5.こりゃたまらん
始業前のにぎやかな校内を歩くことしばらく、前扉の上に二年一組と書かれたプレートのついた自分の教室が見えてきた。
そのまま、開きっぱなしになっている後ろ側の出入り口から中へ入り、クラスメイト達と軽く言葉を交わしながら教室内を進み、外に面した窓際の席から数えて二列目一番後ろの自分の席に到着。机の上に鞄を置いた。
椅子に座る前にまず、
「よっ」
机を少し持ち上げる。
机の左前脚を床のタイル面の左上角に合わせる。
そっと机を下ろす。
机の板の四辺がタイルが作るラインと平行になるよう微調整する。
「これで良し、と」
ジグソーパズルがはまったようなすっきりとした気分で席についた。
そしてひとつ深呼吸をしてから、窓際最後列、僕の左隣に座る女子生徒へ顔を向け、
「お、おはよう、小早川さん」
若干緊張に声を上擦らせながら挨拶をした。
「……おはよう」
小早川さんは、読んでいた文庫本から顔を上げ、僕を見て、小さいが耳に残る澄んだ声で挨拶を返し、また読書にもどった。
たった一言言葉を交わしただけだが、
「(……幸せだ)」
という気持ちにさせてくれる、隣の席の小早川皐月さん。
長いまつ毛の涼し気な目をした物静かなクール系の美少女。
本を読んでいる時もピンと背筋は伸び、その背には、姿勢と同じく真っすぐな黒艶髪が腰まで流れている。
家は一般家庭らしいが、良家のお嬢様と言われれば誰もが信じるだろう、学校内でもトップクラスの美人さんだ。
考えていることがあまり表情に出ないミステリアスな女の子で、大抵自分の席で本を読んでいるのだが、その姿は全米が恋に落ちるほど美しい。
名画を鑑賞するように小早川さんをじっくりと眺めていたいけれど、あまりチラチラと見るのも失礼なので、顔は黒板へ向けたまま、眼球を真横に動かして、よくそのお姿を拝見していた。
授業中の先生方は、「こいつの目ヤバくない?」とか思ってるかもだけど、たとえ全米が震撼することになっても小早川さん観察はやめられない止まらな
「おはよう、武刀」
「わっ! ビックリしたぁ。サクか。おはよー」
ぼんやりとお隣さんのことを考えていたら、誠と同じく小学校からの友人、佐蔵友作が、トレードマークであるピッチリとした七・三分けを手で撫でつけながら、僕の視界に侵入してきた。
「何故驚く? エロいことでもしていたのか?」
「していたって何だよ。せめて考えていたのか? でしょ」
「エロいことを考えていた武刀の隣の席の小早川、おはよう」
「……おはよう」
「考えてないっての! 人生で一度も考えたことないっての!」
なんて恐ろしい挨拶をするのだろう、この男は。
「それはさておき」
「もう、朝から勘弁し」
「先週お前に借りた洋モノエロDV」
「あーーーーーーーーっ! エーゴ! エーゴな! 洋モノ英語DVDな!」
「洋モノエロDVDの持ち主の隣の席に座る小早川、おはよう」
「…………おはよう」
「エーゴ! 英語DVD! 服とか脱がない外人さんが出てくるほうの英会話のDVD!」
だから変な挨拶するなってのに。
バレたらスケベな人だと思われるじゃないか。
「それはさておき」
「もう、わけわかんないこと言わな」
「まさか内容のほとんどがガーターベルトを使ってシゴ」
「なーーーーーーーっ! それなーーーーーーーーっ! シドーなーーーーーーーーっ! ガーターベルトを使って英語の指導なーーーーーーーーっ! 斬新なーーーーーーーーっ!」
「ガーターベルトという変な布をこよなく愛する武刀の隣の席に座る小早川、おはよう」
「………………おはよう」
「貴様ガーターベルトを愚弄するかっ!」
ガーターベルト様は世界中で愛されてるエロい布だっての。
ほら、小早川さんだって無表情だけどガーターベルトを馬鹿にされて耳まで赤くして怒りを露わに……あ、いや、そりゃないな。
……あれ? 赤い? もしかして恥ずかしがってる? これ、エロい話だってバレた? いや、きっと大丈夫だろう。
よくよく考えてみれば、純真可憐なる小早川さんは、スケベな目的のための映像がこの世に存在することさえ知らないはずだから。
「まったく、この七・三は」
「三・七だ」
「どっちでもいいよ」
本人曰く、三に分けてから七を整えるから三・七らしい。
果てしなくどうでもいい。
「少し待ってくれ、今DVDを出す」
サクが、自分のスクールバッグの中をガサゴソ漁る。
「いやいや、出さなくていいから」
「どうしてだ?」
「ビニール袋とかに入れてないでしょ? パッケージの写真でエロい……ことはないDVDだってばれちゃうから」
「意味がわからんが、わかった」
鞄から出しかけていたDVDをしまうサク。
このピッチリ横分けの僕の友人は、真面目そうな見た目通り頭が良く、なかなかにしっかりとした一面もあるんだけれど、時々本気なんだかジョークなんだかよくわからない行動をとることがあるのだ。
「では、こっちの和モノを」
しっかりしてるときはしっかりしてるんだけどな……。
「それも含めて放課後に受け取るから。出さなくていいから」
「む、そうか。了解だ」
サクは、チャックを閉めたスクールバッグを持って、クラスメイトに挨拶をしながら自分の席へ歩いて行った。
ふぅ。危うく小早川さんにエッチな人だと思われてしまうところだった。
サクが着席するのを見て一つ息を吐いてからチラリと左隣へ視線を向けると、小早川さんはすまし顔で、はらりと頬にこぼれた一筋の黒髪を白く細い指で耳にかけるところだった。
こりゃたまらん。
キーンコーンカーンコーン……
小早川さんに見惚れていると、予鈴のチャイムが鳴り、誠が後ろの出入り口から教室へ入ってきた。
女子の注目を浴びながらみんなに挨拶して席に着き、さらに五分経って本鈴。
担任の御幸先生がやってきた。
もう一度横目で左隣を見る。
小早川さんは、すでに読んでいた本を机の中へしまい、表情のない綺麗な顔を教壇のほうへ向けていた。
……よし、今日もがんばろ。
この席になってから習慣づいてきた、小早川さんを見て気合いを入れる儀式をした後、
「起立」
クラス委員長吉砂さんの凛とした声が教室内に響き、朝のSHRが始まった。




