116.ついに
「フハハハハハハハハハハッ。どうだバハムート? この気配がどこから漏れ出ているかわかるか?」
まったくわからない。
クロアの頭の上で光った球体はすぐに消えたが、不快な気配はそのままで、これまで同様姿の見えない超巨大生物がどこかにいるような感覚だった。
「……こ、これって、ほ、本当にお前が?」
「ククク……」
クロアは答えず、声を震わせる僕を可笑しそうに見てきた。
「ク、クロア、あ、あの……え、えと……」
声をかけたが、何を聞いていいかわからないようで、リィザが口ごもる。
「下がれ」
クロアは、説明を求めるように自分を見ているリィザに、手を払う動きをつけ命令した。
「で、でも」
「下がれ」
リィザが何かを言う前に、クロアが淡白に同じ言葉を投げた。
「……う、うん」
言葉を無理矢理受け取らされたリィザは、小さく頷き、クロアを見つめたまま僕の隣まで移動してきた。
クロアは、リィザが下がる様子を確認すると、持っていた明星のランプを赤い絨毯の上に置き、聖女様が眠る石棺のフタに両の手をかけ、
「フンッ」
ベニヤ板か何かのように軽々と持ち上げ、石のフタを外した。
「!?」
「ふぇ!?」
ビックリしすぎて声も出ない僕と、ビックリしすぎて変な声を出すリィザ。
石棺のフタは、畳ほどのサイズで、厚さは約二枚分。
そのフタを、あの小学校低学年くらいの腕力しか持ってなかったはずのクロアが、あっさりと持ち上げるなんて。
……クロアの顔が少し老けたように見える。
驚く僕達にかまうことなく、クロアは石棺が載っている白い台に上がった。
フタが開いた棺の中には、白い箱型の帽子に、白い装束、白いベールで顔を隠した聖女様と思われる人物が横たわっていた。
その中へ、クロアはためらうことなく足を踏み入れ、聖女様の腰の辺りをまたぐ形で立った。
「……久しいな、ラララ」
クロアが口端を歪めて、聖女様をじっくりと見下ろしつぶやいた。
「……さっさと済ませるか」
聖女様を眺めるのもそこそこに、クロアが白いローブを脱ぎ捨て、黒い半袖シャツに黒いズボンの簡素な姿になり、ローブの下、腰に帯びていた剣を鞘からスラリと抜いた。
「ク、クロア……ま、まさか、さっき言ってたこと、本当にするんじゃないよな……?」
顔を青ざめさせてリィザが尋ねた。
さっき言ってたこととは、聖女様の心臓を剣で貫くというやつだろう。
僕としても、同じことが気になる。
「フッ」
だがクロアは、リィザの疑問を鼻で笑い、
「そこでおとなしく見ていろ」
肯定も否定もせず、剣を逆手に持ち、まぶたを閉じた。
これは、冗談でも何でもないってことだろう。
悪魔を封印したものがどこにあるのかわからないが、聖女様の心臓を貫くことが、封印を解くことに関係しているのは確かだ。
黙って見ているわけにはいかない。
「……」
この気配を発生させている明星のランプは、絨毯の上に置かれている。
あの光を消せば、気配も消えるはず。
クロアを見て、目を閉じているのを確認し、ランプのほうへそっと足を
「近づけば殺す」
「ッ!?」
動かすより先に、冷たい声が降ってきた。
クロアへ首を向けると、少しまぶたを持ち上げ、眼光鋭い瞳で僕を横目に見据えていた。
その目は、今言った言葉が本気だと理解できるだけの迫力を持っていた。
僕の行動は読まれていたのだろう。
クロアの目に見えない圧力に足がすくみ、金縛りにあったように動けなくなってしまった。
僕の表情から、もう変な動きは見せないだろうと判断したのか、クロアは再び目を閉じ、
「フーーー……」
集中力を高めるように、静かに長く息を吐き出した。
クロアはしばし、剣先を真下にいる聖女様へ向けた体勢で静止していたが、不意に眉間にしわを寄せ、
「ぐっ! くっ……うぅぅぅ」
うめき声を漏らし出した。
「ク、クロア、だ、大丈夫なのか?」
リィザが心配して聞くも、
「うぅぅぅ……おぉぉぉ……」
クロアは答えず、剣の柄を両手できつく握りしめ、苦しげな声をこぼし続ける。
よくわからないままクロアの姿を注意深く観察していると、クロアが持っている銀色の剣の刀身が、根元から徐々に黒く染まり始めた。
それに合わせて、クロアの顔も目に見えて老けだした。
「……リィザさん、これって何です? クロアの魔法か何かですか?」
「違う……と思う。こんなの見たことない……」
となると、クロアの言っていた「あれは私の内より出た力だ」という言葉が事実で、今生命力を魔力に変換しているために体が老いたようになっていて、自分はディノ・クライハーツと言ったのも本当ってことか?
でも、何でディノ・クライハーツ様が生きてるんだ?
なぜ封印を解いて悪魔の力を得ようとしてるんだ?
いや、三つの道具を使って一時的に封印を解いていると言っていたけど、封印は聖女様が持ってるんじゃ?
けれど、完全に解くには聖女様の心臓を剣で貫く必要があるって……ダメだ。わからないことだらけだ。
「ぐっ……くっ……ぐうぅぅぅぅぅっ」
クロアが歯を食いしばり全身に力を込めると、刀身はさらに黒く変色し、顔もどんどん若さを失い、ここへ着いたときに見た姿以上に老いてゆき、
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
残る力を絞り出すように声を上げると、銀色だった刀身は、その剣先まで余すことなく深い闇色に染まった。
クロアの容姿は、髪は完全に色が抜け、頬は肉が削げ落ち、剣を持つ手は骨と皮一枚だけの、百歳を優に超えた老人のようになっていた。
「……」
「……」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
僕とリィザが口を開けて呆然と見つめる先で、クロアは、荒い呼吸を繰り返し、閉じていたまぶたをカッと大きく開き、骸骨にはめ込んだような目玉をギョロリと動かし、足元を見定め、
「キィィィヤァァァァァァァァァァッ!」
悲鳴のような奇声を発して、逆手に持っていた剣の切先を、石棺の中で眠る聖女様の心臓目がけて突き下ろした。
黒く染まった剣は聖女様の胸を貫き、クロアはさらに自身の体重を剣にかけ、
「カカカカカカカカカカ」
しゃれこうべが笑うように、アゴを不気味にカタカタ動かすと、
「返してもらうぞ! 残らず全てだ!」
しわがれた声で叫び、剣を引き抜いた。
次の瞬間。
聖女様の体が白く眩い光を放ち始めた。
白い光は、石棺の中で立つクロアを下から照らし、その光に反応したように、クロアの頭上に再び光る球体が出現した。
聖女様と同じく白く輝く球体は、聖女様から溢れ出る光を吸収するように少しずつ少しずつ膨らんでいき、膨張が両腕で抱えきれないほどまで進むと、
ピキッ
グラスにひびが入ったような音を鳴らして、表面に黒い亀裂が入った。
光る球体に刻まれた亀裂は、黒い稲妻が走るように表面全体にすぐさま広がり、形を維持することが困難なまでに球体が裂傷で覆われた時、
パリーンッ
破裂音を響かせ、粉微塵に砕け散った。
クロアと石棺に、粉となった光る球体の欠片が、霧雨のごとく降り注がれる。
それは、状況も忘れて見入ってしまいそうなほどに美しい光景であった。
しかし、先ほどまで光る球体があったクロアの頭上に新たに生まれた、明確な負の塊が、そうはさせてくれなかった。
光る球体が消え、聖女様が放つ光も消えた中、クロアの頭上には今、闇を手で握って固めたような、黒い炎が浮かんでいた。
見ているだけで鳥肌の立つ、黒い人魂のような炎。
これが何かはわからないが、最も奇妙なことは、その人魂の周りだけがやけに暗く、火が周囲を明るく照らし出すのとは逆に、この黒い炎は、周囲を暗い闇に染めていることだった。
「おおぉぉぉぉぉっ! つ、ついに……ついに!」
クロアは、黒く変色した剣を鞘へ収め、両腕を広げて、興奮を隠しきれない様子の顔を上向け、ギラついた瞳で黒い人魂を見上げ、
「復活の時だ……」
アゴが外れそうなほど大きく口を開けた。すると、黒い人魂は、何かに導かれるように下へとゆっくり降りていき、クロアの口の中へ吸い込まれていった。
筋張った喉が上下に動き、一瞬の静寂の後、クロアの周りの空気が陽炎のように歪んだかと思うと、突如として発生した黒い炎が、クロアの全身を包み込んでしまった。




