第二章・出会い
うーんと。ちょっと、困ったことになったかも。あたしはさすがにあせりを感じていた。
今、あたしは森の中にいる。深い深い森の中。目の前に広がるのは、うっそうと生い茂った樹々の海。やっかいなことに、右を見ても、左を見ても、後ろを見ても、ついでに上を見ても、同じ景色なの。方向感覚はまるで無い。さらにやっかいなことに、時間の感覚も無い。今見てる景色って、十分前と全く同じ景色で、三十分前も、一時間前も、三時間前も、同じ景色だった。同じ場所を永遠とぐるぐる回ってるような気分。実際回ってんのかもしれないけど。
あーあ、こんなことなら、やっぱり街道を進んでおけばよかったな……なんて、今更後悔しても遅い。
エイミスの村を出て、王都クローリナスに向かう途中、あたしは、この森にさまよいこんでしまった。……ううん。さまよいこんだんじゃない。自分から入ったんだ。だって、クローリナスに向かうには、街道を進めば三日くらいかかるらしいけど、この森を進めば、半日で着く、って言うんだもん。でも、狂暴なモンスターがたくさん住んでるから、普通の人は通らないらしいの。けれど、あたしはこの森を通ることを選んだ。だって、あたしのこの心を封じる力があれば、モンスターなんて恐がることは無いでしょ? だったら、早く着ける道を選んだ方がいい。
……なんて安易に考えたのが、すごく甘かったって、今になって判った。森の脅威って、モンスターだけじゃなかった。この森、最初は樹も少なくて、地面には道らしき物があったけど、進むほどに、周りの樹はどんどん多くなって、道も枯葉や下草の中に消えていって、で、今じゃこのありさま。完全に、迷子状態。あたしの力、獰猛なモンスターに対しては効果的だけど、深い森の中を進むのには、何の役にも立たない。半日で王都クローリナスに着くはずが、もうすぐ日が暮れるっていうのに、今、自分が森のどの辺にいるのかさえ判らない。
このまま日が暮れると、さらに困ったことになるよね。
昼間でも薄暗いこの森は、夜になれば、完全に真っ暗になると思う。そうなったら、今まで以上に歩くのは困難になるはず。ま、それはいいのよ。今だってどっちの方向に進んでいるのかよく判らない状態だし、真っ暗なら、歩かなきゃいい。でも、問題なのはモンスター。あたしはモンスターの生態には詳しくないけど、こんな森の中に住んでるモンスターって、多分、夜行性だと思うの。昼間は眠っていて、日が暮れると、行動し始めるんだと思う。暗闇の中でモンスターと出会う。考えただけで、恐ろしい。あたしの力って、確かに強力だけど、暗闇の中でどれだけその力を発揮できる? まずい。日が暮れるまでに、絶対にこの森を出なきゃ!
そんなあたしの思いが天に通じたのか、森の樹々は、少しずつだけど、まばらになってきた。それにつれて、歩きやすくもなってくる。よかった、この調子なら、真っ暗になる前には森を抜けられそう。そう思うと、足取りも軽くなる。でもその時。
ガサゴソ。
右手にある茂みが大きく揺れた。
あたし、立ち止まって、その茂みを凝視する。
風は吹いていない。それでも茂みが揺れるということは、そこに何かいるということ。あたしは身構える。
ガサリ。茂みから出てきたのは、一匹の狼。でも、普通の狼じゃなさそう。一回り大きいし、なにより、毛並みがピンク。うっすらと光ってさえいる。ピンクって色にかわいらしさを感じるけど、顔は獰猛そのもの。間違いなく、魔物の一種だわ。
ピンク狼は、ガルル、と低い声でうなり、牙を剥き、身をかがめ、攻撃の姿勢に入る。あたしを襲う気満々。あたし、とにかく相手から目を離さないようにする。目を離したら、その瞬間に襲いかかってくると思ったから。
と、ピンク狼が大きく跳躍し、あたしに跳びかかってきた! 大きな口を開け、鋭い爪と牙であたしのノド元を狙う。
あたしは落ち着いて、跳びかかって来るピンク狼の鼻面に右手をかざした。そして、力を発する。
右手から、白く、温かい光が発せられ、それがピンク狼を包み込んだ。瞬間、まるで糸の切れた操り人形みたいに、ガクン、と、地面に落ちた。
心を封じることに成功。
ふう。肩の力を抜く。うん。やっぱりこの能力って、スゴイ。このピンク狼、すごく獰猛で、今のジャンプ力もすごかった。まともにやってたら、あたし、確実にノドを引き裂かれてたわ。一応あたし、短剣持ち歩いてるけど、絶対に使いこなせない。こんなのであのピンク狼を倒せたとは思えないわ。あたしに戦いなんて無理。そりゃあたし、記憶喪失だから、もしかしたらすごく強い戦士とか魔法使いって可能性も、あるかもしれないよ? でも、この短剣持って構えたって、戦い方わかんないし、魔法の使い方なんてなおのこと。だから、やっぱり普通の女の子だと思うの。この能力以外は。ああ、でも、この能力があってよかった。あたしなんかでも、あのピンク狼、簡単に倒せるんだもんね。
ガサゴソ!
あ、また茂みが揺れてる。もう一匹いるの?
のそっ。出てきたのは、さっきよりも一回り小さいピンク狼。同じように、牙を剥き、姿勢を低くしてうなり声を上げるけど、さっきのヤツと比べると迫力が無い。フフン。そんなんで、あたしに勝てると思って? 何匹でもかかってらっしゃい!
…………。
……へ?
ガサゴソ。隣の茂みが揺れ、現れたのは、別のピンク狼。もう一匹いたの? ガサゴソ。さらに隣も揺れる。三匹目? ガサゴソガサゴソ……。茂みは次々と揺れ、五匹、六匹、七匹、と、どんどん出てくる。
そう言えば、狼って、群れで行動する動物だった。うっかりしてた。
なんて言ってる場合じゃないでしょ! これ?
あたしの目の前には、二十匹を超えるピンク狼が現れて、牙剥いて唸ってんの! 対するあたしの手、二本。これ、どうすんのよ?
うーん、あたしってバカだ。何でこんなことに気がつかなかったんだろ。あたしのこの能力、確かに強力だけど、効果の範囲はそんなに広くない。手のひらから数十センチって程度。一応両手から力を発することができるけど、これでたくさんの魔物相手にするにはちょっとムリがある。
さて、どうしたもんか。一匹ずつ襲い掛かってきてくれれば何とかなるんだけど……。
ガウ! ピンク狼が動いた。両サイドから二匹同時に襲い掛かってくる。やっぱりそんなうまいこと行かないか! でも二匹なら何とかなる。あたし、両手を開いて力を発動。両サイドのピンク狼はさっきのやつと同じように、力が抜けてドサリと地面に落ちる。よしっ……と思ったのもつかの間、今度は正面から来た! 慌てて両手を前に突き出す。間一髪、間に合った。もう一匹地面に転がる。
まずいわね。こんなの、いつまでももたないわ。ガサゴソ。また一匹増えた。これじゃやられるのも時間の問題。こうなったら……。
ピンク狼、仲間が四匹もやられたことに警戒してか、動かなくなった。でも、スキあらば襲い掛かろうという目をしている。あたしはピンク狼達に睨みを効かせると……。
ダッシュ! その場から逃げ出した!
虚を突かれたピンク狼は一瞬戸惑ったみたいだけど、すぐにあたしを追いかけてくる。あたし、全力で走るけど、ここは森の中。地の利は完全にあちら側。そうでなくったって、狼と競争してあたしが勝てるわけも無い。差はすぐにつまる。先頭を走るピンク狼が大きくジャンプした。あたしは振り返り、右手をかざす。先頭のピンク狼が地面に落ちた。その死体を乗り越え、次のピンク狼が襲い掛かってくる。あたしは右手を後ろに突き出したままで走る。でも、これが間違いだった。こんな森の中を後ろ向きで全力疾走できるほど器用じゃない。
ガッ!
何かに足を取られた。それが地面にとぐろを巻いた木の根だなんて気づく間もなく、あたしは倒れる。人間の防衛本能ってすごいモノで、あたし、怪我しないように無意識に両手を地面についた。おかげで頭をうつことは無かったけど、でも、これって今の状態での防衛本能としては、かなり間違ってる。ピンク狼、ここぞとばかりに一斉にジャンプした。対するあたしの唯一の武器である両手は、頭を守るためにふさがってしまった。まずい! さすがに覚悟し、目を閉じた。ああ、短い人生だったな。あたし、どう考えても二〇歳前後。しかも三日間の記憶しかないから、これで死ぬのは悔いが残りすぎるよ。……ううん、記憶が三日しかないから、かえって人生に未練が少なくて良かったって思うべきかな。絶対にそう思えないけど。さよなら、あたしの三日間の人生――。
ザシュ。
何かが斬れるような音がした。あたしは身をこわばらせる。
あれ? どこも痛くない。死ぬと痛みを感じなくなりそうではあるけど、でも、あの一瞬で死んだとは考えにくいよね。あたしは恐る恐る目を開けた。
黒い戦士――それが第一印象だった。
目の前に、全身黒ずくめの男の人が立っていた。黒いブーツ、黒いズボン、そして、風になびく黒いマント。背はスラリと高く、腰まである長い髪を、首と背中と腰の三箇所で止めている。マントの隙間からのぞく鎧は金属製の物ではなく、軽い革製の物。ダメージの軽減よりも身軽さを優先しているのだろう。右手には細身だけど刀身の長い剣。足元には両断されたピンク狼の首と身体が転がっていた。しかし、剣には一滴の血も付いていない。つまり、彼の剣がそれだけ速いということ。血も付かないほどに。
ピンク狼は突然現れた狩りを邪魔する黒い人間に少し戸惑いを覚えたものの、すぐにそれは仲間を殺されたことに対する怒りへと変わり、戦闘体勢に入る。まずい……。ピンク狼の数、さっきよりも増えてる。
でも、黒戦士は臆することなく、剣を構える。
ピンク狼、黒戦士は手強いと判断したのか、あたしの時とは違い、一斉に襲い掛かってきた。
危ない!
と、あたしが思う前に――。
黒戦士、剣を横になぎ払った。
そうとしか見えなかった。でも、その一閃で。
ザシュッ。
襲い掛かってきたピンク狼、その全ての首と胴が、両断されていた。
――へ?
と、あたしがあっけに取られている間に、黒戦士の姿が目の前から消える。いつの間にか、少しはなれたところで様子を見ていた別のピンク狼の前にいた。瞬間移動したように見えるけど、もちろんそうじゃない。かなり離れているにもかかわらず、黒戦士は一瞬で間合いを詰めたんだ。野生の狼にも負けない、ううん、それ以上の跳躍力。
黒戦士はあたしの眼には止まらない速さで剣を振るい、さらにもう一度跳ぶ。残るピンク狼は一匹。全く身動きできないままだった。多分、何が起こったのか理解できなかっただろうと思う。二度の跳躍と風のような剣捌き。それだけで、残り二匹の首も地面に転がった。
全ては、一瞬の出来事だった。
黒戦士は背中に背負った鞘に剣を収め、チラリ、と、あたしの方を見た。歳は二十代後半から三十台前半くらい。凛とした顔立ち。一流の彫刻家が生涯をかけて彫った作品のように、あたしの目には映った。二十匹以上のピンク狼をやっつけたのに、汗ひとつかいていない。
あ、やばい。
さっきピンク狼に追いかけられてた時も何度もやばいと思ったけど、これは全然別種のやばい。
きゅん。
このかわいらしい音は、あたしの胸が鳴る音。あたし、黒戦士――ううん、この人はあたしのナイトなんだわ――黒騎士様のその姿に見とれてしまう。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
こう声をかけてきたのは黒騎士様じゃなく、後ろから現れた五人の別の戦士。こっちは黒戦士様と違って、金属製の鎧兜に剣や槍、盾まで持ってる重装備。顔はまあ普通だけど、黒騎士様に比べたら月とすっぽん。その他大勢という感じ。
「はい、大丈夫です」
あたしは返事をするけど、その声も視線も黒騎士様に向けている。後から考えると失礼極まりないんだけどね。でも、この時はしょうがなかった。多分あたしの目、ハートマークになってたんじゃないかな?
でも黒騎士様はあたしの顔を一瞥しただけで、声もかけず、微笑みもせず、すぐにそっぽ向いてしまった。
か……かっこいい……!
これでもし黒騎士様があたしの所にやってきて、片膝ついて手を取って、「お怪我はありませんか、お嬢さん」なんて言って、お姫様抱っこして、「街まで送りましょう」なんてキザなセリフ言ったら、あたし、幻滅してたかもしれない。……いや、あたしのことだ。それでも「かっこいい……」とか思ったかもしれないけど……でも、やっぱり女に対してヘラヘラしてるよりも、あんな風に冷たい態度を取る方が、断然いい。
あ、記憶が戻る前のあたしの事、今少し判った。あたし、結構Mだったのかも。
……んなことはどうでもいい。
あたし、すっかり舞い上がった気持ちを抑え、おしりについたほこりを払いながら立ち上がる。「あ。大丈夫です。少し手のひら、すりむいちゃいましたけど」
これ、ちゃんとその他大勢の戦士に向かって言ったのよ。
「そうですか、それは良かった。でも、こんな森の中を一人で歩いてたら危険ですよ」
うーん。確かにそうだ。あたし、この能力があればどんな魔物も恐くない、なんて楽観的に考えてたけど、それ、大きな間違いだった。今回のことで、よく判った。あたしの能力の限界。
例えば今みたいに群れで襲ってくる魔物。あたしの手は二本で、そこから発するこの能力の有効範囲はかなり狭い。大勢の魔物を一人で相手するのはムリ。
あと、距離を置かれてもダメだよね。例えば遠く離れた場所から弓で攻撃されたり、とか、空飛ぶ魔物に空中から石を落とされたり、とか、あるいはあのバハムートみたいに、炎を吐かれたり、とかされると、あたし、ひとたまりもないわ。
自信過剰は死を招く。うん。よく心に刻んでおこう。今日は運が良かった。こんな森の中で、あんなステキな騎士様……もとい、強い騎士様に会えたんだから。
ところでこの人たち、何者だろう? 聞いてみた。
「我々はクローリナス騎士団の者です。この森に住み着いた凶悪な魔物を退治するため派遣されました。ああ、あの方は騎士団ではありません」
そう言って、その他大勢の戦士の一人――いい加減、この呼び方は失礼かな――が黒騎士様を紹介した。「アレスタ・カミュ殿。今回の魔物退治の手助けをしてもらっています」
――アレスタ・カミュ。
きゅん。また胸が鳴った。
この時は、これが恋なのね、なんて、のんきなこと考えていた。この時は――。
「お嬢さんは、クローリナスまで?」
「あ、はい。エイミス村から来たんですけど、この森を抜ければ早いと思ったんで……。でも、間違いでした」
「そうでしたか。ここはまだまだ危険です。騎士団の者に街まで送らせましょう」
この人、多分隊長さんなんだろう。部下の一人にあたしを街まで送るように命令する。ありがたい話ではあるけど、ここでこの申し出を受けたら、あの黒騎士、アレスタ・カミュ様と離れ離れになっちゃうのよね。
「あ、大丈夫です。あたし、皆さんについて行きますから」
「は? しかし、危険ですよ」
「でも、せっかく派遣された騎士団の人数を、あたしなんかのために割いてもらうのも悪いですし」
隊長さん、あたしの言うことに全面的に賛成はできないものの、あたしが食い下がらないので、仕方なく同意してくれた。
と言うことであたし、アレスタ・カミュ様と五人の騎士団と一緒に、凶悪な魔物を退治するため、森の奥へと進んでいく。
異変は、すぐに起こった。
森中に、獣の咆哮が響き渡った。地面が揺れるほどの、大きな咆哮。
「近いぞ」
隊長さんが言った。五人の騎士はおのおの武器を構える。緊張が、隊の中を走る。
アレスタ様だけは慌てた様子も見せず、静かにその場に立っている。何かを探っている。そんな風に見えた。
と、背中の剣を抜いた。
見ると、森の奥から何かが近づいてくる。
ライオン? それが、第一印象。でも近づくにつれ、絶対にライオンでないことが判る。まず頭、なんと、人間の老人みたいな頭してんの! さらに、背中にはコウモリみたいな羽が生えていて、尻尾はなんと、サソリみたいな毒針がついている。さっきの魔物はピンク狼って形容したけど、こいつはなんて形容しようか? ライオン老人コウモリサソリ? 舌噛みそう。
「下がってください」隊長さんが言う。
「あれ、何なんですか?」
「太古の魔術師が造り出した合成魔獣です。身体は小さいですが、非常に危険です。あのバハムートほどではないですが、小さなドラゴンになら、十分に匹敵するほど危険なやつです。いかにアレスタ殿でも、かなり手強い相手となるでしょう」
ふーん。ふざけた外見だけど、そんなに危険な相手なのね。
あ、でもこれ、ひょっとして、アレスタ様にいいとこ見せるチャンス?
「あの魔物って、群れで行動します?」あたしは隊長さんに聞いた。
「いえ、通常は単独です。あんなものが群れたら、たまりません……」
「飛び道具使ったりとか、炎を吐いたりとか、しませんか?」
「は? ああ。伝承によると、尻尾の針を飛ばすものもいますが、このタイプは違います。その代わり、尻尾の針には非常に強力な毒があります。かすった程度でも、人間など即死してしまいます」
「うん。そのくらいなら、多分大丈夫だ。あの、あたしに任せてください」
そう言ってあたし、すたすた前に進み出る。それがよほど意外な行動だったのか、隊長さんたち、あたしを止める間もない。
「……おい」
キャッ。渋い声。これ、突然前に進み出たあたしに向かって言った、アレスタ様の声。やっぱイイ男は、声も違うわ。
……なんて言ってる場合じゃないっての。どうも緊張感ないな、あたし。
「大丈夫、あたしに任せて」
アレスタ様を制して、あたし、ヘンテコ魔獣に向かって行く。とにかく、尻尾の毒針にだけ注意しながら。ヘンテコ魔獣、さっきのピンク狼と同じように、身を低くし、牙を剥き、いつでも襲いかかれる体勢。あたし、慎重に近づき、そして、十分に間合いが詰まった所で。
「えい!」
右手をかざし、力を発動。
右手から発する白い光。その光に包み込まれたヘンテコ魔獣は。
バタリ。眠るように、その場に崩れ落ちた。
「おお!」どよめく騎士団。クールなアレスタ様ですら、驚きの表情。フフン。悪くない気分。
騎士団がヘンテコ魔獣に駆け寄る。そして少し調べた後。「間違いありません。完全に、死んでいます!」
おお! と、また騎士団がどよめく。
「い、一体、何を――?」
「あ、実はあたしにも、よく判らないんです。あたし、記憶がなくて――」
あたしは、記憶が無いこと、この能力のこと、そして、自分の正体を知りたくて旅をしていることを話した。
「おお! これぞまさに、神の導きか!」
隊長さん、大げさにそんなことを言う。なんか照れるな。そんな大したもんじゃないけど。
「……名は?」
アレスタ様が聞いてきた。やった! アピール成功?
「えっと……ミカ・バルキリアルです。あ、でも記憶が無いので、ホントの名前かどうかは判らないんですけど。なんとなく、そう呼ばれてたような気がするんで……」
照れくさくなって、あたし、顔を伏せた。
隊長さん、すごく興奮した様子で。「光の戦士・アレスタ・カミュと、魔物を一瞬で倒す力を持つミカ・バルキリアル。この二人が同時に我がクローリナスに現れたのは、まさに神の奇跡! 二人とも、ぜひその力で、憎きバハムートを倒してください!」
…………。
……はい?
何言ってんの、この人?
…………。
予想外すぎる隊長さんの言葉に頭がうまく回転しなかったけど、ようやく意味を理解する。
あ……あたしがあのバハムートを倒す?
む……む……無理だよ! 絶対無理! あんな大きな魔物、倒せっこない! あたしの力の限界、超えちゃってる。
でも、隊長さん、そんなあたしの戸惑いを無視して、天を仰ぎ、神に祈りをささげるかのようなポーズ。完全に、陶酔しちゃってる感じ。騎士団の他の人も一緒。みんな口々に「これは神の導きだ」とか「待っていろ! バハムートめ!」とか、勝手に盛り上がっちゃってる。
アレスタ様は……あれ? そっぽ向いてる。何見てんのかな? 視線の先を追う。森のずっと奥の方。
「まだ……いるな……」
アレスタ様がそう言った瞬間、騎士団の人達も静まり返った。
ダッ……ダダッ……。森の奥から何か獣が駆けてきた。ものすごい速さ。狙われたのは……あたし。速すぎて手をかざすヒマもない。獣が跳んだ。
と、次の瞬間、あたしの身体も飛んでいた。
……へ?
……あ……やだ……どうしよう……?
あたし、アレスタ様に抱かれちゃってる! いや〜ん。
…………。
……だから、緊張感持てっての、あたし。
いやーんなんて気持ち悪い声出してる場合じゃない。危うく魔獣に食い殺されるか引っ掻き殺されそうになってたんだから。それを、アレスタ様が紙一重のところで助けてくれたの。後から考えると、冷や汗ダラダラ。
ふわり。アレスタ様が華麗に着地。魔獣が振り返った。その魔獣……なんじゃあ?
さっきのライオン老人コウモリサソリもヘンテコなヤツだったけど、これはさらに、輪をかけてヘンテコなヤツ。まず身体。さっきのヤツと似てて、上半身はライオンなんだけど、下半身は山羊。背中には大きな翼がある。尻尾はヘビの頭になっていて、シャーシャー言ってる。これだけでも異様な姿なんだけど、一番おかしなのが頭。なんと、右から山羊、ライオン、ドラゴン、って具合に、三つの頭がついてんの! 山羊ライオンドラゴンヘビ? もうワケわかんない。これも大昔の魔術師が造り出した合成魔獣なのかな? だとしたら造った人、多分ノイローゼだったんだわ。
「離れていろ……」
あたしを抱くアレスタ様の手が離れた。むう、残念。でも、確かに離れた方が良さそう。さっきのヤツと違い、この超ヘンテコ魔獣、あのドラゴンの口から、炎を吐きそう。だとしたら、あたしの手には追えそうもない相手。
アレスタ様が剣を構える。それに応えるかのように、超ヘンテコ魔獣、三つの首がそれぞれ低いうなり声を上げる。
ドラゴンの首が大きく口を開けた。あ、やっぱり! そこから吐き出される灼熱の炎! アレスタ様は跳んでその炎をかわす。一気に間合いを詰め、頭上から剣を振るった。しかし超ヘンテコ魔獣もすばやい。アレスタ様のその一撃を、後ろに跳んでかわした。さらに炎を吐く。今度はさっきよりも大量。アレスタ様は左へ跳んだ。超ヘンテコ魔獣、それを追ってジャンプ! アレスタ様の着地の瞬間を狙って襲いかかる!
危ない!
と思ったものの、さすがアレスタ様! 着地の瞬間身体をひねり、超ヘンテコ魔獣の必殺の一撃をかわす。と同時に剣を振るった! その剣が、超ヘンテコ魔獣のドラゴンの首を捉えた。ザシュ! 赤い血をまき散らしながら、ドラゴンの頭が宙を舞う。
やった!
と、思ったのもつかの間。
ガウ!
着地した超ヘンテコ魔獣、首を切られたのに全くひるんだ様子もなく、アレスタ様に襲い掛かった。ライオンの牙がアレスタ様の右腕をとらえた。その勢いで倒れるアレスタ様。超ヘンテコ魔獣に馬乗りにされたような格好。剣を持つ手を封じられている。これ、やばくない?
あ、でも。
ドラゴンの首は斬り落とされた。ということは、あたしの出番! 超ヘンテコ魔獣に向かって駆け出す。山羊の頭があたしに気づいたけど、炎がなけりゃ、あんたなんか恐くない! しかも、アレスタ様が押さえてくれてるんだもんね!
あたしは超ヘンテコ魔獣の山羊の頭の前に手のひら向け、力を発動させる。白い光。頭がいくつあろうが効果はテキメン。超ヘンテコ魔獣は心を封じられ、グッタリとなってその場に横たわった。
ふう、危なかった。アレスタ様、大丈夫かな? わ、すごい。ライオンに咬まれたっていうのに、アレスタ様の腕、ほとんど血が出てない。さすがに鍛えてあるみたい。ほっと一安心。
アレスタ様は背中の鞘に剣を収めて立ち上がり、あたしの方を見た。そして。
「助かった、ありがとう――」
…………。
きゃー。アレスタ様にお礼言われちゃった――どどどどど、どうしようどうしようどうしよう!
「あ! いえ! こんなの、なんでもないでありますです! はい!」
……えーい、落ち着け、あたし。お礼言われるくらいなんでもないでしょうが。まったく。自分に呆れる。
「素晴らしい! 素晴らしいです! ミカ殿! アレスタ殿!」隊長さんと騎士団の人たち、拍手をしながらあたし達に駆け寄ってきた。「ぜひとも、わが国を、いや、世界をあのバハムートから救ってください! 我が王の、力になってください!」
この人たち、さっきから全然役に立ってないような……。まあ、それだけすごいってことなんだろうな。アレスタ様の強さと、自分で言うのもなんだけど、あたしのこの、心を封じる力が。
……やってみようかな、あたし。
確かに無謀な挑戦だけど、でも、もしかしたら、できるかもしれない。
あたし一人じゃ、絶対無理。でも、この人が、アレスタ様がいてくれたら、できるかもしれない。
今の超ヘンテコ魔獣もそう。あたし一人じゃ、多分倒せなかった。最初の一撃で、あたし、死んでる。でも、アレスタ様がいたから倒せた。ちょっと手こずったけど、でも、アレスタ様の怪我もたいしたことはなさそうだし、結果的に見れば、簡単に倒せたと思う。もちろん相手はあのバハムートだ。こんな超ヘンテコ魔獣なんかより、はるかに手強いと思う。でも、あたしのこの力で倒せるのなら――あたしの手で世界に平和を取り戻せるのなら、やってみようかな。
「……判りました。王様に、会ってみます」
「おお! 会ってくださいますか! では、さっそく行きましょう! 王都クローリナスへ!」
隊長さんと騎士団の人たちは、喜び勇んで、来た道を戻り始めた。
それにしても、記憶を探す旅が、なんだかとんでもないことになっちゃったな。バハムート退治か。ほんとにできるのかな? あたしなんかに。
アレスタ様を見た。アレスタ様も、こっちを見ていた。ドキ。視線が合う。
「――よろしく頼む、ミカ」
アレスタ様の口元が、少しゆるんだ。笑ったように見えた。
「あ……こちらこそ、よろしく、その……アレスタ」
は……恥ずかしい……。うつむきながら、あたしは答えた。
こうして、あたし達のバハムート退治の旅が始まった――。
☆
「……明奈」
「ん? 何?」
「何だこのお気楽なノリ?」
第二章を読み終えた俺は、第七章とのミカのギャップに、少し呆れ気味。
「ま、最初の方だからね。そんなもんだよ、この話は」
「別にいいけどな。それより、見つかったか?」
そうだ。今はこんなラブコメより、第七章の前、何でアレスタがいなくなって、バハムートが暴れてるのかが気になる。
「うん。あったよ。はい」
そう言って明奈が手渡した束には、「第六章・決意と別れ」と書かれてある。
「お、七章の前のところか」
「うん。第三章で王様からバハムート退治を任され、二人は旅に出たんだけどね、その後いろいろあって、ミカの記憶が戻ったの。で、ミカは戻った記憶に従って、野営地である行動に出るんだけど……」
「よしよし」
待ってました。俺は第六章を読み始めた。