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N.B.L. ―彼女と私のレゾン・デートル―  作者: 耀叙伴在
Chapter Ⅰ Starting Point
7/7

しょうもない朝

   ●  ●


「――だぁぁぁああああああああああああああああああっ」


 ――共歴・145年。

 主流となってまだ歴史の浅いその暦を刻むのは、1つの大陸と、周辺に連なる島々に点在する五国。

 それらのうち、大雑把に見て大陸中央部と東部を領土とする国は名を"セント"といい、民主主義国家であるところのそれの中枢を担う中央政府が居を構える都市を央都"ヴァイス"、その外苑付近に私が寝床とするアパートメントはあり。

 そこから都心方面へ小型移動車(ミニ・ヴィークル)を少しばかり走らせた先に、古くはないが、さして新しくもない学院(アカデミー)がその身を置いており。


「間に合えええええええええええええええ!」


 ――その、アパートメントから学院へと向けて。

 私は、ヴィークルを全力で走らせていた。

 交通管制信号と巡回警備網をすり抜けつつ、街中を駆けていたのはほんの数秒前の話であり、ちょうど敷地の内と外とを繋ぐ複数の門のうち、最も講義上近い位置に駐留場がある裏門に差し掛かる。

 端々に腐食の色が見える「敷地内走行厳禁!」の立札を蹴り飛ばしつつ乗り付け、駐留所に留めるや否や、自動施錠(オート・ロック)――開錠状態で一定範囲内に持ち主がいないことを察知すると作動するタイプ――がかかるのを確認する間も惜しみ、駆け出す。


 隣接する宗教国家である西方の国、独裁的な軍事国家である北方の国の二国との緊張は強まっているご時世とはいえ、服装やら芸術やら何やらの規制を敷くほどでも無く住人の各々に裁量が認められ、華々しいととは言わずとも身だしなみへの気遣いもあれば流行り廃りもある。

 そんな中で、色気も洒落っ気もない野暮な装いで髪を振り乱し奇声を上げ走る女の姿は傍からは奇異に映るのだろう、視線が突き刺さるのを感じる。

 急な運動で体は熱く、重く、汗が体表を伝うのがわかる。

 さぞかし滑稽だろう、もしくはその必死さに呆れているのか。

 

 しかし、そんなのは知ったことじゃない。

 

 恥も外聞もなく、振り返る人集まる視線の全てを無視しキャンパス内を駆ける。

 もとから学院内での知人なんてほとんどいない――少なくとも私の記憶の範囲では――し、見られたところで大した問題でもなく、何よりもあの頭頂部の毛根が死滅した中年男の、ただ聞き流すだけの講義を再履修するなど、まっぴらだった。

 ぜぇはぁぜぇはぁと息を荒げ、敷地内の人工芝を駆け抜けて行く先は、第7講義棟の1階、716大講義室。

 講義棟に飛び込み、階段は上らずに色のくすんだビニルタイルの廊下を抜けた先で、私は目的の部屋へと至る。

 

 バクバクと体内で主張してくる鼓動を聞きながら、勢いのままにその扉の取っ手を掴む前に立ち止まり、深く息を吸い、吐く。

 落ち着け、落ち着け。大丈夫。時間はまだ見ていないが、既に遅刻は確定。しかし恐れるな。仮に遅れたとしても、まだ始まって間もない、見逃してもらえるかもしれないし、上手くやれば気づかれない可能性だってある。だから大丈夫だ。何が大丈夫だとか知らないが、とりあえずは大丈夫。

 大丈夫。大丈夫。大丈夫。

 意味が曖昧になるほど"大丈夫"繰り返し、呼吸を整え思考の乱れを正し、

 

 ――よし、

 

 意を決した私はあまり音を立て無いようこっそり、ゆっくりと分厚く重い金属の扉を開け――そうして入った中は、まだ学生の話し声の途切れない空間だった。

 教授の独特の緊張感は無く、談笑に興じる学生らがいれば、講義前の予習か別講義のレポートの仕上げなのか、はたまた一時の娯楽か、手元の携行端末のスクリーンを熱心に見つめる学生もいる。

 講義室の最奥にある教壇へと目をやれば、そこに立つべき人物は不在のようであり、しかし室内中央、クルクルと全方位へと回る|立体映像<ホログラム>の時計の文字盤が示す時刻は既に予定を過ぎていた。


 教授の遅刻、か……?


 拍子抜けの言葉を内心で呟きながら、私は講義室の右側の壁伝いに前方――この講義を受講する学生の大半とは反対方向である――へと向かう。

 最前列より少し手前、その右端が私の半ば定位置となっている席であったが、そこには所々が跳ね上がった黒髪の、座っていても長身と分かる後ろ姿があった。

 間に合ったという余裕で歩調を緩めつつ近づいていくと、気配に気づいたのか、黒髪長身が振り返る。


「――おはよう、エディ」

「あぁ、おはよう、シン」


 いつもの軽い挨拶を交わすと、にこりと笑みながら、シン――私と同回生の友人であるシンイチ=アクラは自身と荷物を通路側から奥へと移動し、ありがと、と短く礼を言いつつ私は空いた傍らの席に座る。

 やり取りも、どちらか早く来たほうが席を取っておく動作も、互いに"日常"の単語だけで済ませられるような内容だ。


「珍しいな、遅刻なんて」

「別に、なんでもないだろ。少し寝坊しただけ」


 講義の準備のために鞄に手を突っ込み、目当ての品を探る片手間での曖昧な応えは、しかし修飾に乏しいだけで、事実ではある。

 その寝坊に至る"いくつかの要因"があったにせよ。

 いつもより起床時間が大幅に遅れたのが直接的な要因であることに変わりは無いのだから。


「教授もまだ、来ていないみたいだが」

「さあな。向こうも遅刻じゃないか?」


 そーかい、と大した意味もない問いの答えを聞き流しつつ鞄から取り出したのは小ぶりな合成樹脂製のケースであり、中にあったのは、銀縁の眼鏡が一本と、光沢の無い黒色をした箱状の物体だった。

 箱は机の上、邪魔にならない位置に据え、中の眼鏡を装着する。

 フレームに囲われた視界、だけどそれは湾曲したレンズで補正されたものではなく、証として、続く動作で眼鏡の側面、耳に引っかけているフレーム上部にある極小サイズのスイッチを爪を引っかけるようにして切り替える。


 ――同期(リンク)


 視界中央に起動を示す文字が立体表示され、次いで複数の仮想パネル――最後にこれをつけていた頃に行っていた処理項目(タスク)が現れる。

 瞬く間に表示される文字の羅列は、情報の雨だ。

 その中から必要なモノだけを頭に入れながら視線誘導式カーソルと僅かな指の動作で黙らせ、起動処理を済ませるに至るまで、日常の行為に過ぎない。

 そして、これからの講義用のアプリケーション――電子媒体でストックしてあるテキストやら、メモ用のエディタの類だ――を呼び出そうとしたところで、お、と隣から声が漏れた、


「また改造し(いじくっ)たのか、それ」


 言いながら、シンは私のかけている眼鏡を指す。


「動作が少なくなってるし、かかる時間が短縮されてる――起動処理だろ、今の」


 問いに、ああ、と私は頷く。


「ソフトの挙動周りをちょっと、な」


 目ざとい奴だな、と思ったが、それを口にしないのはこのやり取りすら、既に何度となく繰り返しているからだ。

 独学でかじった知識で身の回りの機器に手を入れるのが私の趣味であることをシンは知っているし、同じく工学を専攻している彼が私の"成果"を横で見てきた以上、そこに違和感はない。


「試しに使ってみるか?」


 ちら、と傍らの同回生に視線を送ると、いやいや、と苦笑交じりに首を横に振られる。


「遠慮しとくよ。だいたいお前の使ってるヤツのアルゴリズムは、最適化されすぎてて、着いて行けない」

「そういうもんかね……?」


 はぁ、と分かったのか分かってないのかも分からない息を吐きながら、私は即席で作ったゲストアカウントを消去し、眠らせていた自身のアカウントを再度起こし、中途半端だった処理を再開させる。

 どうなのだろうか、と学友の言葉を反芻しながら思う。

 自分の改造癖は趣味の一環、所詮は下手の横好きみたいなものだとばかり考えていたし、学院(アカデミー)に上がりたて――シンと知り合ったばかりの頃は彼も同じ意見で、良く意見をもらっていたが、時を経るにつれそれも減ってきていた。

 口を出せるところが無くなってきた、とはシンの言い分だが、それが進歩なのかどうなのか、よく分からない。


「……あぁ、そう言えばさ、エディ」


 ふと思い出したような言葉に、情報処理に向けていた思考を再度現実に戻す。


「なんだ?」


 見ると、自前の携行端末(タブレット・デバイス)で講義の準備をしながら妙に言いづらそうにシンは話し出す。


「この講義が終わったら、予定はあるか」

「……いや、無いが」


 自身のスケジュールを頭の中で確認しながら答える。


「なら、この後、少し付き合ってもらえるか」

「いつもの廃棄品(ジャンク)屋巡りか?」

「まぁ、そんなとこだ」


 通例に添った憶測を投げると、デバイスを操作する横顔が微かに笑む。


「なら、ちょうどいい。私の方も少し見せたいモノがあったんだ」

「何をだ?」


 シンからの問い返しに、私はニッと笑う。


「秘密だ」

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