第8話 条件交渉
これから交渉の第二段階が始まる。と、言っても後は契約を結ぶための細かい条件を決めるだけなのだが。
特に難しい条件をつけるつもりはないし、よほど無茶な要求をされなければ大抵は受け入れるつもりでいるため特に揉めることも無いだろう。
「では、私が<転移>門を通って迷宮の外に出た時点で依頼達成とし、報酬としてこの<水作成>の魔道具を譲渡する、という事で依頼内容の詳細を詰めましょうか」
「詳細?」
それ以外に何か決めることでもあるのかと首を捻るアルバート。
「ええ、いつ挑戦するのかというのもそうですが、何らかの理由で依頼の続行が不可能になった際にどうするか、依頼を破棄した場合のペナルティなどですね。迷宮内で意見の相違があった場合にどうするか、というのは方向性だけでも決めておきましょう。戦闘中は基本的にリーダーであるアルバートさんの指示に従うつもりでいますが」
ああ、そういうやつか、と軽く頷いてアルバートはあっさりと引き下がり、後をダーナが引き継いだ。やはりこのパーティの折衝役はダーナが務めるようだ。
「そうですね、では順番に決めていきましょう。クレア、簡単にで良いから書記をお願いね」
「ええ、承知いたしました」
返事をした直後、クレアはどこからともなく数枚の紙とペンを取り出し、準備万端整えていた。本当にどこから出してきたのだろうか。
「秩序神の人って役所で働いている人が多いので、教会で書記官になるための教育とかも受けられるらしいんですよ」
ケンがクレアの手元に置かれている筆記用具をまじまじと見つめていると、彼の視線の意味をどうとったのかは判らないが、そうダーナが教えてくれた。
「正式な免状を頂いた訳ではございませんが、まね事であればどうにか務まるくらいの教育は受けてまいりましたので、どうぞご安心くださいな」
「そうですか、ではお任せします」
相手が秩序神の神官ならば意図的な誤魔化しなどは心配しなくても良い。
「では、まず、肝心のゴーレムに挑戦する日についてですが、私個人としてはなるべく早く…今日が6日ですから3日後の9日以降のなるべく早い日、ということでお願いしたいのですが」
「私達の方もそれで異論はありません。現状、何か他に依頼を受けていたりもしませんので」
こちらの要望を聞いて、ダーナが他の3人と軽くアイコンタクトを交わして確認した後、そう答える。
「そちらのパーティでは、迷宮に入るための準備を整えるのに何日必要ですか?」
「多少の余裕込みで2日間あれば」
「では、3日後の昼過ぎから開始ということにしましょう。私は明日の早朝から迷宮に入りますから、予定の変更があればそれまでに連絡を。中で1日間経っても合流できなければ、いったん仕切り直しということでよろしいでしょうか」
既に迷宮に潜るための道具類については準備を終えているし、体調についてもこれから半日あれば十分整えられるだろう。
ケンが最後に迷宮を出た日から数えて今日でもう6日目。盗賊ギルドは大方事情を把握していると思うべきだし、どこかでこの集まりを監視している奴から確定情報として伝わるだろう。これからは、耳が早い奴がいつ動き始めてもおかしくない。
面倒な奴が会いに来るのから逃げるのには迷宮に入るのが一番だ。
どんなにやり手の商人でも、強欲な盗人だろうと迷宮の中まで追ってくることはない。迷宮から出てきた時にはもう自分の手元から魔道具は消えているから、適当にあしらっておけばすぐ寄ってこなくなるだろう。
「え、あれ? おかしいな、ちょっと日数の計算が合わないんですけど……えっと、もう一度初めから、日付と時系列込みでお願いします」
ダーナがグルグルと目を回しながら混乱しているが、何かおかしな所でもあっただろうか。
携帯電話どころか有線電話網も存在しない世界であるから、迷宮の中に居る人間とは連絡のつけようがない。認識の齟齬からすれ違うのも怖いので、キチンと事前のすり合わせを済ませておく必要があるのは確かだが。
ダーナのお願いを受けたので、パーティ別の時系列を明確にしておく。
ケン側は、本日6日のうちに準備を済ませ、7日の早朝に迷宮に入り中層に向けて出発。今までの経験上では8日の夜か遅くとも9日の朝には<転移>門の門番部屋入口に到着できるはずなので、時間的な余裕や休憩時間を考慮して門番への挑戦は9日の昼過ぎからとする。
アルバート側は7日,8日の二日間で準備を済ませ、9日の昼過ぎに第一<転移>門から迷宮に入り、すぐに門番部屋入口へと向かう。そこでケンと合流して門番に挑戦する。
双方共に、10日の朝の鐘が鳴る|(午前6時)頃になっても相手と合流出来なければ、いったん撤収する。
最後に迷宮に入った日から数えて10日経っても連絡がつかない場合、ケンは死亡したと見なして必要な処置をとる。必要な措置の内容については後で決めて契約書に盛り込めば良いだろう。
「えっと、合流って迷宮に入る時じゃなくて中でするんですか……? って言うか中層まで2日? ふつかって何日あるんだっけ……」
「ダーナ?」
「はっ! ……すいません。取り乱しました」
何故かふつか、ふつかと小声で呟きながら壊れてしまったダーナだが、アルバートに名前を呼ばたことで何とか再起動を果たしたようだ。
こんな子が対外窓口で本当にこのパーティはやっていけているのだろうか。背後にアルバートが控えていると言っても、限度があると思うのだが。
「ええっと、私は迷宮入口で待ち合わせて、5人でパーティを組んで<転移>門まで行くんだと思っていたんですけれど」
それでも別に良いと言えば良いのだが、そうなるとアルバート達とパーティを組んだ事が周知の事実となってしまう。
迷宮から出るのは何時でも自由だが、中に入る場合は午前6時頃に鳴るの朝の鐘から午後6時頃に鳴る夕の鐘までの間に限定されてる。建前上は夜間に入場するのが危険という理由で禁止されているのだが、本音としては単に入場税の徴税官が夜中まで働きたくないと主張しているから、というのは公然の秘密である。
やる気のある探索者と言うのは大抵朝の鐘と同時に迷宮に潜るため、必然的に多くの探索者に目撃される事になる。かと言って出発時間を遅らせても、今度は迷宮管理局に用事がある人間が周囲に増えてくるので、周囲に人目があるのは変わらない。
「あの、多分なんですが、ケンイチロウさんは私達と行動を共にしたことで、目立ってしまうのを避けたいと考えてらっしゃるのだと思うんですけど」
「否定はしません」
有名になることで得る利益よりも不利益の方が大きいとしか思えないのだから、なるべく目立たないのに越したことはない。
「入る時に別々にしても、迷宮から出る時に一緒になるので、結局はあまり変わらない事になると思うんですよ」
「それは、私が<転移>門から出る時にしばらく時間をずらせば良いのでは?」
「いえ、それはやめた方が良いと思います」
ケンが首を傾げると、ダーナはつまりこういうことですと前置きしてから説明を始めた。
「<転移>門を使って初めて迷宮から外に出た場合、管理局に登録されるということはご存じでしょう?」
それは迷宮探索者としての常識の範疇であるから、当然知っている。
国家期間である迷宮管理局は、迷宮入口で入出場を監視して入場税を徴収するのと同様に、<転移>門の管理も行っている。
迷宮管理局の建物の外にあり、入場税を支払いさえすれば後は誰でも素通しされる通常の入口とは違い、<転移>門は建物の中にあり、その区画は厳重に警備されているのだ。
その探索者が目的とする<転移>門の使用資格者として登録されているかどうかを事前に確認し、資格を持たない人間の場合は部屋に入ることも許さない。一応、形式上は任意登録となっているが、登録していない人間は地上側の<転移>門の使用を拒否されるため、事実上は強制登録だ。
「登録すると資格証が発行されるんですけど、それを作るために色々とうるさく聞かれるんですよ……」
探索者となってからたった半年という異例の速度で中層まで到達した彼らのパーティは、それはもう根掘り葉掘り聞かれたようだ。
アルバート達の場合、他の三人がこんな感じであるため自分一人が余計に大変だった、と当人達のを目の前にして愚痴を言えるダーナは、実は思っていたよりも大物なのかもしれない。
「ですから一人で門番のゴーレムを突破してきた、なんて事になったらあいつらの尋問は凄いことになっちゃうと思います」
尋問に耐え切って一人だったという事になった場合、過去に数人しか達成していない偉業ということで、どう足掻いても有名になってしまうだろう。
耐え切れず白状してしまった場合、結局アルバート達と同じパーティだったことがバレた上に、わざわざ時間を置いて別々に出てきた事を問題視されて目を付けられる可能性もある。
だったら最初から小細工を諦めて、行動を共にしておいた方が良い。
「これは私からのお願いで、ケンイチロウさんが嫌なんであれば断ってくださって構わないんですが、できれば、最初から5人でパーティを組んで迷宮に入るということにしてもらえませんか?」
「こちらとしては、それでも問題はありませんが……」
そちらのパーティはどう考えているんだと目線で問いかけてみると、アルバートも頷いて同意を示してきた。
「自分からもお願いします」
なんでも、ダーナの提案は彼女が思いつきで言ったわけではなく、以前からパーティの中で検討してきたことの一環なのだそうだ。
現在、アルバートのパーティは中層で探索を行っている。
中層は上層に比べて探索の難易度が上がっているが、それは単にモンスターが強くなっているというだけの変化ではない。
まず目に付くのが地形の変化だ。
上層はほぼ全域が単なる洞窟状の通路で構成されている。
ところどころに直径十数メートルから最大で数十メートルに及ぶ大きな部屋があり、そういった場所には池というよりも大きな水たまりと表現した方が相応しい程度の水場が有り、周囲には暗闇の中でも成長できる特殊な植物が生えていたりもする。
場合によってはそういった部屋全体が水没しているために迂回を余儀なくされたり、知られている限りでは上層で一箇所だけ数百メートル四方の大規模な地底湖もしくは地底海があり、そこでは水棲のモンスターが生息しているようだ。
他にも難所と言われるような場所はいくつか有り、事前に準備していなければ突破するために多大な労力が必要とされるが、上層の場合は過去の探索者から連綿と受け継がれてきた知識によって対処方法が確立されている事も多いし、その気になればそういった場所を迂回するのも不可能ではない。
中層でも上層から入ってしばらくの間は上層と同じように単なる洞窟が続いているだけだが、ある所を境目にがらりと変化してしまう。
平原があり、荒野があり、森林があり、砂漠があり、ゴツゴツとした巨岩ばかりが転がる山岳地帯がある。見上げれば遠くに岩の天井があるというのにどこからか光が差し込み、昼夜に応じて明るさが変化する。
一つの地形は少なくとも数キロ四方に及び、生息しているモンスターもその場の地形に合わせた生態系を築いている。必然、探索者側はそれぞれの地形に対応した技術が求められる。
そういった巨大な部屋同士を繋ぐように相変わらず洞窟状の通路が張り巡らされているが、そこはもう上層の通路などとは全く異なった場所だ。
上層とは比較にならないくらい高い頻度でモンスターの襲撃があり、さらに多種多様な罠が数多く張り巡らされている。
罠の内容も、鈍い奴だと足を挫く程度の子供の悪戯のような落とし穴や、革鎧を貫通できない程度の威力しかなく、よほど当たりどころが悪くない限りかすり傷も負わないような上層のヌルい罠とは違い、中層にある罠は大怪我をするどころか命の危険が満載されている代物だ。
そういった種類の変化も厄介だが、アルバート達が最も悩まされているのは進むべき方向についての判断がつけづらいということらしい。
上層では迷宮の奥へと向かう道、探索者の間で"順路"と呼ばれている道とそれ以外の場所へ向かう「横道」の区別が比較的つけやすい構造になっている。
通路の壁をじっくり見れば迷宮の奥から入口に向かって掘り進んでいったような痕跡が見つけられるし、順路は大抵の場合比較的太く真っ直ぐで、横道の場合はかなり細いか曲がりくねっている上、それほど進まずに行き止まりになるというのも多い。
それでも不安を感じるのであれば、上層の主要な道が描かれた地図を手に入れることもできる。場所によって縮尺が変わるようなそれほど出来が良くないものではあるが、現在位置を把握できていれば進む方向の参考ぐらいにはなる。
馬鹿正直に順路だけを進んで行った場合、途中で何箇所か「モンスター部屋」と呼ばれる広場に突き当たる事になる。モンスター部屋には数十にもおよぶモンスターが屯していたり、ボスと呼ばれる他のモンスターより一段上のモンスターが根城にしていたりする。
そういった部屋も横道を通ることでどうにか迂回可能だったり、戦闘が得意なパーティか十分な準備を整えたパーティであれば、正面から力押しで押し通ることも可能だろう。
しかし中層では、そういった順路と横道が見れば誰でも解るくらいの簡単なものではなくなっている。
そうなると当然、時間をかけて少しずつ地図を作りながらとなるところだが、迷宮がある特性を持っているためにそれも困難である。
前回の探索の時に見つけた分かれ道に来てみたら、分かれ道が無くなっていた、むしろ逆に増えていた、以前と同じ道を通っているはずなのに明らかに構造が違う、なんてことが頻繁に起きるのだ。
これは間抜けな探索者が進む方向を間違えたという訳ではない。
迷宮管理局における正式名称を『構造改変』、探索者が俗に模様替え・再編成などとと呼ぶ現象が発生した結果である。マッケイブ迷宮では中層以降の階層で構造改変が発生するようになっているのだ。
迷宮の構造改変は誰かが見ている場所で発生した記録はない。
最も近くにいる探索者からの距離が離れているほど、そこを探索者が最後に通ってからの時間が長く経過しているほど構造改変が発生しやすくなるとされており、一日か二日前に行きで通った道が帰りに変わっているという事はあまりないが、今までにそういった事が発生した事例が皆無という訳でもない。
中層での順路を見分けるためのノウハウを持っているパーティ、もしくはギルドも存在しているはずだが、ライバルが有利になりうる重要情報を漏らすような馬鹿はそう長生きできない。
攻略系のギルドではそういった秘密を守るために他ギルドへの移籍は御法度になっているし、引き抜きにされた側とした側のギルドが紛争状態になったり、足抜けした奴が姿を消した、そいつが死体で見つかったなんて話題が年に数回は酒の肴になっている。
普通の探索者パーティであれば、数年ぐらいかけて上層を少しずつ攻略していくことで迷宮で生き残るためのセオリー、進むべき方向を見つけるためのノウハウ、戦闘経験などを蓄積していくものだ。
しかし、アルバート達のパーティは上層では力押しで最後まで進んでしまえるほどの実力が最初からあったせいで、探索者として十分な技能を身につける前に中層まで進んでしまった。
このまま中層で足踏みを続けるくらいなら、もう一度上層に戻ってじっくりと実力を養ったり、他のパーティに頭を下げて教えを乞うべきではないか、という意見がだんだん大きくなってきたというのがダーナが語った内容だ。
今回の依頼についても実は、アルバート達にとって渡りに船といった感じらしい。
そう言われれば、ケン側に強く拒否する理由もない。アルバート達が先に進めるようになったからといってケンがなにか不利益を受けるわけでもないのだ。むしろとっとと先に進んでもらった方が良い。
ケンとしては、自分がかなり特殊なやり方をしている自覚はあるため、他人が何か参考にできるようなことがあると思っていないが、そのあたりはこちらの知ったことではない。
その後双方が話し合った契約は概ね以下のようになった。
正式な契約書にしたものとはかなり文面が違っているが、大凡の内容は解るだろう。
1.アルバート他三名とケンイチロウがパーティを編成し、マッケイブ迷宮上層の攻略を行う
2.このパーティは少なくとも第一<転移>門の門番を討伐するまで継続される
3.ケンイチロウが第一<転移>門を通じて迷宮の外と出た時点で依頼の完遂とし、<水作成>の魔道具の所有権をアルバートへと移譲する
4.迷宮内での行動方針はケンイチロウの助言を受け、リーダーであるアルバートが決定する
5.アルバート他三名はケンイチロウの安全に対して注意を払う義務がある
6.迷宮内で得た利益については公平に分配する
7.両者の合意によってこの契約を解除することができる
8.依頼を達成する前にケンイチロウが死亡した場合、<水作成>の魔道具を含むケンイチロウの所有財産の権利は【花の妖精亭】の店主であるエイダに引き継がれる
全ての話が終わったのは、とっくの昔にコース料理の全てが各人の腹に収まり、その後に注文したいくつかの料理と飲み物までがテーブルの上から消えた後だった。
5人で迷宮に入る前に幾つか打ち合わせておきたい事も残っているが、それはまた後日ということで散会と相成った。
「ケンイチロウさん、本日はありがとうございました。とても有意義なお話ができた事を嬉しく思います」
「こちらこそ、ありがとうございました。本日聞かせて頂いた情報のお礼と言ってはなんですが、これをお貸ししましょう」
鑑定書と合わせて、<水作成>の魔道具を袋ごと差し出す。
「よろしいのですか?」
「ええ、ただ眠らせておいても何にもなりませんし、これの有る無しで準備するものも変わってくるでしょうから、お試し期間ということで」
魔道具を貸し与えた理由の半分は言葉通りのものだが、アルバート達に渡してしまうことで管理する必要がなくなり、盗難のリスクが無くなるという打算もある。
自分の手元にあるうちに紛失した場合、紛失による損害を受けるだけではなくアルバートに対する保障も必要になるが、アルバートが保管している状態で紛失したとしても、ケンはそのまま契約の履行をして貰えればいい。
ケンが差し出した魔道具を無言で受け取り、大事そうに胸に抱えたエミリアを見て、ダーナが一瞬疲れたような顔を見せたがすぐに気を取り直したようだ。
「……そうですね。では、お言葉に甘えてお借りします。お礼はいずれ何らかの形で」
「いいえ、お気になさらず」
その後はパーティを組んで迷宮に入る前に一度会合を持つことだけを合意し、別れの挨拶を済ませた。
当初の予定とはかなり違った食事会となったが、かなり良い結果が出せた。いつもより少々長い期間迷宮に潜らずに過ごすことになったが、たまにはのんびりと休息を取るのもいい。
これからしばらくは、ルーチンワークとなってしまったものとは違う日常が訪れるという予感に少しだけ胸を膨らませつつ、家路につく。
【花の妖精亭】で今日も忙しく働いているベティに、たまには何かお土産でも買っていってやろう。
気付いたら迷宮の中に入っているのは第1話だけという…