小説家な姉と弟くん 3
「書ける……書けるぞ!」
そう口走る姉の形相は、どこか鬼女めいていた。
都内某所。
俺は姉と一緒に小さな喫茶店の隅にいた。
原稿用紙の束に向かって、姉はペンを走らせ続けている。
もうこれで6時間くらい経っただろうか。
「スランプ、克服したみたいだね、お姉さん」
喫茶店のマスターが俺にこっそり耳打ちする。
「ええ、なんとかなったみたいです……ただ……」
マスターからエビと牛肉と豚肉の大盛りパスタを受け取ると、
俺は姉の前にそれを置く。
「ジュルルルルルルッッ!」
姉は一息でそれを平らげてしまった。
姉がスランプに陥ってから数週間。
姉はついにスランプ脱出の方法を編み出したのだ。
それが……とにかく食べること。
ガソリンのように、食べ続けて小説を書くこと……なんだけど。
「はぁ……」
スマートで巨乳だった姉の姿はもはやそこにはなく、
マシュマロマンみたいに丸々とした怪獣がそこにはいた。
「弟くん、次の料理いっちゃおうか」
姉はそう言うと、原稿用紙の方から目をそらさずに、
俺にメニューを読み上げさせる。
「うん、それにしよう。鮭とキノコの、バター重ね蒸し。
それと、鶏肉のから揚げニンニクダブル20個」
「あー、うん、わかった」
俺はその二つをマスターに注文する。
そのついでに、「胃腸薬ももらっていいですか?」と頼むと、
マスターは心配そうな目をして姉を見て、深々とうなずいた。
「いやー、終わった終わった。
脱稿だよ脱稿~!」
さっき注文した料理を軽く平らげてしばらくして、
姉は両手をあげて喜んだ。
俺は用意していたクラッカーをパンとならすと、
「おめでとう! 姉ちゃん、スランプ解消できたね!!」とお祝いをした。
「うん、うん。これも弟くんのおかげだよ。
ありがとう!」
姉は半泣きしながら俺の頭を胸の谷間にねじ込んだ。
苦しい! やめて、死んじゃうから!
「ゲホゲホ……まあ、これで脱稿できたわけだし、
ようやくひと段落だね。ってことで、姉ちゃん!」
「ん?」
テーブルの上の料理を全部食べてしまって口寂しいのか、
テーブルの隅にあった角砂糖の瓶に興味を示し始めていた姉に、
俺は宣言した。
「ダイエット始めよう! もう脱稿したんだから、食べ続けなくていいんだよ」
「ヤダ!!」
俺のその言葉に、姉は心底いやそうな顔をした。
「いいじゃん別に。だって次の作品書くときはどうせまた食べちゃうんだよ。
ダイエットして、また太って、またダイエットして……。
そんなボクサーみたいな生活、お姉ちゃん耐えられない!」
「いや、そうかもしれないけど。
いいの? もうすぐ雑誌のインタビューがあるんだよ。
なんかすげーおしゃれな感じの雑誌のさ。
姉ちゃん、顔出しOKしてたよね?」
「あっ……」
忘れてた……と、姉がぶるぶると震えだした。
「弟くん、あのさ……実は私、いっぱい食べるようになってから
鏡を見ないようにして来てたんだよね。も、持ってない? 手鏡とか……」
もちろん持ってきている。
こんなこともあろうかと。
俺の渡した手鏡の中を見て、姉はくすりと笑った。
「誰? このデブ」
あんただよ!!
ということで、俺と姉はその日からダイエットを始めたのだ。
インタビューまではおよそ10日。
それまでに子供1人分くらいはダイエットしなければならない。
過酷な日々が続き、姉が何度か失踪しては、
俺が姉を探して見つけるという日々が続いた。
そして……。
「この小説家の女の人って、
キレイだよね~! あこがれちゃうな」
「そうだよね……。私たちも、
こんな記事にされるような小説家になれるよう頑張らなくちゃね!」
と、女子高生の間で噂になるくらいには、
体型を整えられたのだ。
「姉ちゃん、最近ジャージ多くない?」
俺と姉は再びいつもの喫茶店に来ていた。
すらっとしたジャージ姿の姉が、胸のチャックをおろす。
スポーティなシャツが体の線をきれいに魅せる。
「だって、食べたらまたダイエットするんだもん。
ジャージの方がいろいろ効率がいいんだよ」
スタイルを元に戻した姉が、
「それより、次回作の話なんだけどさ」と切り出す。
「ダイエットに成功した、お姫様の話にしようと思うんだ。
実体験をもとにした話だし、絶対売れると思うんだよね」
「姉ちゃん、お姫様ってガラじゃないでしょ」
「うるさいなぁ。そこは夢見たっていいでしょ? 小説なんだからさ」
カラカラと笑う姉ちゃんを見て、俺はなんだかニヤニヤしてしまう。
いろいろあったけど、姉ちゃんも2作目を出せて、インタビューもちゃんとこなした。
姉ちゃんがこうして嬉しそうにしていると、俺も嬉しかったんだ。
「まあ、ご飯食べながら話を聞くよ。
姉ちゃんは、何食べたい?」
「そうだね……それじゃあ、鶏肉のから揚げニンニクダブル50個で!」
「マジで言ってる!?」
「大マジ。こんなのらくしょーだよ?」
姉ちゃんが両手でピースをして、どうだと言わんばかりの顔で笑った。
注文を受けたマスターが、楽しそうに料理を始めた。
「まぁ、別にいいんだけどさ……」
いまから書く作品、それが終わった後のダイエットは、
今回のよりもかなりヤバい。
俺はそんな予感がしつつ、
「そん時は、そん時だしな」と、苦笑いしてコーヒーを飲んだ。
やれやれまったく、うちの姉ちゃんはしょうがないな。