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竜の子守唄

作者: 七水 樹


 月を見に行こうなどと、また突飛なことを言い出したものだとラルはため息を吐いた。しかし少年はそんなラルの様子など気にも留めず、きらきらと目を輝かせながら着々と脱走の準備を進めている。寝床の扉を少しだけ開くと、隙間から外の様子を窺った。よし、という嬉々とした声と、手慣れた様子で前進の合図を出す姿にまたため息を吐きたい思いに駆られながら、ラルは重い体を起こして少年の指示に従う。


 少年は唸り声を上げながらぐいぐいと扉を開いていく。ようやくラルが通れるほどに扉が開くと「行こう」とひそひそ声で促した。やれやれ、と乗り気でないラルはのっそりと巨体を前進させ、その背後に回りこんだ少年は「はやくはやく!」と小声で急かした。


 扉をくぐり、寝床から出る。夜風が心地よく吹きつけた。周囲の石造りの建造物からはほとんど光が消え、しんと静まり返った夜であった。上空を仰ぎ見れば、薄く雲が伸びる夜空にぽつんと光る孤独な白い円と目が合う。


「鞍、つけるよ」


 少年はラルの両腕の付け根にベルトを回し、しっかりと固定すると、翼の付け根よりも首に近い方に鞍を乗せた。今度はそれをベルトと固定する。かちゃかちゃと、金属の小さな音が響いた。


「できた。キツくない?」


 ぽんぽん、と鞍を叩きながら少年は問う。ラルは「ああ」と頷いた。人間と違って、鱗のある皮膚は頑丈だ。多少ベルトで締めた程度で支障はない。


「よーし、じゃあ出発だね」


 よいしょ、とそのまま鐙に足をかけて鞍に跨ろうとする少年の横腹を、ラルは鼻面でつついた。


「手綱を」

「要るかな?」

「必要だから鞍についてるんだ」


 少年の腰には、軽く巻かれた手綱が括られている。それが必要だということは、十分にわかっているはずであった。この少年が空を自由に舞うために手を借りるのは、ラルだけではないのだ。

 しかしそう簡単に納得して引き下がってくれる相手ではない。腰の手綱を銜えようとすると、額を撫でられてやんわりと拒絶されてしまった。


「僕たちの間に、そんなものはいらないよ」


 確かに、短いつき合いではない。意思疎通のためだけの道具ならば、ほとんど必要はなかった。だが安全を考えればあるに越したことはない、と口を開く前に少年はひらりと鞍に跨ってしまう。ラルはしぶしぶ言葉を飲みこんだ。


「さぁ行こう。誰かさんの食事が終わる前にね」


 冗談めかした物言いの意味は掴めなかったが、言い出したら聞かない相手だ。それにぼやぼやしていて夜の無断飛行を他の仲間に見られては面倒であった。早々に高く昇った方がいい。


 少年を背に、ラルは大きく翼を広げる。柔らかく包み込むように風を掴んで、ふわりと舞い上がった。そのまま上昇する。あっという間に、ラルと少年は雲に紛れていった。



* * *



 むかしむかし、あるところに、自然を愛し、そして竜たちと心を通わせる“竜の民”と呼ばれる人たちがおりました。竜の心はとても穏やかでしたが、体は大きく、翼で起こす風はすさまじく、爪は何もかもを切り裂いてしまうほど鋭かったので、竜の民以外の人間は、竜をとても恐れていました。ですから、竜の民もまた竜とともに他の人々から恐れられていたのでした。


 竜の民は、山や森の中に小さな村を作って、静かに暮らしています。しかし、竜を恐れる他の村の人々は時折竜の民を村から追い出そうとしました。恐ろしい竜を操るやつらは、どこか遠く行ってくれ、と。竜の民はけして竜を操ったりはしません。ただ、一緒に暮らしているだけでした。しかし、竜の心を知らない他の人々には、なかなかそれがわかってもらえませんでした。


 そんなある日、竜の民のもとに、新たな命が誕生します。それは元気な男の子でしたが、父親は病気で、母も体が弱く、男の子を生んだ時に亡くなってしまいました。

 男の子には家族がいませんでしたが、村人と、両親がずっと一緒に過ごしていた“ラル”という名前の竜がその代わりになることになりました。


 ラルは母親がいないさみしさを癒してあげたくて、男の子が泣き始めると竜の子守唄を歌ってあげました。けれど残念ながら、竜の声は人には聞こえないのです。だからこそ心を通わせるのですが、不思議なことにその男の子は、ラルが子守唄を歌うとぴたりと泣き止んでいました。ラルの優しい声が届いたかのように、楽しそうな笑い声を上げてはぐっすりと眠ります。


 ラルはそれが嬉しくて、何度も何度も子守唄を歌いました。


 するとどうでしょう。ある日、信じられないことが起こりました。

 なんと、聞こえるはずのない子守唄を男の子が歌っていたのです。そしてさらに信じられないことに、男の子の歌は村人には聞くことができず、竜たちみんなにはとても優しく、美しく響いたのでした。


 そう、男の子は「竜の声で歌う」ことができたのです。


 男の子は、村でただ一人の竜と話ができる人間でした。竜の民は竜と心を通わせることはもちろんできますが、言葉をはっきりと伝えあうことはできません。男の子は竜と人間の言葉を使い分けて、両者の絆をもっと深めるための橋渡しとなったのでした。


 男の子はラルが大好きで、一緒に歌を歌いながら自由に空を飛びました。そして村の人たちも、村の竜たちのことも大好きで、貧しくても毎日幸せに暮らしていました。


 そんな男の子に、ある時遠く離れた王宮から、手紙が届きました。


 竜の民以外の人間は、竜たちを怖がっています。それは、男の子も知っていました。それなのに、王様はどうしてお手紙をくれたのだろう、と男の子は不思議に思いました。


 手紙の内容は、こうです。


『親愛なる、竜の民のみなさまへ


 突然の手紙で、とても驚かれたことでしょう。申し訳ありません。実は、お願いがあってお手紙をお出ししたのです。


 気高く美しい神秘の生き物、竜たちと言葉を交わすことができる素晴らしい才能をお持ちの方がいらっしゃると、風の噂で聞きました。ぜひとも、わたくしはそのお方とお会いしてみたいのです。なぜって、竜と話すことができるなんて、これまで誰にもできなかったことですから。あなたたちの穏やかな暮らしぶりを見ていれば、竜がどれだけ心優しく、頼もしい生き物なのかよくわかります。人と竜の関係を、もっとよくしていきましょう。そのために、どうか王宮へいらしてください』


 手紙を読んだ男の子はそれをとても嬉しく思って、すぐに返事を書きました。王様が言う通り竜はとてもよい生き物で、一緒に過ごす毎日は楽しくて、絶対に王様にも見てほしい、すぐに会いに行きます、と。

 竜の背に乗って飛んでいけば、王宮まではそれほど時間はかかりません。けれど、急に王宮の近くに竜が降りていったら他の人たちを怯えさせてしまうかもしれないし、かと言って歩いていくには竜の体は大きく、目立ち過ぎました。


 そのことも手紙に書いて送ると、王様からまたすぐに手紙が送られてきました。


『でしたら、我々が迎えをお送りします。せっかくですし、村の人たちと竜たち全員でいらっしゃってください。しばらくゆっくりと宿泊できるように、準備をしておきますね』




 王様はとても優しい、素晴らしい人でした。村人だけでなく竜たちまでも恐れることなく、温かく王宮に迎え入れてくれたのです。そして、男の子に言いました。人と竜が、手を取り合っていくことは自分の望みでもあると。その目標を叶えるために、ぜひこのまま王宮で王様に仕えて欲しい、と。


 男の子が王宮で働くようになれば、竜の民も竜もきっと嫌われ者ではなくなるでしょう。さらに王様は、村のみんなが幸せに暮らせるようにすると、約束してくれたのです。



 こうして竜の民の男の子は、村の竜たちとともに王様に仕えることになりました。他の竜の民たちも王宮の中で、何の不自由もなく安心して豊かに暮らせるようになったのでした。


 

* * *



 今日の月はね、誰かに食べられてしまうんだよ、とラルの背で嬉しそうに語る少年の声には、少々含みがあるような気がした。しかしその理由に見当はつかず、ラルは「ほう」とだけ相槌を打つ。すると、数秒送れてむくれた少年の声が返ってきた。


「もしかしてラル、覚えてないの?」


 何がだ、とラルは素直に問い返してしまう。たっぷり間を置いた後に「この、大嘘つきのドラゴンめ」と背中を軽く叩かれた。


「僕が小さい頃に、月が欠けるのはお前が少しずつ食べているからだって言っただろう」


 少年に言われて、ようやくラルはそんなこと言ったような気がする、と思い出した。だとしても少年がうんと小さい時の戯れの言葉だ。今もなお信じているとは思えなかった。


「それが、どうしたって言うんだ。随分と昔のことを思い出したんだな」


 別に騙してやろうと思ってついた嘘ではないので、ラルは悪びれることもなくそう返す。少年の方も、本気で怒っているわけではないようだった。今日はあの時と同じ月なんだよ、といつもの調子で返事が返ってきた。


「今日、昼間に王宮の天文学者が話しているのを少し聞いたんだ。難しくて、よくわからなかったけど……今日は月が欠けて、また元に戻るんだって」


 僕にはよくわからないけど、と少年はもう一度つけ足した。ラルにもよくわからない。


「それを聞いて、小さい頃にもそんな月を見たことがあるなって思い出したんだ。どうして月が消えていくのか、またちゃんと現れるのかって、僕は君に聞いたんだよ?」


 少年の思い出話を聞いているうちに、ラルにもおぼろげな記憶が蘇ってきた。窓から空を見上げていた、幼い少年の泣き出しそうな顔が浮かんでくる。どうしてお月さまは消えちゃうの、どこへ行くの、と。お母さんとお父さんのところに行くの、と聞こうとしてやめたのが、その時何となくラルにはわかったのだ。だからこそ、月のことはよく知らなかったがとっさに嘘をついていた。


 あれは自分が食べてしまったからで、そのうちすぐ戻ってしまう、と。適当な言葉だったのだが、少年が思いの外その話題に食いついてきて、いつ食べたの、今度はいつ食べるの、どんな味がするの、と質問攻めにあって大変だった。あれは甘くて口の中に入れるとすぐに溶けてしまうんだ。お前がもう少し大きくなったら、そのうち連れていってやろうと、その場は嘘を重ねて乗り切り、そして忘れていた。


「君が月は甘いなんて言うから、僕はいまだに月を見るとお腹が空くんだ」


 夜風を頬に浴びて目を細めながら、そう言って少年は笑った。


「いつか僕も連れて行ってもらって、一緒に月を食べたいなって思ってた」


 だから今日は一緒に月を食べようよ、と少年は甘えた声を出す。ラルは返答する代わりに、月がよく見える雲の切れ間に入りこみ、そこで旋回した。


 月明かりに照らされて辺りは明るい。雲がじわりと流れていくのを目で追っていくうちに、月が欠け始めて、少年が歓声をあげた。ラルにはその表情を見ることはできなかったが、容易に想像することはできた。




 月が少しずつ削られる中、少年は静かにラルの背で月を眺めていた。ラルの翼が空を掴む音だけが響く空は悪くない。


 ふいに少年は再び口を開くと「ねぇ、歌ってよ」とラルに提案した。


「久しぶりにラルの子守唄を聞きたいな」


 ねぇねぇ、と少年はラルの首を撫でながらそうねだったが、眠りこけて落っこちたらどうする、と言ってラルはその願いを聞き入れなかった。昔はねだれば歌ってやった歌だが、今ではその意味も少し変わってきてしまった。


 少年は不満そうな声を漏らしていたが、諦めたのかぽすんとラルの首に体を預けて力を抜いた。落ちるなよとだけラルが忠告すると素直に、うん、と返された。


 背中から、小さく歌声が聞こえ始める。竜の子守唄。耳に心地良いその歌を聞いて、ラルは目を細めた。


 あの時は、孤独でかわいそうな愛し子を少しでも癒してやりたかったのだ。聞こえないはずの歌で笑顔になる赤ん坊は驚くほどに愛らしかった。だがそれに気を取られていないで、少年の特殊な能力に気づいてやるべきだったのだ。寂しさを埋めるための歌。それが、少年の運命を大きく変えることになろうとは思いもしなかった。すべての元凶が子守唄であるとは言えないが、この歌を知らなければ今ここにいることもないのかもしれない。


 少年は、王国最強の竜の軍団を率いている指揮官になった。圧倒的な力を持つ竜たち。そんな竜たちと自由に言葉を交わすことができ、そして竜を愛し、竜に愛されている少年。失いたくないからこそ、必死に戦うのだ。他国の人間軍など、取るに足りない。


 優しい王が求めていたのは、人と竜の絆などではなかった。我々の絆と村人たちを利用して、この少年の能力を戦争に使うことだったのである。


「……ねぇ、やっぱり歌って。僕はラルの声が好きなんだ」


 先程よりも甘みを増したとろりとした声音で、少年は再び歌をねだった。抱きしめるようにラルの首に手を回して、落ちたりしないから、と続ける。ラルは観念して、小さな声で了承した。



 欠けた月の空を優雅に舞いながら、ラルは背に乗せた少年のために子守唄を歌った。かつては幼子であったその子は、月の光に浄化された夜風に頬を晒しながら、自らの体温をラルと共有するように身を寄せて笑う。




 月が半分ほど食い荒らされた時、空には二つの竜の声が響いていた。


3年ほど前に書いた作品を、大幅に加筆修正いたしました。

短編を集めた同人誌にも掲載した作品なのですが、粗が多くて「ひゃ~!」となりました……(笑)

己の未熟さを感じつつ、少しは成長できたかしら……と思える作品になりました。


次回は11月24日(金)21時頃「ぼくの知らない灯台(上)」を掲載予定です。

では、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!

■追記 うっかり上げそびれたので、25日(土)に(上)(下)アップします! すみません!

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