10.何で押すの!?
夜。
右手にリード、左手に懐中電灯とお散歩グッズ入りの小さい手提げ袋を持ち、茶色い毛並みで柴犬っぽい見た目の雑種である、我が家の愛犬ケルベロスのケルちゃんと散歩をしていると、車道を挟んだ反対側の歩道に同じくワンちゃんと散歩中の顔見知りのお姉さんを見つけた。
「あら、こんばんわ~」
「ども、こんばんわです~」
お姉さんも僕に気づき、笑顔で手を振ってきたので、僕も振り返した。
名前は知らないが、最近ケルちゃんの散歩をしている時などにたまに会うようになった、いつも笑顔の二十歳くらいのお姉さんだ。
彼女が連れているのは、赤いリボン付きのホワイトピンクの首輪を巻いた、白い毛並みのポメラニアン。
首輪のリボンが首の下側にきており、蝶ネクタイを付けているようでとても可愛い。
名前はロンちゃん。
お姉さんがそう呼んでるのを聞いた。
「じゃあね~」
「は~い、おやすみなさ~い」
ひらひら手を振ってくるお姉さんに僕も手を振り、その足元にいるポメラニアンのロンちゃんを見る。
「……う~ん、ポメラニアン……」
今日一日ずっと考えていたことを、頭の中に呼び起こす。
どこかの森。
巨大な蚊。
三人の女性。
喋るポメラニアン。
水色マン。
あれは一体何だったんだろうか。
やっぱり夢?
ドッキリ?
「う~ん……」
もう何度考えたかわからないが、また同じことで頭を悩ませる。
ワンッワンッ
すると、足が止まっていた僕にケルちゃんが吠えてきた。
散歩行こうよ、と言っているのだろう。
「ごめんごめん。行こっか」
リードを引っ張って急かすケルちゃんに返事して、夜の散歩を再開した。
◇◆
「フゥ。ただいま~っと」
夏前の湿気が多い空気の中、ケルちゃんの散歩を終え、家に到着。
額に浮いた汗をジャージの袖で拭い、門扉を開けて、ケルちゃんと中へ入った。
リードを外してやるとケルちゃんは、庭にある犬小屋へと歩いて行き、水入れからぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ音を立て、勢いよく水を飲み始めた。
よっぽど喉が渇いていたんだろう。
だんだん暑くなってきたもんな。
今の僕は、長袖長ズボンの青いジャージ姿。
動いていない時はこの格好でちょうどいい気温だが、ケルちゃんの散歩に行くなら、もっと薄着でもいいだろう。
夏服出しとかないとな、などと考えつつケルちゃんのそばへ行き、水入れに水を足してあげた。
水を飲み続けるケルちゃんの背中を撫でながら犬小屋の中をのぞくと、草や砂などが落ちていることに気づいた。
掃除をしたいが、きれいにするとケルちゃんは小屋の中で、座って立ってその場でグルグル回って床の匂いを嗅ぎ、また座って立ってグルグル回って床の匂いを嗅ぎ、を何度もくり返すようになってしまう。
何かがしっくりこなくなるんだと思う。
なので、よほど汚れていない限り、掃除は週に一度だけと決めていた。
「ワンッ」
ようやく水を飲み終えたケルちゃんが一度吠え、近くに落ちていたゴムボールを咥えた。
まだ遊びたいと言っているのだ。
期待に応えるべく、ジャージの上着を脱いで犬小屋の屋根にかけ、半袖Tシャツの涼しい格好になってから、しばらくケルちゃんとボールを使って遊んだ。
やがて、遊び疲れたケルちゃんがボールに興味を示さなくなったところで、顔や体をワシワシ撫でながら、
「ケルちゃん、今日はここまで。また明日ね」
と言って、犬小屋につながっているリードを首輪に引っかけた。
水を飲んで喉を潤し、小屋へ入っていくケルちゃんへ、
「おやすみ」
もう一度声をかけてから、散歩用のリードと手提げ袋と懐中電灯を持って玄関へ向かった。
玄関脇のお散歩グッズを入れるプラスチックの箱に、リードと手提げ袋を入れて、
「ン~~~」
ひと伸び。
今の時間はだいたい八時半ってとこだろう。
今日はいろいろあって疲れた。
少し睡眠不足でもある。
かなり早いが、風呂に入ってさっさと寝よう。
またあのへんな夢を見なきゃいいけど。
でも、ドッキリの可能性もあるから寝る前に部屋の中を調べないと。
「おっと」
犬小屋の屋根に掛けていたジャージを忘
◇――――――――――――――――――――◇
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
「……」
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
「……」
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
「……」
……何の前触れもなく突然現れ、自身の前方を指差しイケイケと叫ぶ、金髪ショートボブの女の子。
その金髪さんを呆然と眺める僕。
「……」
この状況って……。
目の前で叫んでいるのは、薄手の白いコートに赤いミニスカ、黒のガーターベルト&ストッキングを身に着けた、猫目の美少女。
その背後には、胸当てと剣を装備した、水色ヘアーの爽やかイケメン。
頭に黒いバンダナを巻いた、赤髪で褐色の肌の赤いビキニ美女。
真っ黒ウェディングドレス姿の、黒いベールで顔を隠している女性。
今朝も見た四人だ。
それと、朝はいなかった子が一人。
白銀色のふんわりロングヘアー、パッチリとした大きな目の、十二、三才くらいの色白で可愛らしい女の子だ。
巫女さんが着ているような白い羽織を一枚身に着け、下は袴ではなく黒いショーパンを穿いていて、素足にサンダルという格好なのだが、羽織の裾が長くてショーパンがチラリとしか確認できず、裸ワイシャツならぬ裸羽織のような姿に見える。
あと一人、というか一匹、喋るポメラニアンが見当たらないが、どっかで草でも食ってるんだろう。
金髪さん以外の人は、何かを警戒するように周囲に首を巡らせていた。
瞬間移動でもしたように現れたへんてこな人達。
またしても今朝と同じことが起こった。
僕は数秒前まで自宅の玄関前にいた。
しっかりと起きていた。
これが夢とは思えない。
ならばドッキリか? ってなるけど、今の今までバッチリ起きてた人間の目の前に、瞬時に人を出現させるなんて無理だろって話だ。
となると、これってまさか、サクの言ってた冗談が現実に起きて……
バシッ、バシッ
「いてっ、いてっ」
金髪さんに肩を叩かれた。で、
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
イラついた目で僕を見てから前を指差しまた叫んだ。
至近距離で叫ばれたので耳がキーンて。
今朝もそうだったけど、イケイケイケイケって何なんだ。
不満を顔に出しながらも金髪さんの指し示す方向を見た。
「……」
真っ暗で何も見えなかった。
ここが外だということは、靴裏の土の感触と、肌に感じる風でわかる。しかし、あるはずの自分の家はない。家どころか、光が全くない。
今までケルちゃんとの散歩で外にいたため、近いところなら多少は暗くても目が慣れているので見えるが、遠くとなると全く何にも見えない。
さっきまで出ていたはずの星月は、いつの間にか雲が隠していた。
それにしても妙に暗い。
星や月や街の灯りがあるなしの問題ではなく、この場が通常よりも色濃い闇に覆われているような感覚。
気温は低くないのに、いやに肌寒いというか、背筋がゾクゾクするというか……。
「おい、そいつまた今朝のように固まってるぞ。どうなってるんだ?」
金髪さんに向かって、腕を組んで偉そうに言う水色のイケメン。
「こりゃまた沢山いるね。大丈夫かね、そいつ」
身の丈ほどもある大剣を片手で持ち、辺りを見る赤髪ビキニ。
「護符だっていつまでももつってわけじゃないのよ。どうすんの?」
何かを目で追っている白銀娘。
……声がポメラニアンに似てる気がする。
「お腹空きました……」
真っ黒ドレス。
そして、それらを聞いた金髪ガーターベルトさんは、
「ぐっ、うぅぅぅっ……」
俯いて体をプルプル震わせ唸り、
「くっ」
がばっと顔を上げ僕をニラみ、
「な、何?」
ビビる僕の背後へササッと回り込み、
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
背中をグイグイ押し始めた。
暗闇へ向かって。
「わ! わ! ま、またこの人は! 何で押すの!? 朝も押してきたでしょ!? こっちになんかあんの!? ねぇ!? ちょっと!?」
「ん~~~っ!」
聞いても返事なし。
全力で押してくる。
「こ、こんの~っ、ぐぬぬぬぬぬっ」
こっちも全力で足を踏ん張って抵抗するが、やっぱり力が強くて、どんどん前へ押し出される。
そのまま前へ前へとグイグイ押され、後ろの四人からある程度離れたところで、
「イッケーーーッ! バハムートーーーッ!」
ドゲシッ
定型文を叫んだ金髪ガーターベルトに、背中を蹴飛ばされた。
「ぐえっ」
ザコっぽい声を上げ、倒れそうになるのを何とかこらえようとするも叶わず、ヘッドスライディングをきめるように地面にズザザザザー。
「いててて……。な、何なのこの人。今朝といい、足癖悪すぎでしょ」
手についた土をパンパンと払い起き上がる。
「ちょっと、あんたね」
文句を言うべく振り返ろうとし、
「ッ!?」
途中で、動きを止めた。
「……何だ……?」
暗闇にじっと目を凝らす。
何かが動いているように見えた。
何かがというか、暗闇自体が動いているように見えた。
さらに言うなら、蠢いているように見えた。
煙だろうか。
煙が風に揺れて、闇が動いたと錯覚したのかもしれない。
しかし風に吹かれたなら、煙は同じ方向へ流れるはず。
けれど煙は、右へ左へ、上へ下へ、手前へ奥へと場所によって不規則に揺れていた。
「……すっごいヤな予感……」
さらに肌寒くなってきたように感じる。
体をブルッと震わせ、手をこすり合わせようとしたところで、左手に持っていたモノに気がついた。
「あ、懐中電灯」
銀色の筒型で、長さは五百ミリリットル入りの細長いアルミ缶くらい、太さはそれよりちょいスリム。
最近あまり見かけなくなったハロゲン電球の懐中電灯だ。
LEDライトは、目が痛くなるような感覚が苦手で、オレンジ色の温かみのある光を照射するこの懐中電灯を重宝していた。
ケルちゃんとの散歩のために持っていたのだが、これは、停電などに備えるため僕の部屋に置いてあるモノなので、お散歩グッズと一緒に箱へは入れず手に持っていた。
これで辺りを照らせば……。
ただ、とんでもないものが見えそうで……。
しかし、とんでもないものなら見ないほうが危険ってことも……。
「……よし」
僕は、ありったけの勇気を振り絞り、暗闇へ向かって懐中電灯を構え、スイッチをオンにした。
カチッ
「ほぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」




