123.決別の証
「うぅぅぅ……な、何を、だよ……」
後ろへ顔を向け、クロアへ問いかける。
「私の炎は、実体を焼くのではなく幽体を喰らう。生き物のようにな。貴様の右手首から先の幽体を、私の炎が喰ったんだ」
「……ゆ、幽体? く、喰らう?」
右手自体はまだくっついている。
言っている意味がわからない。
「わからんか? 例えるなら、手の皮一枚を残して中身だけを喰らったようなものだ。幽体を喰われた箇所は肌の色が黒く変わり、二度と動かせなくなる」
二度と……。
「黒い炎は、私にとっては薬でも、貴様等にとっては猛毒というわけだ」
「……」
「ぐうの音も出んか。私に逆らうことの愚かさがわかったようだな」
クロアの言う通り痛感していた。
二度と手を動かせないという事実が心を折り、クロアには何をどうやっても敵わないという考えが僕の体から力を奪っていった。
「フフ、全てをあきらめた良い目だ」
こんなふざけたことを言われても怒りが湧いてこない。
顔を上向けて石像の台座に体を預けると、ひげを生やし、剣を持った神様が視界に入った。
この世界には神様がいるんだよな。
リィザが、「神を体に宿した者は――」って言ってたし。
こんな時、助けてくれればいいのに。
顔を横へ向ければ、台座に彫られた神様の名前が見えた。
読むことはできない。できないが……台座に彫られた文字…………。
何だろう?
ついさっき、何か引っかかることがあったような気が……
「さぁ、バハムートよ。私の部下になる儀式を始めようか」
「……儀、式?」
意識を声のほうへと戻し、うつろな目を正面やや上へ向けると、クロアがリィザの腕から足を降ろし、右手に持っていた黒い剣を大きく一振りした。
僕の腕を斬り落とすってことか?
恐ろしい。
もうこれ以上痛い目にあいたくない。
そんな思いから自然と体を縮こまらせると、
「……ククク、その情けない姿に免じて腕の切断は許してやる」
僕の様子から考えていることがわかったのだろう、クロアに笑われてしまった。でも、笑われたけど助かった……。
「その代わり」
クロアが剣の刃に左手親指の腹を当て、軽く引いた。指にできた一本の傷から黒い血が滲み、玉となり、流れ出し、
「私の血を飲め」
別の条件を提示してきた。
「血、を……」
「そうだ。『血の誓約』を交わすんだ」
「……血の、誓約……」
力ない声で、聞きなれない言葉を口にする。
「契約魔法の一種だ。私が誓約の言葉を紡ぎ、貴様が『血の主に忠誠を誓う』と言って血を飲めば、血の誓約は完了だ」
忠誠をってことは、僕がクロアを主と認める誓約ってことか。
「それと、私の血を飲めば、貴様にとって喜ばしいことがある」
「……よ、喜ばしい、こと?」
「私の力の一部を貴様も使えるようになるんだ」
「……」
そんな得体のしれない力使えるようになっても嬉しくない。
「……も、もし、誓約後、裏切ったりしたら」
「主を裏切ることはできん。命令に背くことも不可能だ。例え、『死ね』と言われてもな。ククク」
命を握られることになるんだな。
でもそれで、腕の切断を免れることができるなら……。
「さぁ、今日から私のために働け」
クロアがこちらへやって来る。
「む?」
が、すぐに足を止めた。
うつぶせに倒れているリィザが、レイピアを握ったままの左腕をクロアの右足に絡めていた。
「ぐっ……げほっ、はぁっ、はぁっ」
「おい、離せ」
リィザを見下ろしクロアが命令する。だが、
「い、嫌だ」
リィザはさらに強くクロアの足にしがみつき、
「バ、バハムートは渡さない」
はっきりと自分の意思を示した。
「……離……せっ!」
ドスッ
クロアが自由な足でリィザの背中を踏みつけた。
「うがっ! げほっ」
リィザがさらなる苦痛に顔を歪め、血を吐いた。
しかし、それでもクロアの足は離さず、
「バ、バハムートっ、げふっ、に、逃げろ!」
僕へ強い声と強い眼差しを向けてきた。
「リ、リィザさん……」
リィザには申し訳ないが、そこまでしてもらってもクロアから逃げきれるイメージが湧いてこない。
「このっ、バカ女が!」
クロアが手に持った黒い剣を振り上げた。
マズイ!
……と思ったがクロアは剣を振り下ろさず、上げたまま僕を見て、不快極まるバケモノのような笑みを浮かべた。
クロアが剣を下ろし、鞘に納め、
「寄越せ」
「あっ」
リィザの手からレイピアを奪った。
クロアは見ていて気分の悪くなる笑顔をそのままに、
「バハムート、リィザをどかせろ」
ポイっとレイピアを放り投げ、
「そいつでな」
僕の前に転がったレイピアを指で示した。
「ク、クロア!」
「大人しくしていろ」
「がっ」
クロアがリィザの背中に乗せていた足に体重をかけ黙らせた。
「……」
リィザのレイピアをじっと見つめる。
つまり、これでリィザを斬れと言っているのだろう。
僕が……リィザを……
「バハムート、レイピアを手に取れ。できんと言うなら、その役立たずな左手も私の炎で……」
「ッ!?」
慌てて左手を背中側へ隠した。
「ククク。バハムート、難しく考えるな。何も殺せと言っているわけではない。今の主人であるリィザに、決別の証を刻んでやればいいんだ」
「け、決別の……」
リィザと……決別……。
「……」
レイピアへ手を伸ばし、柄を掴み、持ち上げた。
「バ、バハムート……」
寂しそうにつぶやくリィザに、ヘタレた目をおずおずと向けた。
「フフ、それでいい」
リィザを踏みつけたままクロアが笑う。
リィザは今、クロアに腕を折られ、肋骨も折られ、背中を踏まれ、「大人しくしていろ」と言われても、それに抗ってクロアの足の下でもがいている。
そんなリィザをクロアに怯える僕が、命令されるままにレイピアを手に取り、リィザを斬ろうとしている。
……なんだか今の僕って、クロアの言うことやることに盲目的だったリィザみたいじゃないか?
「……プッ」
「……?」
「何だ?」
「……ププッ、ハハハハ」
「お、おい」
「笑っているのか?」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ」
その通り。
リィザとクロアが怪訝そうに見つめる前で、盛大に笑ってしまった。
こりゃ傑作だってくらい。
「ハハハハハハハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ」
「フンッ。リィザを斬る重圧に心が耐えきれず壊れたか」
クロアがヤレヤレポーズを決めて、首を左右に振った。
「バハムート……」
リィザは心配そうな声を漏らすが、そういうことではない。
「ハハハハハッ、い、いつの間にか、た、立場が入れ替わってることが、お、おかしかっただけだよ。アハハハハハハハハハハッ」
「……フー」
僕の説明を聞いても、頭がおかしくなったという考えは変わらないようで、クロアが再度、ため息を付け加えて首を振った。
やっぱりこいつはイヤなやつだ。
「あのね、ついさっきまで、クロアに従順なリィザさんをバカにしてたんだよ、僕は。何で言いなりになってんだ、笑われて悔しくないのか、ってね。それが今は逆に、僕がクロアに従順になって笑われても助かったんだからいいやなんて考えてたんだ。いつの間にか、自分がイラッとするリィザさん状態になってることに気づいて、笑っちゃったんだよ」
あれだけリィザのクロアに対する態度に不満を持ってたのに、今度は自分がそうなってたんだ。
情けなくって笑うしかないってもんだ。
「リィザさんはさ、この短い間にクロアに反抗できるくらい成長してるのに、僕は逆に、バカな頃のリィザさんになってたんだ。ハハ、ホントあんなアホとしか言いようがない状態になってたなんて笑っちゃうよね」
「バ、バハムート、お、お前……」
「リィザさん……」
「……後で覚えてろよ」
「……そんなわけでね、僕はリィザさんを斬らないし、お前の部下にもならないし、怪しい契約もしないから」
「そうか、残念だ」
まったく残念そうではない能面のような無表情を向けてくるクロア。
「では、左手も喰らうとしよう」
クロアが右拳を握りしめると、またしても黒い炎が手を包むようにして現れた。
「や、やめろっ!」
ガブッ
「うがっ」
でもすぐに消えた。
リィザがクロアの足に噛みついていた。
「リ、リィザぁ〜っ!」
怒りに声を震わせ、クロアがリィザの頭を踏んづけて引き剥がし、そのまま絨毯の上に押さえつけた。
「がっ、ぐぅ〜っ」
「リィザさん!」
「何度も何度も邪魔を!」
リィザの綺麗な金色の髪を踏みしめ、足をグリグリと捻るクロア。
ふざけんな、このバカ魔人。
「おいっ! その短い足をどけろっ!」
ピタリ、とクロアが動きを止め、思い切りまぶたを開いたビックリ眼を僕へ向けてきた。




