第八章・心の封印
クローリナス城の前で、バハムートとガーランドさんの戦闘が続いている。戦闘――ううん。戦闘なんて呼べるようなものじゃない。ガーランドさんが遠巻きに魔法で攻撃し、バハムートの気をひきつけているだけ。バハムートの鱗は、あらゆる武器と魔法をはね返す。それは、四大魔術師の魔法と言えど、例外じゃなかった。さっきガーランドさんが言ったとおり、時間を稼ぐのが精一杯。この間に、何かバハムートを倒す手段を考えなくちゃいけない。でも、一体どうしたらいいの? アレスタはもういない。あたしが心を封じたから。どうしたら……いいのよ……。
空を見上げた。流れ星が見えた。流れ星……って、まだ昼間だよ? へ? しかもあの流れ星、なんだかこっちに近づいてきてない? どんどん大きくなってる。ちょっと? まさか、隕石? 危ない! ぶつかる! あたしは頭を押さえてしゃがみこんだ。
ドン!
あたしのすぐ側に、その隕石が落ちた。
「ミカ? 何やってるの?」
聞き覚えのある声だった。顔を上げると、隕石が落ちたと思った場所には、赤い髪でとがった耳の、美人の女性が立っていた。
「エルサ!」
思わず声を上げる。ガーランドさんの家にいた女の人、エルサだった。
じゃ、何? 今の? まさか、魔法で飛んできたの? すごいよエルサ! そっか。ガーランドさんの弟子なんだもんね。きっとエルサも、結構すごい魔術師なんだろうな。
「ひさしぶりね、ミカ……なんてのんきに挨拶してる場合じゃないわね。ガーランド様は?」
「あ……バハムートと、戦ってる」
お城の方を指差した。ガーランドさんの苦戦は続いている。
「……いくらガーランド様でもバハムート相手じゃそんなにもたないわ。どうするの?」
「どうするって……言われても……」
あたしはうつむくしかなかった。どうしたらいいかなんて、あたしの方が聞きたい。
と、エルサの足元に、黒ずくめの男の人が横になっているのが見えた。
「――――」
「――ええ。アレスタ・カミュよ。連れてきたわ」
それはあの日、あたしが心を封じ、胸を短剣で貫いた、アレスタだった。あの日と変わらぬ姿のままだった。
「あなたが彼を殺したことは責めないわ。あなたは、大事な人たちを奪われたんですもの。でもね、彼を殺したことが間違いだった、っていうのは、判るでしょ?」
「…………」
「彼とあなたが力を合わせなければ、バハムートを止めることはできない。何とか、彼をよみがえらせることはできないの?」
「そんなの……ムリだよ」
あたしが心を封じたんだから、それを解放することもできるのかもしれない。でも、やり方は判らない。それに、仮にできたとしても、あたしはやらない。彼は、あたしの大切なものを奪った、憎い相手だから。あたしは、彼を許せないから。
「あなたの気持ちは判るわ。でもね、アレスタが何故、《災厄》に力を与えられ、アルディアを滅ぼしたか、考えたこと、ある?」
……そんなこと、考えたことは無い。別に知りたいとも思わない。
エルサは重い口調で続けた。「アルディア軍の侵攻で、故郷と、家族と、婚約者を、失ったそうよ」
「――――!」
言葉を失ってしまう。
アレスタが、アルディア軍の侵攻で、故郷と家族と婚約者を失った?
それって……それって……あたしと同じじゃない!
「……だからといって、彼のことを許せ、だなんて、無責任なことは言えないけど。でも、彼の苦しみも、判ってあげて」エルサは何かを訴えかけるような目で、あたしを見た。
……正直、なんと言っていいか判らなかった。
あのアルディアの戦争は、他国から見れば、間違いなく侵略戦争だった。それまで、アルディアと近隣諸国の関係はうまくいっていた。信頼関係で結ばれていたはずだった。それを、アルディアは裏切ったんだ。
あの戦争で、多くの人が死んだ。それは判ってる。でもまさか、アレスタも、被害者の一人だったなんて。
父さん……みんな……教えて……。
あたしは、みんなの仇を取りたかった。その力を手に入れて、みんなを殺したアレスタの心を封じた。
でも、それは間違いだったの?
…………。
そんなことは、判ってる。あたしのしたことは、間違いだ。だって、あたしのせいで、バハムートは暴れ、この街を襲ってる。バハムートを止めることができなくなってしまった。
でも、でも!
それでもあたしは、彼を許せなかったの! あたしから全てを奪った彼を、どうしても許せなかったのよ! 世界が滅ぶと判っていても、彼に復讐するしかなかったの!
…………。
……あたしは、本当にバカだ。父さんやみんなが、そんなことを望むわけが無い。世界が滅ぶと判っていても、アレスタを殺してほしいだなんて、思うはずが無いんだ。
彼を殺したのは、あたしのエゴ。あたしの、自己満足。
「ゴメン、エルサ。あたし、自分でも間違ってるって、判ってるの。でもやっぱり、どうしたら彼がよみがえるかなんて、あたしには判らない。どうしたらいいのか、本当に判らないの!」
叫んだ。何もできない自分に対しての苛立ちだった。
と、その時だった。
「お困りのようですね?」
不意に背後から声をかけられ、あたしもエルサも驚いて振り向く。
そこに立っていたのは、タキシード姿の人。男か女か、若者か老人かも判らない人。忘れるはずも無い、一年前のあの雨の夜、橋の下で会った、あの人――。
「何、あなた?」エルサが警戒感をあらわに聞いた。
「あたしに、心を封じる力を……くれた人……」
「――――! じゃあ、こいつが、《災厄》!」
ゴクリ。あたしとエルサ、同時に息を呑んだ。握り締めた拳に力が入る。
何故、《災厄》がここに?
「何かお役に立てるかと思いましてね……」
《災厄》は、不快な笑みを浮かべた。
「ふざけるな!」
エルサが怒鳴る。
「やめてエルサ」
今にも魔法で攻撃しそうな彼女を、あたしが制した。
《災厄》が笑う。「そのお嬢さんの言うとおりにした方がいい。あなた程度の魔法で私が倒せるなら、あなたの師匠がとっくにそうしていると思いませんか?」
「――――っ!」
言葉を失うエルサ。何も言い返せないのは、その通りだからだ。何千年もガーランドさんが追ってきたが、正体すら判らないのが、この《災厄》なのだから。
それに、不本意ではあるけど、確かに今は、この《災厄》が役に立つかもしれない。あたしに心を封じる力をくれた《災厄》なら、アレスタをよみがえらせる方法を知っているかもしれない。
「聞きたいことがあるの」
あたしは、なるべく相手を威圧するような口調で言った。それが虚勢だということは誰の目にも明らかだけど、それでもそうするしかない。
「――あたしにくれたこの力で心を封じた人を元に戻すには、どうしたらいいの?」
「残念ですが、そんな方法はありません」
《災厄》はどこか嬉しそうな口調で、あたしが最も聞きたくない答えを口にした。
つまり、アレスタはよみがえらない。バハムートは止められない、ということ?
「ただし――たった一人の例外を除いてね」
「例外?」
「その人ですよ」
《災厄》は、倒れているアレスタを指差した。
「ア……アレスタが?」
「ええ。その人は、私が五年前にアルディアを倒す力を与えた、というのは、ご存知ですよね? あの時、私、本当にすごい力を与えたんですよ。あのバハムートなんて、比べ物にならないほどの力をね」
背中を冷たいものが走った。
あのバハムートよりも恐ろしい力。それは、どんな力なのだろう? 想像もつかない。
「今はあの魔術師のおかげでその力は眠っているようですが……そろそろ目覚める頃だと思いますよ」
「――――!」
「こう考えてください。その人のもともとの力を、Aとしましょう。私はそこに、Bという力を与えた。Bはアルディアを滅ぼしたが、その力が暴走し始めた。そこで、あの魔術師がBを封じた。でもしばらくして、あなたがAを封じてしまった。すると、Bがまた出てくるんですよ」
――――。
アレスタが、目覚める。アルディアを滅ぼした、あの悪魔のアレスタが。あのバハムートよりも、もっと恐ろしい力を持つ、悪魔が。
「――あなた、何で、こんなことをするの?」湧き上がる怒りを抑えつつ、あたしは言った。
「はい?」
「アレスタを悪魔にしたり、バハムートを地上に解き放ったり、あたしにこんな力を与えたり……あなたは、何が目的で、こんなことをしているの?」
「うーん、難しいことを聞きますね……私が何故、こんなことをするのか、ですか……」
《災厄》は腕を組み、少し困った顔をした。「……そうですね、それが仕事だから、としか、言いようがありませんね」
「仕事――?」
「はい。仕事です。あなた方人間も、生きていくために、お金を稼ぐために、仕事をしているでしょう? 私も同じです。これが仕事なんですよ」
淡々と答える。世界に災いを撒くのが仕事――。あたしには《災厄》が何を言っているのか、全く理解ができなかった。
「あなたは……何者なの?」
「別に何者でもありませんよ。あなた方のおっしゃるとおり、《災厄》です。おっと、無駄話をしている場合じゃなさそうですよ。あの魔術師、そろそろ限界じゃないですか?」
見ると、ガーランドさんはバハムートの炎に包まれていた。幸い魔法で防いだようだが、限界なのあたしの目にも明らかだった。
「それに――そちらの方も目覚めるみたいですよ。ほら」
《災厄》が、後ろを指差した。あたしたちが振り向くと、倒れていたアレスタが、今まさに、起き上がろうとしているところだった。
胸に刺さった短剣を抜いた。その瞬間、傷がふさがっていく。手に持つ短剣は燃え上がり、一瞬にして灰になった。
「離れた方がいいですよ。死にたくなければね」
その言葉を最後に、《災厄》は消えた。
立ち上がったアレスタは、空に向かって吼えた。悪魔の咆哮だった。あたしとエルサは、ゆっくりと、その場を離れた。
ゴクリ。息を呑み、あたしとエルサは、ふたつの悪魔の対峙を見つめる。ひとつはバハムート。三年前に現れ、本能のままに破壊を続ける魔竜。そして、もうひとつは、アレスタ・カミュ。あたしを導き、優しく微笑んだアレスタではない。五年前、アルディアを襲撃し、あたしの目の前で、父と、仲間を殺し、アルディアを滅ぼした、あの悪魔――。
《災厄》が地上にはなった、世界を滅ぼすふたつの災いが、対峙している。
圧倒されているのは、信じられないことに、完全にバハムートの方だった。アレスタの何十倍も大きな身体のバハムート。それは一見、象とネズミのようでもある。だが目を閉じると、その立場は逆転する。発する気配――闘気とでも呼ぶべきか――は、完全にアレスタの方が上回っている。少し離れた場所にいるあたしですら、死を予感するほどの気配。魔竜も、邪悪な本能で、それを感じ取っているに違いない。
アレスタが、一歩近づいた。死を告げるその足音に、バハムートが一歩退く。だが、二歩目は踏みとどまった。いかに気配が勝っていようとも、相手はたかが人間。そう思ったに違いない。バハムートは大きく口を開けた。そこから吐き出される炎。巨大な都市を一晩で焼き尽くすと言われるその炎が、アレスタに襲いかかる。それに対してアレスタが取った行動は、左手をかざしただけだった。炎がアレスタに触れたと思った瞬間、まるで、大河の激流が大きな岩にぶつかったかのように、流れがふたつに分かれた。目に見えない盾がそこに存在していた。やがて炎は吐き尽くされるが、アレスタは無傷だった。
そしてまた、一歩ずつ、ゆっくりと、バハムートに近づいてゆく。その悪夢を振り払うかのように、バハムートは身を反転させ、尻尾を鞭のようにしならせ、アレスタに振るった。尻尾とは言え、巨木を振り回すようなもの。並の人間であれば、跡形もなく、粉々になって吹き飛んでしまうだろう。しかしその一撃に対しても、アレスタは左手をかざしただけだった。全てをなぎ払う魔竜の一撃を、アレスタの細い左腕が、いとも簡単に受け止める。信じられない、こんなはずはない、という表情で、バハムートはもう一度尻尾の鞭を振るった。それに対し、今度はアレスタの右手が動く。剣を持つ右手。軽くなぎ払っただけのように見えた。しかし次の瞬間、バハムートの尻尾は両断されていた。血とも体液ともつかぬ緑色の液体を撒き散らし、バハムートが吼えた。それは、相手を威嚇するものでも、勝利に陶酔するものでもない。初めて聞く、バハムートの悲鳴。
アレスタが跳んだ。
人とは思えない跳躍だった。自分の身長の何十倍もあろうかというバハムートを、簡単に飛び越える。すれ違いざまに、剣をなぎ払った。
そして、静かに着地。
何が起こったのか判らなかった。あたしはもちろん、エルサにも、そして、バハムート自身にも。
バハムートの首に、緑色の線が浮き出てきた。ちょうど首輪のように、ぐるっと一周。何? と思った瞬間、人間で言ううなじの部分から、その線が大きくなっていき、それにつれ、バハムートの首が傾いていった。そして、線が線と呼べない幅になったとき、バハムートの首と胴が、離れた。
その光景は、どこかで見たことがある。
……そうだ、五年前。
五年前の、父さんと、第十五隊のみんな。あの時と、同じだ。
バハムートの巨大な頭は地響きを立てて地面に落ち、続いて、主を失った胴体が、さらに大きな地響きを立てて倒れた。
三年で五つの国を滅ぼし、この王都クローリナスをも壊滅に追い込んだ魔竜バハムートの、あまりにもあっけない最期だった。
アレスタが、バハムートの死体に手のひらを向けた。その先に、まぶしい光の球が発生する。魔法? 直感的にそう思った。魔法のことはさっぱりだけど、その光の球、とんでもないエネルギーを感じる。
「まずい!」
エルサがあたしの前に立ち、何だかよく判らないけど、両手で印みたいなのを結んだ。
アレスタの光の球が、バハムートに向けて放たれる。それが触れた瞬間――。
世界が、光と爆音だけとなった。
「ミカ……大丈夫?」
「ん、大丈夫」
身体の上に降り積もったガレキとほこりをはらいながら立ち上がったあたしが見たものは、何も無くなった、クローリナスの城下町。
「――――!」
見渡す限り全ての物が吹き飛んでいた。バハムートが街をガレキの山に変え、アレスタがそのガレキを消し去った。二人の悪魔が、この街を壊滅させてしまった。エルサがいなければ、あたしも吹き飛び、消えて無くなっていただろう。
恐ろしい力だ。アルディアを滅ぼした時以上に。
止めなきゃ。彼を。
あたしのせいで、こうなったんだから。
「あたし、やってみる。もう一度、アレスタの心を封じてみるよ……」
「で、できるの?」
「……あたし一人じゃ、ムリ、かな。あはは」
訴えかけるように、エルサを見た。
「あんな化物に、あたしなんかが何ができると思うの……」
「ゴメン。でも、エルサしかいないから」
「しょうがないわね」
エルサは笑った。
「ありがと。で、さっきエルサが飛んできた魔法……あれで、あたしを連れて、アレスタの近くまで飛べる?」
「……無理だと思う。転移の魔法は万能じゃないからね。魔法で障壁を張れば、簡単に防げるから」
でしょうね。そんな便利な物だったら、盗賊なんか仕事に困らないだろうし。
「じゃあ、自分の足で近づくしかない?」
「残念ながら」
うーん、それしかないか。よし。
「アレスタぁぁぁ!」
あたしはあらん限りの声で叫ぶ。「今からそっちに行って、あなたを助けるからね!」
エイミス村を出た時の、ノエルさんの言葉を思い出す。
――あなたのその能力は、誰かを殺すためのものじゃなく、誰かを救うためのもの、って信じてみて。
そう。これはアレスタを倒すんじゃない。彼を救うんだ。故郷を失い、家族を殺され、婚約者を殺され、悪魔になるしかなかった彼を、救うんだ。
「わざわざ今からそっちに行くなんて宣言しなくても……」呆れたような、エルサの口調。
「んー。なんて言うのかな。自分に気合入れたの。じゃないと、あたしすぐに逃げちゃいそうだから」
「心配しないで。あたしが逃がさないから」
「あはは、よく見張っててね」
そしてあたし達は、アレスタに向かって歩き始めた。
アレスタは、何の感情もこもっていない、氷のように冷たい目で、あたし達を見た。そして、左手の人差し指を立て、あたし達に向けた。指先から眩しい光がほとばしっている。エルサがあたしの前に立ち、さっきと同じ印を結んだ。
アレスタの指先から、光の矢が放たれた。
ものすごい速さであたし達に襲いかかる。でもエルサの突き出した手の数センチ手前で、見えない魔法の障壁に弾かれ、消えた。
ふう。大きく息を吐くあたしとエルサ。そしてまた一歩、近づいていく。
アレスタは表情を変えず、もう一度、指先から光の矢を放った。
エルサの魔法の障壁がそれを弾く。
アレスタはさらに光の矢を放ち続ける。何度も。エルサはそれを弾き返すが、数が多くなるほどに、その顔が苦しそうになっていくのが判る。そして、十本目の光の矢を弾いた時、エルサの体も弾かれた。
「――クッ!」
何とか踏みとどまったエルサだけど、魔法の障壁が消えた。そこを、新たな光の矢が襲う。エルサの左肩を貫いた。鮮血が宙を舞う。
「エルサ――!」
あたし、駆け寄りそうになるけど。
「大丈夫!」
エルサは右手で印を結んだ。再び障壁が現れたのが判る。でも、それはさっきよりも弱々しい。
また、光の矢が放たれた。耐えられたのは二回。光の矢が再びエルサを襲う。今度は右肩。膝を突くエルサ。
「ゴメン、ミカ――」
「ううん、ありがとう――」
あとは、あたしだけで何とかしてみる。
大丈夫、アレスタは、あたし達を殺す気なんてない。この街を一瞬で吹き飛ばすほどの力があるんだもの。その気になれば、あたし達なんて簡単に消し飛ばせるはず。
まだアレスタの中に、悪魔じゃない、本当の彼自身の心が残っているのかもしれない。
あたしはまた、一歩近づいた。あたしの力の効果範囲まで、あと十歩ってところかな。
アレスタの指先から、また、光の矢が放たれた。
今度は、あたしの右肩を貫く。
焼け付くような痛みが、右肩から全身に駆け抜ける。意識が飛びそうになる。膝を付きそうになる。でも、何とか耐える。
さらに一歩、近づいた。
その踏み出した右足を、光の矢が貫いた。
支えを失ったあたしは、その場に倒れこむ。その拍子に、頭を地面に打ち付けた。意識が薄らいでゆく……。
…………。
ダメよ! ミカ! こんな所でくじけちゃ!
思い出して! 五年前を!
あたしの目の前で、父さんと、第十五隊のみんなが殺された。あの日の心の痛みに比べれば、こんなの、かすり傷程度の痛みだわ! こんなんで、あたしを止められるもんか!
そして、アレスタも、あたしと同じ痛みを味わったのよ……。
彼を……救いたい……。
消えかけた意識が戻ってくる。立ち上がる。まだ行ける。
アレスタを睨みつけた。
アレスタが、一瞬ひるんだのが判った。
へへん。あたしも結構やるじゃん。気迫で、あの光の戦士を怖気づかせちゃった。
そしてまた数歩、近づいた。あと五歩。
アレスタの表情が変わった。手のひらを広げた。その先に光の球が現れる。
あ……さすがにそれ、ヤバイかも。さっきの、この街を吹き飛ばしたヤツだ。
ボン! 爆発。
あれ? でも、小さい音。花火みたい。
見ると、爆発はアレスタの背中で起こっていた。彼の背後に、ガーランドさんがいた。魔法をはなったのだろう。
アレスタの注意が、ガーランドさんに向けられた。
今だ!
あたしは走る。
肩から、足から、血が噴き出した。全身に痛みが走り、意識が遠くなるけど、でも、アレスタの前に、ついにたどり着いた!
左手をかざす。力を解放する。
あたしがこの力を使うのは、多分これが最後になるだろう。
白い光が、アレスタを包み込んだ。
――アレスタ。あなたを、救いたい。
あたしの心が、アレスタの心に入っていくような気がした――。
…………。
…………。
…………。
……あれ?
何だろう、これ。
あたり一面、白いもやもや。まるで、雲の中にいるかのよう。
その間に、何か見える。
あれは……アレスタ?
泣いてる……あのアレスタが……。
胸に女の人を抱いて、泣いてる。
その女の人は、白いドレスを着て――多分、ウエディングドレスだ――、でも、その胸は、赤く染まっている。赤い染みが、どんどん広がってる。それにつれて、女の人の顔から、生気が失われていくのが判る。
アレスタが――泣いている。
愛する人を失って、アレスタが泣いている。
その姿が消え、また、別の姿が現れた。
立ち尽くすアレスタ。その足元に、首と胴を両断された男の人が倒れている。見覚えのある顔。アルディア国王・ヘインズ陛下だ。と、言うことは、ここはアルディア城?
ヘインズ陛下の亡骸を見下ろすアレスタが――泣いている。
復讐を果たしたはずなのに、彼は泣いている。
――――。
あたしは、あなたに、父さんを、家族を、故郷を、奪われた。
あたしはあなたを許せない。たとえ、あなたの過去に、何があったとしても。
でも、あなたのその痛みは、あたしは判る。
あなたは、愛する人を奪われ、力を与えられ、復讐を果たし、でも、結果として、多くの人の命を奪った。
あたしも同じ。愛する人を奪われ、力を与えられ、復讐を果たした。でも、そのせいでバハムートを止めることができず、多くの人が、命を失った。
あなたとあたしは、同じ。
あたしは、あなたを許せない。でも、あなたの痛みは、あたしは判る。
あなたとあたしは、同じだから――。
心を封じられたアレスタの体が、ガクン、と、その場に倒れそうになるのを、あたしが受け止めた。
もう大丈夫。あなたは、悪魔なんかじゃない。
アルディアを滅ぼした悪魔はもういない。あたしの家族を殺した悪魔は、もういない。ここにいるのは、あたしと同じ痛みを抱いた、一人の人間。
あたしはぎゅっと、胸にアレスタを抱いた。いつの間にかあふれ出した涙が、頬を伝う。
その時。
――ありがとう。ミカ。
アレスタの声が聞こえたような気がした。