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始まりが一瞬ならば、そこから連なる動作も一瞬だった。
少女の動きは、ロケットモータ状の大型スラスターにより生み出された爆発的な加速力――それで以て照準を乱す複雑な軌道を描く。
不規則でありながら迷いなく、淀みのない動きは、しかしただ一つの目的を、意思を持っており。
――ズンッ、と。
轟音、そして大気を震わす振動が辺りに走り、
「これは、また……」
上空――少女より一拍遅れつつもスラスターを展開、飛行で逃れた位置から"それ"を見下ろし、私は声を漏らした。
抉られていた。
ほんの数秒前まで私が立っていた足場は、そこから数歩分の面積も含めて消滅し、小規模ながら深い窪地と化していた。
自身の視覚素子を調整し、観察してみれば、それはいくつかの破砕の重なり――連続した砲撃によるモノだと、見て取れて。
「挨拶代りとしては、ちょっとばかり過剰じゃないか?」
「……はずしてやった、だけ、"おんじょう"ってやつ、です」
高度を上げ、再び私の前に来た少女は、途切れがちの言葉を口にしながら下していた左腕――誘導弾の連撃を放ち、排熱を行っている結合銃を、再び私へと向ける。
今は重力機構による操作のみでの浮遊だが、背部にある大型スラスターはすぐにでも駆動へと運べる状態にあるのが、視覚として同期させた温度センサで分かった。
「あー、そうかい。そりゃどうも……ッ」
言葉の尻、上げかけた苦悶の声を、しかし私は辛うじて飲み下した。
「ん……? どうか、したです、か?」
「……いいや、」
なぁんにも、と。
ややおどけたように口では言ってみせたが、嘘を吐くなと体が訴えてくる。
原因は分かっている。
あらかじめ起動していた重力機構。
瞬時に展開したスラスターを強制起動させて行った急加速による飛行。
加え、強引な跳躍――自身の安全装置を振り切った過剰なまでの脚部の酷使は多くのプロセスを無視した力技であり、必然として、代償が反動として自身に返ってくる。
無茶な駆動に、内部機構が軋みを上げる。
軋みはノイズとなり、体を巡る電子信号が異常として脳に流れてくる。
そして、流れてきた異常を私の電脳はある種の痛覚へと変換し、
――思っていたよりきついな、これは。
思考し、自身の背中に展開された推進翼を知覚する。
――まだ、未熟だ。
分かっている。
最初から、分かっていたことだ。
分かっていて、それでも「必要だから」と、やったことだ。
――全身は、まだ、未熟だ。
"ここ"に至るにはまだ早かったか、という感情が顔を出すが、すぐに振り払った。
弱気はダメだ。呑み込まれる。
呑み込まれたら、たぶん、戻れなくなる。
――慣れないとな、こういうのも。
早く、早く。
全身を同期させ、肉体であった頃と同じくらいに。
……いや、違う。
それじゃ足りない。
まったく足りない。
もっと先へ、だ。
そうでないと、ダメだ。
もっと先に進まないと、ダメなんだ。
「……まだまだ、長いな」
「なにが、ですか?」
「あー……まぁ、こっちの話だ」
適当にはぐらかすと、少女は怪訝そうな顔で小首をかしげる。
何の脈絡もない言葉に対する猜疑の感情だと、分かる。
「なんのはなし、ですか?」
「何でもないよ」
「こたえて、ください」
「君には分からない話さ」
「だから、なんなん、ですか?」
「個人的な話。君には関係ないことだ」
「………」
答えの曖昧さに追及を諦めたのか、彼女は黙り込み、ただ無表情に非難を滲ませて――矛盾するようだが、実際にこんな感じなのだから仕方ない――、ただ、私を睨む。
まぁ仕方ないだろう、と彼女を見ながら思う。
言っても分からないだろう、とも。
……と、それはそれとして、
「綺麗だな」
「……きゅうに、なん、ですか?」
「君が綺麗だ、って思ってるんだよ」
「え……?」
立て続けの予想外の言動に、きょとんとした顔をする少女。
信じられない、とでも言いたげな様子だ。
……事実なんだけどなぁ。
私の前に浮かぶ少女。
無垢、純粋といった言葉がそのまま当てはまるような幼い顔立ち、相応の小柄な肢体。
もとは白色だったのだろう、破れ、焼け焦げてほとんど意味を成してないワンピースから覗く色素の薄い肌が鮮やかに写る。
範囲を絞り操作された重力空間でゆらゆらと揺らめく黄金色の髪は、背後の夕陽を反射して輝いているようにも見え、ある種の幻想的な雰囲気を漂わせる。
そしてそれは、感動を伴い私の感情を占めていた。
「ふざけないで、ください」
「ふざけちゃいないさ」
本音だ。心からの、本音だ。
「事の順序が違えば、私は、君と一緒にいたかもしれない」
これも、本音だった。
それほどまでに、美しかった。
もっとも、生物の"人間"としては在りうべからざる部位が存在するのも確かではあるが、機能美とも捉えられるし、全体を見て"美しい"と私が感じているのだから、別にどうという事もない。
私に左腕の銃を向けていることもまた、言わずもがな、だ。
「………」
聞いていた少女は、眉を潜めてしばし黙ったのち、
「へんなひと、ですね……いろんな、いみで」
「よく言われる」
「……まあ、」
それより、と転換を口にして、
「――これから、あなたは、どうするん、です、か?」
彼女の問いかけ。
戦う気は無いのか、と。
武装し、銃口を向けられていて尚、その気は無いのか、と。
兵器としてここに在る自分と相対し、応えるのではないのか、と。
「……分かっているさ」
答えて、目を閉じる。
分かっている。分かっているとも。
その存在は、知っている。
その在処も、知っている。
「そのために、ここに来たんだから」
答えは、当然の帰結に過ぎない。
私がここに来た理由。彼女と相対する理由。
そして――私がここに存在する、理由。
「やるさ。私の目的を、果たすために」
状態、移行――【戦闘駆動】
電子の信号を全身へと飛ばすと、密やかな起動の唸りと変化が応えた。
心臓部のジェネレータが戦闘仕様へと、全身に膨大なエネルギーを送るべく鼓動を打つ。
肢体の各所に仕込まれた武装機構がそれぞれ起動し、眼前敵への敵意をむきだしにする。
待機状態にあった背中の片翼4門、計8門の翼状スラスターが加速のための力を、熱を持つ。
電脳化された主脳とは別、付設された補助脳が戦闘に関わる全てを制御する高速演算を開始する。
疑似皮膚で覆い隠された排熱口が表出、各部から生まれる余剰な熱を吐き出し、それが周囲に陽炎を作る。
言葉から、全てを始められる状態へと至るのに、1秒もかからなかった。
目を開く。彼女は変わらず目の前に浮かび、私を見ている。
そして。
視線を交わす。そこに言葉は付随しない。
そして。
沈黙の間が空く。そこに余計なモノは存在せず、ただ心地よい緊張がある。
そして。
ガラ、と先程穿たれた瓦礫が、崩れる音がして。
そして。
「「――――」」
"それ"に、言葉は要らなかった。
どちらからというでもなく、動いたのはほぼ同時だった。
始まりは、爆ぜるような加速だった。
動く。
互いに形状の異なるスラスターが推力を生み、互いに距離を取ると同時、戦闘の軌道をとる。
撃つ。
全身から放たれる、"敵"を穿とうとする多様な砲撃。爆撃。
敵弾を回避し、迎撃し、死角を探り、誘導、無誘導の光弾、炸薬弾、重力制御で浮かせた周囲の瓦礫を放つ。
牽制し、誘導し、見切り、迫る弾を叩き落とし、撃ち落し、致命の一撃を求める。
一瞬ごとにどこかで激突の火花が散り、消え、また生まれる。
弾の軌道が幾重も交わり、それらが、不規則な模様として空中に残滓を残す。
地上においては、流れ弾の着弾により幾度もその形状を変えている有様で、当初の原型――そもそも原型のない瓦礫の山なのだが――をもはや留めてはおらず、断続的に破砕に材質を問わず弾け、欠片が宙を舞っていた。
「ッ……!」
体を蝕む"軋み"に、顔が無意識に歪むのが分かる。
被弾は無くとも、少しずつ崩壊に近づくのが分かる。
それでも、
――越えないと。
言い聞かせるのは、暗示に近い。
痛覚を麻痺させ、次々と押し寄せるエラーを押しやって、終わりに至る糸口を探す。
加速する。
演算速度を上げる。
脳内で響く警告音を黙らせ、眼前敵の沈黙の為の一手を探す。
――超えないと。
超えないと。超えないと。
超えて、超えて、超えて、
その先で、
先の、どこかで、
言い聞かせる。
砲を放つ。
避ける。
撃つ。
――まだだ、
まだ、まだ、まだ、まだ、
終われない。
終わるわけにはいかない。
放った誘導弾が撃ち落される。
牽制の弾幕は無視され、本命の一撃を避けられる。
――終わるな、
連なれ、途切れさせるな、
思考の暇を与えず、自身のそれを作れ。
一条の光が頬を掠める。
衝撃が、寄せる熱が疑似皮膚の薄い金属繊維を蝕むが、それを感じる余裕もない。
――進め、
進んで、一手を取れ。
致命傷は、軽度の損傷は無視しろ。
弾かれても、避けられても、
防がれても、阻まれても、
それでも、それでも、
飛んで。
爆ぜて。
放って。
それでも、
それでも、それでも、
それでも、それでも、それでも、それでも、
それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、それでも、
それでも、私は――
――この物語に、"正しさ"は無い。
優しさは無く、慈悲も無い。
幸いは消え、終着を見失い、
寒々しい虚無を掻き分けた先で、掴むべき定義すらも失っている。
"私"が在って、"彼女"が在って。
ひょんなことから、出会って。
どこへともない終点へと彷徨い歩く、ただそれだけの話だ。
在った道標は、1つだけ。
私と"彼女"の、救いようのない旅路で確かにあったそれだけが、物語足り得ているに過ぎない。
つまり、これは。
限りなく自我に基づいた、
たった1つの××の、物語だ。