48.ヴィーナス降臨
「うんうん。……お、、だんだん人が増えてきたな」
周囲へ目を向ける三上先輩。
その言葉通りで、登校してくる生徒の姿が数分前より多く目に入ってきた。
クラスメイトの男子生徒も一人こちらへやって来た。しかし、
「おはよー」
僕が声をかけると
「お、おう」
と、中途半端な挨拶を返し、僕の隣に立つ三上先輩をチラチラ見ながら靴を履き替え、そそくさと廊下を歩いて行ってしまった。
「……アタシがここにいると下級生をビビらしちまうな」
三上先輩が早足に去って行く僕のクラスメイトを見て、すまなそうに言ってきた。
「え? いや、そんなことは」
「羽場も、ヤバげな先輩と知り合いだって噂が立って嫌な思いするかもだし、そろそろ行くわ……」
「……」
自分が不良だと思われていることを話していた時は、淡々とした表情だったのに、自分が不良だと思われていることが側にいる人に迷惑をかけていると感じると、申し訳なさそうな顔になる三上先輩。
周りの人を思いやれるとても優しい人で、こういう人は大好きだ。
てことで、
「先輩先輩」
この場を離れようとしていた三上先輩を呼び止めた。
「ん?」
「あのですね、僕は別に三上先輩と話してるところを誰に見られて何を思われても気にしないんで、それは憶えといて下さい」
「……そうか?」
「はい」
「……うん。じゃあ憶えとく」
三上先輩のトロンとした目が細くなり、嬉しそうな笑顔を見せてくれてた。
良かった良かった。
「それとさっきの彼は、先輩にビビったわけではないんです」
「え、でも」
「彼はですね……あー……」
「……なに?」
「えーと……」
「なんだよ? 早く言え」
「……言うんで怒らないって約束してくれます?」
「わかった。怒らない内容なら怒らない」
つまり、怒る内容なら怒ると。何の約束にもなってないな。
まぁいいか。どのみち言うつもりだし。
「えー、彼はですね、大きいのが大好きなんですよ」
「大きいのが?」
「大きいのが」
「大きい何が?」
「大きい胸が」
「大きいむ……」
「だから、三上先輩にビビったんじゃなく……いや、ある意味ビビったんでしょうけど、三上先輩の存在にではなく、三上先輩のお胸様にビビったと言うかなんと言うか」
「……へー」
「クラスでも、彼とは巨乳談義でよく盛り上がるんです。ただ彼は……あ、名前は、松具零斗っていうんですけど、具零斗はシャイボーイなんで突然のめぐり逢いにどうしていいかわからず逃げだしちゃったんだと思うんです」
「……へー」
「それに、僕のクラスには大きな胸が大好物な連中がたくさんいるんで、先輩がここにいたらヴィーナス降臨かってくらい熱い眼差しが先輩にそそがれるんじゃないかなぁと思ったりなんかするというかなんというか……」
「……へー」
「……」
わぁ。
嬉しそうに笑ってたお顔もどこへやら。
三上先輩は、朝一からおっさんが吐いた薄みどり色のタンを見てしまったような渋い表情に。
「……まぁ、そんなわけでですね、えー……降臨されます?」
「シネー」
しないって言ったのかな?
死ねって言ったのかな?
両方かな?
両方だな。
嫌悪感丸出しの顔をこっちへ向けたまま後ろ歩きに遠ざかって行ってるもんな。
「……」
そのまま無言で校舎の外へと消えていく三上先輩。
別棟にある図書室へ行くんだろう。
キレられるかな、とは思ったけど引かれるとは。
今度会ったら謝ろう。
いや、もう話題に出さないほうがいいか。
「う~ん……」
どうしたもんかと考えながら上履きを取り出し、下駄箱の上に置いてあるペンキなどを塗るためのハケを手に取り、自分にあてがわれているスペースをキレイにキレイに掃除して、
「うん、完璧」
「何が?」
「わおっ」
三上先輩が僕の肩口から今掃除した下駄箱を覗いていた。
「図書室行ったんじゃなかったんですか?」
「上履き忘れた」
「ああ」
うちの学校の別棟にある図書室は、校舎とつながっておらず独立した建物内にあり、室内は土足厳禁で上履きを持って行って入り口で履き替えなければならないのだ。
スリッパがあるけれど、基本生徒は使ってはいけないことになっている。
ほとんどの生徒はルールを無視してスリッパを使うか、これもいけないのだが、上履きのまま校舎から図書室へ移動している。
しかし三上先輩は、ルールをしっかりと守っているようだ。
「で、何が完璧?」
再度訪ねてくる三上先輩。
顔が近い。
髪から甘いイイ匂いがする。
「下駄箱内をキレイにできたって意味です」
「キレイに……。そのハケで掃除したのか?」
「そっス」
「毎朝やってんの?」
「いえいえ」
「今日は特別?」
「登校したとき、下校するときやってます」
「……あー」
三上先輩が目を細め、口をアヒルにして、何ともいえない表情を作った。
「お前って、ひょっとして神経質?」
「いいえっス」
「イエスっぽく聞こえるな。じゃあ、何で一日二回もやってんの?」
「よりキレイにしてるほうが気持ちいいんで二回やってるます」
「……ふーん。ま、確かに下駄箱の中って掃除する係とかないしな」
「わかってくれます!?」
「わかるというか」
「どうしてみんな自分の机の中やロッカーは掃除するのに下駄箱の掃除はしないのか不思議だったんです! 僕なんて、砂が一粒でも落ちてたらすぐに掃除するってのに!」
「うーわ……キ」
「ええ! キレイでしょ! すみずみまで掃除してますからね! 中には僕のように掃除する人もいるかもしれませんが、僕は上も横も奥の板もキレイにしてますからね!」
「……あ、ここ?」
「そこです。奥のスチール版です。そんなところ誰も見ないだろ、なんていう人もいますがそういうことではないんです。見る見ないではなくキレイにしたいんですよ。いや、誰もがキレイにすべきなんです」
「わりーわりー。どうぞ」
「いえ、今はキレイにすることが良いことだと気づいてくれたのでそれで十分です。話の続きですが、僕はみんなにも下駄箱をキレイにすることを推奨したい。それは、自分が気持ち良いだけではなく、周りの人をも気持ち良くする行いだから」
「……」
「僕の話を聞いて目からうろこが落ち、うまく言葉が出てきませんか。わかります。人は衝撃的なことに直面すると頭が真っ白になることもありますからね。でもわかってもらえたんですよね。ならば今日から始めましょう。先輩は今この時から僕の仲間です」
クルリとターンをきめ、両腕を広げて『ウェルカム』のポーズ。
だがそこに三上先輩はおらず、変わって、
「…………小早川さんですね?」
「……うん」
クラスメイトで僕の隣の席の小早川皐月さんがいた。
黒髪ロングで笹の葉のような形の目をした、表情にあまり変化のないクールビューティーさん。
髪と同じく黒い瞳が真っすぐに僕へ向けられていた。
「……お、おはようございます」
「……おはようございます」
「……ここに金髪の人いなかった?」
「……」
小早川さんが三年の下駄箱のほうを指差した。
自分の上履きを取りに行ったのか。
一言声をかけてくれればいいのに。
多分そのまま図書室へ行くのだろう。
僕も教室へ行くとしよう。
と思うのだが、
「……」
今だ僕のことをじっと見つめている小早川さん。
変なところを見られてしまった。
恥ずかしい。
でも、どうして上履きを取らないのだろうか……って、
「ごめんごめん! こんなオーバーリアクションのアメリカ人司会者みたいなポーズで固まってたら上履き取れないよね!?」
あわてて脇へどいた。
小早川さんは、そんな僕の様子を見て首を左右へ振り、
「……大丈夫」
つぶやくような小声で言って自分の下駄箱スペースへ手を伸ばした。
でもって、小早川さんは靴を履き替え、僕も靴を履き替え、二人並んで廊下を歩き教室へ向かった。




