだ……」
直接会ってお礼を言いたいところだけれど、もう喚ばないって言われたし、もう喚ぶなって言っちゃったからな。
ありがとう、と伝えることはできそうにない。
「……そっか……もう喚ばれないのか……」
もう喚ぶなと言った手前認めたくなかったが、召喚されないことに実感を得てくると、少し寂しくなってきた。
でも、喚ばれたら魔物との戦いや筋トレが待ってるのかと思うとな……。
とはいえ、喚ばれないとなると心にぽっかりと穴が開いたような……。
「う~ん……」
ワンッ、ワンッ、キュ~ン、キュ~ン
複雑な自分の気持ちに首を捻りうなっていると、十数メートル先に見えてきた自宅の庭から、我が家の愛犬ケルべロスの鳴き声が聞こえてきた。
家族の誰かが帰って来ると、必ずこのくらいの距離から喜びの声を上げ始めるケルちゃん。
毎度のことながらよくわかるものだ。
家までの残りの距離を、自転車を漕ぐスピードを上げて一気に埋め、ガレージに入った。
ワンワンワンッ、ギャンギャンギャンッ
僕の姿を見たケルちゃんのテンションがさらにアップ。
つながれたリードをぴんと張り、後ろ足で立っている。
今日は普段以上に興奮してるかも。
理由はわかる。
ケルちゃんとの散歩はだいたい僕が行くのだが、ここ数日雨続きで長時間外を歩けなかった。
しかし雨が止んだ空を見て、たっぷり散歩ができると喜んでいるのだ。
いつもは着替えてから散歩に行くが、今日は制服のまますぐにでも行くとしよう。
雨がっぱは、とりあえず自転車の籠に入れたままにして、鞄とビニール傘だけを持って庭へとつながる扉を開けた。
「ただいまー」
ケルちゃんに駆けよって茶色い毛並みをわしゃわしゃ撫でくり回し、首輪からリードを外してあげた。
自由になったケルちゃんが嬉しそうに庭を走り回る。
その様子を眺めながら玄関へ向かい、扉を開けて中へ入り、靴箱の上に鞄を置き、
「ただいまー。ケルちゃんと散歩行ってくるー」
家にいるだろうお母さんへ声をかけた。
すると台所のほうから、
「はーい、お帰りー。行ってらっしゃーい」
「はーい。おかえりー。いってらっしゃーい。アハハハハハ」
お母さんと、お母さんの真似をする妹の声が聞こえてきた。
「おかえりなのにいってらっしゃいだってー。アハハハハハ」
と笑う、優ちゃんの声。
今年幼稚園の年少さんになったばかりの妹の優子。
多分お母さんのお手伝いをしているのだろう。
えらいえらい。
うちの妹は世界一えらい。
ワンワンッ
急かすケルちゃんの声に外を振り返り、視線を上向けた。玄関越しに広がる空には薄雲がわずかに残るのみで、久方ぶりに見る空の青は、やけに色濃く感じられた。
「もう夏だな……」
現在僕は、高校二年生。進学を考えているので、来年は忙しい日々になるだろう。
めいっぱい遊べる高校生の夏休みは今年がラストかもしれない。
その夏休みを前に、様々なことが動き出しそうな予感がある。
異世界へ行くことはもうないけれど、こちらの世界でもたくさんの胸躍る出来事が僕を待っているに違いない。
今年はどんな夏になるのだろう。
どんなドキドキに出会えるのだろう。
そして僕の恋は……。
ワンッ、ワンッ、ワンッ、
ついつい未来へと飛ばしてしまっていた意識を現在へと戻す。
ケルちゃんは、お散歩グッズが入った手提げ袋をくわえ、尻尾を激しく振りながら、門扉の前で僕を待っていた。
「フフ、あわてんぼさんめ」
早く早くと急かす愛らしい姿にニッコリと笑みをこぼす。
ようやく晴れた空。
今日はケルちゃんの気がすむまでお散歩に付き合うとしよう。
そんなことを考えながら僕は、まだ顔を覗かせ始めたばかりの若い夏空の下へと軽快に駆け出すのだった。
セブンティーンス サマーシーズン。
僕達の物語が、今幕を開け
◇――――――――――――――――――――◇
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
「……」
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
「……」
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
「……」
玄関を出ると、そこは森だった。
お隣からは三日ぶりに聞く、知った人の声。
ケンカ別れした日からまだ三日しかたっていない、知った人の声。
もう聞くことはないだろうと思っていた、知った人の声。その声が、
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
もひとつおまけに僕の鼓膜を震わせた。
ゆるりとお隣に顔を向ければ、思った通りのお人がいた。
金色のふんわりショートボブヘアーで、薄手の白いコート、赤いミニスカ、黒いガーターベルト&ストッキングという格好をした美少女。
その女の子の特徴ある猫目と視線がぶつかる。が、すぐに顔ごと逸らされた。そりゃそうだ。
「……もう喚ばないでって言ったよね、僕?」
「……」
「……もう喚ばないって言ったよね、リィザさん?」
「……」
「……なぜ?」
「……」
目も顔も合わせようとしない、僕をまた異世界へと喚んだ召喚使い、リィザ・ライン・ハイエスさん。
「僕、ちゃあんと憶えてますよ。ええ、ちゃあんとね。『お前との縁は今日が最後だ!』とか『喚ばん』とか、あと『クビだ!』とかも言ってましたよね、三日前に。たった、三・日・前・に」
リィザの肩がプルプル震え始めた。
「アレレ〜? それなのにどうして僕、こんなところにいるのかなぁ〜? リィザさんがいるってことは、ここって異世界だよね〜? 自分じゃこっちに来れないしなぁ〜? 不思議だなぁ〜? あ、ねぇねぇリィザさん。僕ちんね、何でか知んないけど、またこっちの世界にお喚ばれしたんですよ〜。リィザたんは、『もう二度と喚ばにゃいんだかりゃ〜、プンスカプン』って言ってたからなぁ〜。一体全体なぜこちらの世界に……う〜む」
「……お、お前は、し、召喚獣なのだから……お、おかしなことは……ない……と思う」
怒りを堪えるためか白いコートをギュッと握り、顔を背けたまま声を震わせ言ってくるリィザ。
「あ! そっか! そうだよね! 僕召喚獣なんだからおかしくないよね! いや〜、なにせ『三日ぶり』なんですっかり忘れてたな〜。自分のことなのにね? もう、僕のおバカさん! コツン! なんつって。アハハハハハハ。それに比べてリィザたんはすごいな〜。あれから『三日』も経ってるのにちゃあんと憶えてるんだもんな〜。かちこいでちゅね〜……で! も! ね! 僕が聞きたいことはそういうことじゃないんですよ〜。一体どこの誰が僕をここへお喚びになったのかってことなんですよ〜。……もしかして、お心あたり、おありでございますか? おリィザ・おライン・おハイエス様?」
「う……ぐ……お、お前を、よ、喚べる、のは……お、お前を喚ぶ、じ、術式を、し、知ってる……し、召喚使い、だ、だけだ……」
リィザは、さらにコートを強く握りしめ、俯いて、全身をわなわなと震わせはじめた。
下唇まで噛んで実に悔しそうだ。怒りたくても怒れないんだろう。
「あーそっかそっか。ということは、確かその術式を知る召喚使いさんは、えーと……あ、そうそう。金髪で〜、白いコートにミニスカで〜、黒いガーターベルトとストッキングで〜、お胸がぺったんこなお方だったと思うんだけど〜、あのガーターベルトはどこに……あれ? あれあれ〜? あのぅ、つかぬ事をお伺いしますが……あなたですよね〜? 先程から僕と会話している、僕に『二度と喚ばん!』と仰った、僕のご主人様である、あ・な・た・ですよねぇぇぇ〜? もしも〜し。泣いてちゃわかりませんよ〜? 泣いて……ちゃ……」
……ナイテチャ?
「うぅ〜、ぐすっ。……うぐっ……ひぐっ……んぐっ」
「……」
あ、あれ?




